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逃亡者たち  作者: モーフィー
第一章 Dawn
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10、シャイン

 詩を朗読し、小鳥が持ってきてくれたクルミを食べ、歌うエルフを見つめた。じっと見つめていると時折緑の目と視線がかみ合う。美しいエルフを前に見とれないものはいないだろう。そんな時、僕は顔を赤くして俯くのだが、やがて顔を上げて彼に見入るのだった。


 そこで僕は思いついた。


 彼のスケッチをすればいいのだ。

 そうしたら自然に彼の姿を見ることが出来る。僕はノートをちぎり、短い鉛筆で彼の優雅な姿を書き写す。出来あがりは素晴らしい物だった。当たり前だ。モデルが本来持つ美のおかげで絵描きの空想で補わなくても良いのだから。


 彼は僕の書いたものを興味深そうに眺めた。あまりにまじまじ見るので僕は気まずくなってそれを押しやった。


「これをあなたに」

「ありがとう」


 そうして彼は言った。


「あなたには膨大な量の才能が眠っている。私がこれから百年生きたとしてもこれには届かないだろう」


 僕はきょとんとした。彼は彼の本領である精妙な面もちで頷いた。


「私と言葉無しで意志疎通ができるのはエルフでもそんなにいない。それが生きて数年の人間であるあなたは何の苦労もなくこなしている。それはあなたが持っている才能のおかげだ。あなたの父と母のことを聞かせてもらえないだろうか」


 アーモンド型の目が頭の考えをのぞき見るようにこちらを直視する。僕は口こもるようにして言った。


「…母は近くの屋敷で働いています。父は知りません」

「父を知らない?」

「はい…」


 彼は不思議そうな顔をした。僕は母によく似ている。髪の色だって目の色だって同じ色だ。しかし、この身体は半分顔も名も知れない父の物なのだ。おしゃべりな母に何度もそれとなく尋ねても、母は決して口を割ろうとせず、ただ悲しそうな顔をするだけだ。だから僕も名も知れぬ父には良い感情は持っていなかった。


「すまない」


 彼は乾いた声で言った。首を振って、僕もお決まりの文句のように聞き返した。


「あなたは?」

「二人とも随分昔に天寿を全うした」


 彼は老成した者が答えるようにあっさりと言った。彼の両親は高齢の時に彼を生んだのだろうか。しかしそうだとしても彼は自分と同じ年齢にしか見えない。

 彼は少し考えた風の僕を見て笑った。


「人間とエルフはその点では違うのだよ」


 彼は地面から枯れ葉を取り上げ細かく裂き始めた。


「…そうだな、人間は伴侶になれるべき者が多い。例えパートナーが亡くなったとしてもまた見つけることが出来るし、もしも法律上禁止されていたりしていても本来は多数の異性と子をもうけることが可能だ。しかし、エルフは違う。生まれた時には伴侶が決まっている。そしてその伴侶の間にしか子は産まれない。エルフは多産ではないから伴侶を見つけないと種の存続に関わる。だから、見つけるまでエルフは子どもの姿でいるのだ。そうして何十年、何百年でも待ち続けることが出来る。そして伴侶となるべき異性を見つけると止まっていた成長は再開される。そしてパートナーと共に天寿を全うすることが出来る」

「…ずいぶんと幸せですね」


 しかし、彼は視線をふせたままだ。長いまつげが濃い影を落とす。


「私はそうは思わない。もしも、もしも長い間伴侶が現れなかったならば、両親や友人達が仲良く死んでいくのをただ一人で見守るのだ。周りはどんどん循環されて新しくなっていくのに、一人だけ取り残されている。けれど、これから大人になるのも怖い」


 彼は寂しそうに微笑んだ。しかし、その微笑みは移ろうような不安定なものではなく、硬く老成したものだった。僕はそっと尋ねる。


「あなたは今幾つなのですか?」

「四百年、伴侶を待ち続けている」


 僕は衝撃を受けた。けれども同時に、納得した。彼は大人にならない少年と少女どちらの初々しさも兼ね備え、同時に賢者の知性を漂わせている。ふっくらした唇に凛々しい横顔。首は折れんばかりに細く、うなじは淡く光っていた。彼はどんな賢者よりも老成しているもののまだどちらの性も持っていない無垢な者なのだ。それでいて溢れる色気に惑わされる。僕はほとんど彼に酔ったようだった。僕は低く言う。


「僕たちは大人にならない。ずっとこのままでいるんだ」


 暗い瞳がこちらを向いたとき、僕は衝動的に彼の背中に手を回していた。


「僕はあなた以外に僕を分かってくれる人はいないと思った。伴侶じゃなくて僕は…」

他には分かってもらえない同胞者として。彼が腕の中で動き、二人の距離は再び元に戻っていた。

「あなたはいつか私を裏切る。人間はすぐに大きくなり人を好きになり、子をなして死んでいく。そういう例なら何度も見てきた。私はあなたが死んだ後も生き続ける」


 僕はシャロンの潤んだ眼差しや、少年達の軽蔑の眼差しを思い出した。女、男の匂いを濃く漂わせた彼らはすぐに汚れる。しかし、彼は水晶のように純粋だ。何にも染まらずに森はそんな彼を愛する。僕もその一員となる。


 言葉の見つからない僕に彼は細い手を伸ばしてまるで弟を撫でるかのように僕の髪に触れた。


「あなたはまだ若いし、美しい。これからいろんな事がある。私のことなんか気にしなくても人間の中で十分に生きていけるだろう」

「いいえ。僕はあなたを裏切らない。ずっとあなたの側にいる」


 彼は視線を逸らし立ちあがった。


「…そろそろ時間だ。あなたは帰らないと」


 それから僕は彼の後をたどり、道を逆に戻っていった。彼の歩きは相変わらず軽やかだ。長い年月が彼をこのようにしたのだろうか。彼のすべてを知りたい。すべてを受け入れてやりたいと、そう思った。しかしそのためには四百年という膨大な時間が必要だ。


「…あちらに行けば民家に出られるだろう」


 そういって彼は立ち去ろうとした。このまま僕は何も出来ずにいるのだろうか。そんな自分がもどかしくなって後ろ姿に声をかけた。


「あの、また明日も会えますか?」


 振り向いた彼は微笑んだ。


「ええ、きっと」


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