8、森へ
次の朝、母は朝食の席でうれしそうに語る。
「昨日の夜は素敵だったわ。あなたが行ったあのパーティーの他にも使用人だけでやる宴会に友だちと行ったの。そこでね、旦那様たちには内緒で誰かが火薬を持ち込んでね、…誰だったかしら、使用人の中に元々火薬を加工するのが上手な人がいたのよ。その人が花火を作ったの。花火と言ったら遙か遠くの東洋でしか見られない高級品でしょう。ものすごく綺麗だったわ。ビールもね、たらふく飲んでね。そして格好いい人だって…」
「母さん。母さんは早くここを出たい?」
母は目を丸くして僕を見つめた。少女みたいにあどけなかった顔が、やがて年相応の落ち着きを取り戻していく。
「あ、ええ、そうね…。あなたの仕事も大変そうだし早く家に戻れたらいいわ」
「そうだよね」
朝の活気の中、僕たちは黙々と朝食を平らげる。
「クリストファー・ワイズ、おまえの担当は今日からこっちだ」
屈強な男に連れられて僕は広大な畑とは向こう側の森の方へ連れて行かれた。
そこは地主が所有している一番端っこに位置していた。人の住みかとの境界線がくっきりと分かる森は針葉樹が入り組み、森に入る者を拒むようだ。僕は思わず圧倒されて立ち止まる。木、一本一本が樹齢何百年もするだろう神秘な雰囲気。
「こっちだ。早く来い」
足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。この森は霊力を宿している、そう僕は思った。隙間から差し込む真っ白の光は枯れ枝や葉が敷き詰められた大地を柔らかく照らす。おぼろげに鳥の声が聞こえる。しかし正確にどの方向からはわからない。近くのようでもあるし、ずっと遠くかもしれない。男は森に入っても決して家の見えないところには行かないように、慎重に道をたどっていく。
やがてすべてがまどろんでいるような森の中で、鋭く響く斧の音が聞こえてくる。そして僕らは急に開けた場所に出た。切られた木が無惨にも積み重なり、生気のなくした白い姿は痛々しい。しかし、そこには人間の生き生きとした声が飛び交っていた。
「おい、そこだ、そこに倒れるぞ! 気を付けろ!」
「紐を放せ!」
大きな音が轟いて目の前で巨大な木が倒れる。
「やったぜ!」
大きな樹に比べると鼠のように見える屈強な男達は切り倒したばかりの木によじ登り勝利を祝っている。僕はそれらをまじまじと見ていた。側に立っていた僕を案内した男はニヤリと笑った。
「すごいだろう。これが開拓っていうものだ。人間が傲慢で無慈悲な自然にうち勝つ瞬間だ。これらがすべて綺麗になって、小麦が育つ畑へと変わっていくんだ」
「人が森を征服する…」
ブレンダーさんの白濁した目に映った物が思い出された。太古の木々がなぎ倒され、森の守り神であるエルフが怒る。
「けれど、森にはエルフが住むとは聞きましたが、彼らのすみかはどうなるんですか?」
それを男は笑い飛ばす。
「この世にエルフなんかいないよ。この森に住んでいるというなら、オレたちは一度も会ったことはない。飲み過ぎた奴が幻覚を見たのさ。さあ、おまえ、こちらにきな」
男は枯れ枝で建てられた小屋に僕を連れて行って、無骨な鉈を取り出して渡した。
「おまえの仕事はこいつで切られた木の細い枝を落とすんだ。特に緑がついているやつはな。こいつらは乾かされてこれからの冬を越す薪となる。その時に面倒にならないように先に細い奴は切っておくんだ。分かったな。後、飲み物はこの革袋に入れてあるから勝手に飲め。昼飯は各自、自由に食え」
木が倒された後は見れば見るほど荒れた土地だとしか言いようがない。しかし、そんなところでも耕し、種をまけば次の秋には豊かな小麦を実らせてくれるとは知っていた。けれど、そんな大地も木が立っていないことをうすうす気づき始め、豊穣の神は去っていき、最後には肥料を入れないと、育たない土地になってしまう。そうなった土地がまた自然に返されるのにはまた長い年月がかかる。
しかし、そうすることによって人間は繁栄できた。自分が今ここに立っているのはこうした社会の成り立ちがあるからなのだ。しかしこうして人間のものとなった土地を見て哀しみを覚えるのはエゴなのだろうか。
僕はのろのろと、倒れた大木の枝を除去した。瀕死の木から枝を刈り取るのは更に傷つけているようで心が痛かった。
秋空の下で僕は黙々とその作業を続けた。その間にも男達の歓声は定期的に聞こえ、森の空は広がっていく。