スペースデブリ①
無限に広がる宇宙の闇の中、無数の星屑がひしめき合っていた。真円を描くものもあれば、楕円形のもの、つば広帽を上下逆さまに重ね合わせたような形のものもある。それが音もなく窓の向こうを流れていく様は、まるで深海に降り注ぐマリンスノーのようだ。
その深淵を虹色に煌めくヒレをはためかせながら進む宇宙船はグロテスクな深海魚といったところだろうか。
天井を支える肋骨のような金属フレームと透明な結晶構造で構成された右舷通路を歩きながら、カノン・ポーラスターはふとそんな考えに囚われた。
もっとも、宇宙での生活が二十余年の人生の大部分を占めているカノンにとって、深海はおろか、海というものも別世界の話でしか無い。宇宙航路の自由と安全を守る港湾局の保安官として救難訓練はあるものの、それも署内にある無重力プールでの話だ。
そして今回はそんな日々の訓練が役に立った。不審船を追走中、巡視船〝ノーザンライツ〟は要救助者二名を発見したのである。
〈もっとも、彼らが本当に要救助者なのかどうかはこれから分かることだけど……〉
カノンは右舷通路からハッチを抜け、エレベーターで下甲板へと降りる。
狭い通路を進んだ先にある鋼鉄製の扉の前で、歩哨を従えたリゲル・マーズヘッド臨検部隊隊長がカノンを待っていた。隊長は船外活動を行った時のままの格好で、各部に装甲を施した濃紺の宇宙服の腰の部分には大型の光銃を括り付けている。宇宙空間では目立たない戦闘服も、白の半透明を基調とした船内では完全に浮いており、大きく厚い背格好と相まって黒い壁のようだ。
顔には無数の傷があり、宇宙怪獣も裸足で逃げ出しそうなヴィジュアルをしているが、まだ宇宙遊泳を覚える前から面倒を見てもらっていたカノンにとってはその強面もスキンヘッドもどこか愛嬌が感じられる。
「それで? 収穫の方はどうかしら?」
歩哨が恭しく開けた扉をくぐりながら、カノンは隊長に尋ねた。
「大漁も大漁。ま、ほとんどは黒焦げだがな」
二人がやってきたのはこの船の後部デッキにある格納庫で、バスケットコート一つ分のスペースにモスグリーンのシートが敷かれ、不審船から回収した遺留品が所狭しと並べられ、複数の乗員が分析と分類を行っていた。
もっとも、不審船自体がものの見事に破壊されてしまったため、残っているのはひび割れた保存容器や黒焦げになった貨物コンテナ、熱で装甲と融合したデータストレージなどで、まるでガラクタの見本市のようだ。
その中の一つ、ほとんど無傷と言っていい黒い棺の前に隊長はカノンを案内した。
「これが例の遭難者二名が乗っていた脱出ポッドね」
「ああ、長期の漂流のため、人工冷凍冬眠や〝高次光圧推進《HPLクラフト》〟が装備されている脱出ポッド自体は珍しいモンじゃない」
「……でもあれほどの威力、民間のイルミネーターの規格を超えているわ」
運動エネルギーは距離の二乗に比例する――。
宇宙を旅する船乗りにとっては常識で、小石サイズの小惑星はもちろん、珪素や鉄、マグネシウムなどの微粒子からなる宇宙塵も超高速で移動する宇宙船にとっては弾丸にも等しい。
そのため、民間の船であっても防衛用のレーザー砲やシールドで武装していることは珍しくないが、この脱出ポッドのそれは明らかに度を超えていた。
カノンは蒼いレーザーが〝空飛ぶ円盤〟を両断し、小惑星帯の一部を消滅させた時の光景を思い出し、背筋が寒くなる。
「おまけにコイツのボディは高密度の〝トラペジウム同位体〟でできている」
ベースギターを爪弾くような低い声にカノンが意識を戻すと、隊長の手の平の上に透明な結晶の欠片が乗っていた。それは脱出ポッドの天蓋を覆っていたもので、この船の〝水晶艦橋〟などに使用されている構造材とよく似ている。
加工することで任意の光を透過させることも、閉じ込めることもできる〝トラペジウム同位体〟は光子回路としてイルミネーターやソーラーセイルを始め、様々な製品に組み込まれている。
一方で、その原石は全ての波長の光を一〇〇パーセント吸収する完全黒体であるため、一昔前は暗黒物質などとも呼ばれ、見つけることが非常に困難な希少物質でもある。
それがこれほど大量に使用されている脱出ポッドなんて、軍艦でもありえない。
カノンはまるでそこに穴が空いているかのように黒い棺のボディを訝しげな表情で見つめる。
「どうせ金持ちが道楽で造らせた特注品でしょうけど、まるで無駄で粗大な塊を造るなんて、どこのメーカーかしら?」
だが隊長の答えはカノンの予想よりも遥かに不可解なものだった。
「一応、中も調べてみたんだがメーカー名や製造番号を示すようなものは一切見当たらない。それどころか、いくつかのモジュールはブラックボックス化されていて、コイツが何を動力にして動いていたのかまるで分からないそうだ」
「この刻印は?」
カノンの白く細い指が脱出ポッドの側面に彫られた『CIVI』の刻印を指し示す。
「それが文字なのか、記号なのかも含めて現時点では不明だな」
大げさに肩をすくめてみせた隊長にカノンが体を寄せ、声のトーンを落とした。
「アチラ側の兵器という可能性はないのかしら?」
「形は似ているがヤツらが使っている文字でこんなのは見たことがない。それに光技術に関して、向こうは数世代遅れているから可能性は低いが……警戒はしておくべきだろうな」
隊長の最後の言葉にカノンは表情を曇らせると、作業をしている乗組員に向き直った。
「ここはアナタたちに任せます。何か分かったことがあったら、些細なことでも報告するように!」
「「「了解、マム!!」」」
全員に敬礼で見送られ、カノンと隊長は格納庫を後にした。
「いやーやっぱ船長と隊長ってカッコいいっスね。身が引き締まるっつーか、本物の軍隊に入った気分っス」
二人が去った後も若い乗員がの一人が尊敬の眼差しで格納庫の扉を見つめていた。
「まぁ実際、あの二人は前に軍の特殊部隊に居たって噂だからな」
隣で遺留品の仕分けをしていた先輩の乗組員がそれに応じる。
「え? その噂、マジなんスか!?」
「いいから口より手を動かせ、手を!」
目を輝かせて話に食いついてきた後輩に大量の保存容器を押し付けた。
「わっ、わっ?! ちょっと、いきなりこんなに持てないっスよ!」
フラフラとおぼつかない足取りでバランスを取るが、積み上げられた保存容器がぐらりと右に傾く。
「あっ、バカ!」
反射的に伸びた手をすり抜け、保存容器の一つが床の上に落ちて硬質な音を響かせた。
「何やってんだよ、まったく」
先輩の乗組員が慌てて容器を拾い上げた。
見たところガラスにヒビが入っただけで、中に保存されている黒いカマキリのような標本に目立った損傷はない。細かくヒビが入って白くなったガラスの保存容器に閉じ込められている様は、氷河期の頃に氷漬けにされた古代の虫のようでもある。
体長三〇センチ程度とはいえ、鈎状に大きく湾曲した二本の前足は鎌のように鋭く、赤い複眼は狡猾な知性を感じさせる。
なんとなく薄気味悪いものを覚え、先輩乗組員は保存容器を後輩の腕に戻した。
「さっさと運んでとっとと飯にするぞ」
「アイアイサー!」
駆け足で前をいく後輩の腕の中で赤い複眼が妖しく光ったような気がした……。