9、再開
昼食の時となり、一丸となって木を倒していた男達が思い思いに離れてパンを食べ始めた。僕も大きなパンの塊を受け取り、その場からいそいそと離れた。秋と言うけど、まだまだ強い日差しを避けるために場所を探したが、木がなくなったためそんなのはなかった。
僕は慣れない仕事への疲労のためあまり働かない頭で、近くにそびえ立つ森を見た。そこは人が手入れされていない森だ。それからふらふらと中に入っていった。周りの男達はみんな僕に気づかないようだ。
森の中はまるで水のようだ。入った瞬間から別次元の音が辺りを支配している。人間の感情、そして動きがすべて小さく思えてくる。そこで支配しているのは大きな森としての意志。それに逆らう物はすべて排除される。
僕は近くの苔むした樹皮に触れた。その向こう側には膨大な知恵が流れている。僕はすうっと息を吸い込むと既に身体に染みついた音律を口に含ませた。
「エウロス、南東風の神よ
そして世界は回り続ける
周知の事実と共に
人は言う
あの遙か彼方に広がる空の色は
カリビアン・ブルーだと…」
最後の言葉が彼方の空に吸い込まれていく。淡い光で一つ一つ縁取られている葉っぱが微かに揺れた気がした。
「気のせい…?」
僕は周りを見渡した。しかし頑強な岩しか見えない。僕の耳は微かにそよそよと流れる川の音を聞き分けた。スウッと指を持ち上げ滑らかな曲線を描く。そこが川の水脈だ。僕はほとんど踊るような足取りで軽やかに歩く。
「川は流れてどこに行くの?
人も流れてどこに行くの?
そんな流れの行くところには
きっと美しい花が咲くでしょう…」
僕は少し首を傾げた。あまりいい出来ではない。
川がたどり着いた所では小さな泉となっていた。そこで清水が途切れることなくコンコンと湧いている。魚だっているようだ。すべては森の恵。
僕はそこに手を入れた。ひんやりとして気持ちいい。そこで僕は昼食をとることにした。パンだけの粗末な食事。
僕はそれにかぶりついたとき、泉に映るもう一人の人物を認めた。木々にとけ込むような粗末な着物。あちらこちらに波打った短い髪。薄闇にいても辺りの光をとりこんで光る滑らかな肌。耳は先になるにつれ尖っている。そしてすべての叡智を誇るエメラルドの輝きを持つ瞳。僕の心臓が大きく鳴り始め、強い興奮が頭に登る。
「シャイン」
震える声で僕は言った。振り返るのが怖かった。泉に映ったのがすべて僕の幻想だとしたら? とうとう僕の頭はおかしくなったのでは?
しかし彼はまだそこに立っていた。軽やかに降り立った天使のように。豊かな大地に影を落として現実に。彼は記憶通りの無表情で僕を見ていた。
「あの、こんにちは」
今はただそれだけしか言えなかった。現実だと分かった僕は強烈な喜びでどうにかなってしまいそうだった。まるで欠けたものが戻ってきて完璧になったように。
顔を紅潮させていたのであろう僕を見て彼は小さく、しかし柔らかに微笑んだ。
「僕は、あなたに会いたかった。毎日、毎日あなたを思っていた…!」
「私も会えてとてもうれしい」
声は深い響きとなって森へ吸い込まれていく。まるでハープを弾いているようで、声ではなく一つの音楽を聴いているようだった。
僕らはしばらく見つめ合っていた。そこで間が悪いことに、残念なことに僕のお腹が締め付けられるような音をたてた。その音と同時に歓喜と同時に張りつめられていた糸が緩み、足から力が抜けて、僕はぺたりと座り込んでしまった。彼の鷲のように優雅な眉が緩んだ。
「食事を邪魔したようだな。すまない」
「あの、そんなことないです」
そう言った後で僕は彼と手に持ったパンを見比べた。空腹で口の中が乾いている。
「すべてのことは食べてからにしよう」
彼は言った。そう言って、軽やかに座り足を組む。ぼくを安心させるために彼はそのような態度をとったかもしれない。僕はむせるように食べ終わると、正面から彼を見た。彼はジイと無表情で僕を見ていた。
「これで終わりだろうか?」
「はい」
彼は何かに思案していたようだ。そしてゆるやかに立ち上がった。僕も慌てて立ち上がる。そしていきなり彼の唇から流れたのは濃厚な音楽であった。
「よくある気だるい日
夢見ながら一日が過ぎていく
出かけたくない
もう私は流れの中
驚くほどおかしな日…」
僕は驚いて彼を見た。エルフの口からこんな歌が流れてくるとは思わなかった。小さなリズムが響き、鳥が共鳴する。そしてそれが終わった時、彼は意外なことに恥ずかしげに言った。
「これが、私が作った歌だ。詩を披露してくれたあなたのために作ろうと思ったのだが、うまく作れなかった」
音楽のことはあまりよく知らないけれど、まるで一流の音楽家が推敲に推敲を重ねて作った音だ。それに、単純な歌詞を当てはめていっただけ。僕が何にも言えない内に彼は歩き始めた。僕も操られるように彼についていく。
「あの、どこに行くんですか?」
「あなたに見せたい物がある」
僕は少し思いとどまった。森の出口はわずかに見えるだけである。昼休みの終わりまでに帰れるだろうか。しかし、仕事と言ってもただ細枝を刈るだけの簡単な仕事である。主人の目的は僕をシャロンから放して置いておくだけである。僕は俯いて前を歩くシャインについていった。
不思議なことに森の中にはいるほど緑は少なくなり、白い肌を露わに紅葉した葉を付けた木々が多く存在していた。そのことをシャインに聞いてみる。
「外の木は森を守っている役目をしているから緑が多いのだ。私たちは彼らに守られているおかげで中で静かに暮らすことが出来る。だから紅葉も出来るのだ。人間も自然の外で暮らしているとはいえ、元は緑の恩恵を受けなければ生きてはいけない。だから私たちは緑の兵隊の所までの立ち入りは許している。しかし、私たちの許可無しにそれ以上踏み込もうならば木々は人々を惑わし、二度と仲間の元には戻れないだろう」
僕はゾクッとした。古びた馬小屋の馬番の話を思い出す。エルフは人を好んでいない。それどころか憎んでいる。
「けれど、人は冬を越すために火が必要です。そのためには木が必要です」
彼はチラリと僕を見た。その目に燃える冷たい炎は僕を怯えさせた。
「それは私たちも承知している。しかし、今日多くの木々を切り倒しているのは人がよりよい生活をするためだという。動物たちは最低限しか他に迷惑をかけない。しかし、人間は必要以上に森を傷つけている。木々は怯えている」
僕は大きな海のように波打った小麦畑を思い出した。それらのほとんどは家主家族や下の者を養うためではなく外国へ出荷されるものだった。木に育まれた豊かな土地を開墾するだけでお金は入ってくる。その機を逃さない者がこの国のどこにでもいた。そして僕はその下に置かれて、伐採を手伝っている。
彼はしょげた風の僕を見て表情を柔らかくした。
「あなたのように自然を愛する者は違うだろう。それにあなたはまだまだ若い。将来、森を守ってくれることも可能だろう」
しかし、彼は僕の裏切りに気がついたときどのような制裁を下すのだろうか。
その時、前を歩いていた彼は立ち止まった。隣に並んだ僕に促す。見ると大きな石がまるで積み木のように積まれて壁のようになっていた。そこに、紅い葉がカーテンのように掛かっていた。不思議な空間となっている。
「面白いですね」
「私の隠れ場だ。よく一人になりたいときに来る。きっとあなたは気に入ってくれると思った」
彼は軽く口笛を吹くとどこかから真っ白な小鳥が飛んできて彼の手の甲に止まった。彼が何かを囁く
と、小鳥は再び飛び去った。彼は僕に向き直る。情熱的な赤い落ち葉の中、火のように存在感を放つ彼がいるこの景色はこの世のものとは思えないほどだった。
それから後は僕たちの間に会話という会話はしなかった。僕は詩を朗読して、彼は美しい声で歌った。まるで僕たちの間には言葉はいらず、お互いのイマジネーションだけで意志疎通を図っているようだ。
"Caribbean Blue" by Enya
"花" by 沖縄民謡
"Lazy day" by Enya
今更ですが、二人が作っているように書かれている詩は上記を抜粋したものです




