天子の母
今回は短いです。
順治帝の死を公表するのに先駆けて、外部に漏れないよう気を付けながらもソニンは一族を上げて幼帝擁立の準備を行っていた。
何よりも優先して一番に行ったことは孝荘文皇后への報告だ。
孝荘文皇后といえば順治帝の生母であり、二代皇帝太宗ホンタイジ(皇太極)の妃の一人である。
実は順治帝即位の裏には彼女の力が大きく影響している。
彼女の実家であるボルジギン氏(博爾済吉特氏)はかつてチンギスハーンを輩出した蒙古では最も高貴な氏族であった。
当時はまだ清国も明にまで国土を伸ばしておらず、後金と呼ばれる辺境国の一つだ。
蒙古氏族との繋がりを強めたいホンタイジは皇后も含め終生15人の妻を娶ったが、その内6人をボルジギン氏から娶っている。
それ故に後宮ではボルジギン氏が非常に大きな存在となっていた。
ホンタイジが亡くなった際、後継者を決めずに亡くなってしまった為、三代皇帝の座を巡り、清朝では最初の後継者争いが行われる。
その際に皇位継承の最有力候補であったのが、ホンタイジの長子である粛親王ホーゲと初代皇帝ヌルハチの十四子ドルゴンであった。
しかし、このままでは後金国が分裂することは免れない。
加えて、彼らの母親はいずれも満州系ウラナラ氏(烏拉那喇氏)の出身であり、いずれが皇帝になっても誇り高い蒙古ボルジギン氏族にとっては面白くない話だ。
後金国は目下、明国との戦いを続けており、内部のいざこざ以上に、蒙古との同盟関係まで断ってしまう事は国の存亡に関わる事であった。
そのような背景もあり、当時妃の一人であった孝荘文皇后は、ボルジギン氏出身妃たちと協力してホーゲとドルゴンの双方に清朝分裂の危機を説き、当時まだ6歳の実子福臨を三代皇帝に押し上げたのである。
後継者争いに収拾をつけた後には、非常に好意的なドルゴンを摂政王として幼い皇帝の輔佐に添え、ついには清朝分裂を防ぐだけでなくホーゲとドルゴンの力を以て中華を統一するきっかけを作ったのであった。
そのような舞台裏があったため、現在の清国では孝荘文皇后は後宮の人間にもかかわらず最も強い発言力を持っていた。
しかしだからこそソニンも順治帝の死と幼帝擁立に関して彼女に秘密で行う事は出来なかった。
また、彼女は玄燁の母佟佳妃(後の孝康章皇后)をいたく気に入っており、その子である玄燁にも乳母や家庭教師を自ら宛がり可愛がっていた。
彼女は自らの部族と清国の今後を思えば必ず味方になってくれるだろう。
だが、秘密を知る人間は当然少ないほうが良い。
彼女と二人きりで話をする事など出来ないのだ。
当然侍女も部屋に控えさせて対談しなければならない。
どのようにすれば侍女から秘密が漏れないかと考えると気分が憂鬱になる。
面談の為に用意された部屋で、ソニンは始終沈痛な面持ち崩せず皇太后を待つ。
しばらくするとたくさんの侍女と共に皇太后が部屋に入ってきた。
頭を垂れ出迎えの挨拶をするも声が緊張のあまり上ずる。
周囲の人間からすればその心中と事情を知らないため、なぜ内大臣ほどの至高の地位にいる者がこんなに怯えているのか不思議でたまらなかった。
「これ、話があるとは聞き及んでいるが、其方一体どうしたというのじゃ?
何を恐れているのか未だ知らぬが、ここには妾の側の者以外には一人もおらぬ。
気を楽にして話すがよい。」
「皇太后、無理を承知で申し上げます。
可能であれば、侍女の者をはずし、二人だけでお話をさせて下さい。」
「ならぬ、妾も年老いたとはいえ女。
万が一にも皇室の悪評が出ない為にも男女が二人きりになってしまうわけにはいくまい。このまま話すのじゃ。」
ソニンもその言葉は理解している。
その様な答えが返ってくる事など事前に分かっていた事だ。
しかし、皇太后の言葉に納得しながらも事が事だけにどこか妥協点はない物かと思い、もう一度提案してみるのだった。
「皇太后、重ねて申し上げます。
臣は清国の存亡にも関わる事だと考えますれば、どうか内密にお話をさせて頂きたく存じます。
せめて、信のおける者を残して、後の者はおはずし下さい。」
必死の申し出に皇太后もついには考え込む。
そして、一人の侍女に指示を出すと他の侍女たちを部屋の外に出してしまった。
「この者はスマラグ(蘇麻喇姑)と申す。
妾が宮中に嫁ぐ際に付いてきた者であり、特に目をかけている侍女じゃ。
決して裏切る事はあるまい。
この者を同席という事ではどうじゃ?」
これにはソニンも満足し、謝辞を述べた。
スマラグと言えば皇太后の一番のお気に入りだ。
かつては実子福臨の、今は孫玄燁の家庭教師として将来の帝王としての教育を任されるほどその信頼は厚く、彼女の帝室に対する忠誠心も厚い。
ようやく安心したソニンは事の顛末を皇太后に話すのだった。
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「なんと親不孝な子じゃ!!
たかだか一人の女の為に自ら命を絶ち、
親より早く死に、あまつさえこの老婆をまだ働かせるなんて…
妾は皇上が6歳の頃から皇帝に相応しい能力と徳を身に付けられるように教育してきたつもりじゃったが、どうやら育て間違えたようじゃ…。
国に対する不忠、民に対する不義、親に対する不孝と三つも悪行を重ねるとはのう…。」
皇帝とはいえ我が子が死んだ。
かつて幼いころからの福臨の姿を思い出し、悲しむ様に瞼の上に手を乗せる。
しかし、皇太后も後金国の頃から激動の戦乱を生き抜いてきた女傑だ。
わずかに悲しんだ後、すぐに気持ちを切り替え清国が直面している問題について話し合うのだった。
「遺書が残っているのが不幸中の幸いじゃ。
しばらくは典医の申す通り病気と称し、隠し続けるより他はあるまい。
妾は4か月後に行われる葬儀と戴冠に備えて蒙古の部族長達に根回しをするかのう。
玄燁はまだ8歳じゃ。
ようやく安定し始めた大清国がこのまま崩壊する様を指を咥えて見るわけにはいかまいて。
ソニン、皇帝が幼い故に親政が行える歳になるまでは臣下の専横が往々にして起こる。
事ここに至っては後宮の外では其方に頼る他ないのじゃ。
妾では口は出せても手も足も出ない。
其方には貧乏くじを引かせてしまうが、玄燁の事を宜しく頼むぞ。」
この時、皇太后41歳。
男性優位の社会が続く中、清朝は中国史上でも珍しい女性が権威に影響を及ぼせる、そういった土台を持った王朝であった。
それは母として、祖母として、順治帝と康熙帝の幼帝2人を守る為にも動き続けた孝荘皇太后の努力の結果なのかもしれない。
重要人物を登場させたいが為に挟んだお話です。
といっても孝荘皇后とスマラグは登場させても政治的には全く影響はありません。
今後お話に花を添えたいので、登場したというのが実情です。
もっと女性人物も係らせていきたいものですね。
因みに貴妃やスマラグはほとんど日本語の資料がないので困りました。
まさかの中国語版Wikipediaのみとは…。
次回は幼帝擁立に関するお話を予定しています。