第15話 大喧嘩と涙の夜
テスト期間の最終日。
寒さが日に日に強まり、教室の窓にもうっすらと曇りが浮かぶ。
授業が終わるチャイムが鳴った瞬間、
みんな一斉にため息をつき、次の休みの予定を話し始めた。
「祐くん、今日はどうする? どこか寄り道する?」
天宮さんが声をかけてくれる。
その声は少しだけ上ずっていて、
このところの“すれ違い”が彼女の心を重くしているのが伝わってきた。
「うーん、ちょっと家で休みたいかも。テストで頭使いすぎて……」
「あ、うん……。そうだよね、疲れるよね」
「ごめん、また今度にしよ」
天宮さんは一瞬だけ寂しそうな表情を見せたけれど、
すぐに無理やり笑顔を作った。
「じゃあ、私は凛ちゃんと駅前のカフェでも行ってくるね」
「うん、楽しんで!」
◇ ◇ ◇
放課後の昇降口で靴を履き替えていると、
凛が明るい声でやってきた。
「祐くん、今日さ、澪ちゃん元気なかったよ?」
「そうかな? 最近、俺のほうがぼーっとしてる気がするけど」
「えへへ、二人ともすれ違い中? でも大丈夫、すぐ仲直りできるって!」
凛は楽観的に笑うけれど、
俺の胸の中には、どこか引っかかる感覚が残っていた。
◇ ◇ ◇
家に帰ると、部屋の天井を見上げながら、
ぼんやりと今日の天宮さんの顔を思い出していた。
このごろ、天宮さんが“遠慮”してるのがわかる。
俺の顔色を見て、予定を合わせてくれる。
でも本当は、もっと一緒にいたいんじゃないか?
凛と俺が話しているとき、天宮さんが少しだけ黙るのも知っている。
なのに――
自分の気持ちを、どうやって伝えればいいのかわからなかった。
スマホを開き、天宮さんとのトーク画面を見つめる。
「今日、あんまり話せなくてごめん」
送信ボタンを押せないまま、指が止まる。
◇ ◇ ◇
その夜。
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴った。
母が出てみると、そこに立っていたのは天宮さんだった。
「祐くん、家いる?」
母が俺を呼ぶ。
慌ててリビングに降りると、
天宮さんが立ち尽くしていた。
「ごめん、急に来ちゃって……」
「どうしたの?」
「……ちょっとだけ、話がしたくて」
母が空気を読んで席を外す。
リビングには、俺と天宮さんだけ。
◇ ◇ ◇
「この前の勉強会から、なんか祐くん、私に距離置いてる気がして……
私、何かしたかな?」
「そんなことないよ」
「でも……凛ちゃんといるときのほうが、
祐くん、すごく楽しそうに見えた」
「それは――」
言葉がうまく出てこない。
「私、凛ちゃんのこと好きだよ。でも、
祐くんが誰かと仲良くしてると、
なんか……私だけ置いていかれるみたいで、
すごく不安になるんだ」
天宮さんは、ぎゅっとスカートの裾を握りしめる。
「ごめんね、こんなこと言いたくなかったけど……
私、祐くんが本当に私のこと好きなのか、
だんだん自信がなくなってきて……」
「そんなことない! 俺は天宮さんが――」
気づけば、声が大きくなっていた。
「……ごめん。
でも、俺も正直どうしていいかわかんなくて、
最近、天宮さんにどう接したらいいか自信がなくなってきたんだ」
天宮さんの瞳が潤む。
「……じゃあ、もう私といるの迷惑?」
「そんなこと、一度も思ったことない!」
「……じゃあなんで、そんな顔するの?」
「俺だって、全部うまくできてるわけじゃないんだよ!」
「そんなの、わかってるけど……!」
言葉がぶつかり合い、
お互いに涙がにじむ。
「……今日は帰る」
天宮さんは、玄関で振り返らずに外に出ていった。
◇ ◇ ◇
玄関のドアが閉まる音が響いて、
家の中が一気に静かになった。
母が心配そうにリビングを覗く。
「大丈夫? けんかしちゃった?」
「……ちょっとだけ」
「恋人同士なら、喧嘩も成長のうちよ。
でも、ちゃんと向き合ってあげなさいね」
母の言葉が、やけに重く心に残った。
◇ ◇ ◇
自室に戻ると、
ベッドに寝転んで天井を見上げた。
どうしてこんなことになったんだろう。
天宮さんに“好き”ってちゃんと伝えたつもりだった。
でも、それだけじゃ足りなかったのかもしれない。
LINEを開いても、天宮さんからの返信はない。
未読のまま、画面に夜の光だけが反射していた。
◇ ◇ ◇
スマホが震えた。
ディスプレイに「凛」の文字が浮かぶ。
【凛】
「澪ちゃん、大丈夫そう?」
俺はしばらく悩んでから、返信を打つ。
「ごめん。さっき大喧嘩しちゃったかも」
【凛】
「そっか……ふたりとも、ほんとはすごく不器用だもんね」
「俺、もっと天宮さんのこと大事にしたいのに、うまく伝えられないんだ」
【凛】
「祐くんは十分優しいよ。でも、たまにはちゃんと本音をぶつけ合ったほうがいいかも」
「……そうだよな」
ふたりきりで話しても、
凛の明るいLINEでも、
どうしてもこの気持ちの落ち込みは消えなかった。
◇ ◇ ◇
ベッドに転がりながら、
夜の静けさの中でひとり反省会を始める。
思い返せば、
天宮さんはいつも俺のことを気にかけてくれていた。
でも俺は、
「みんな仲良く」
「空気を壊したくない」
そんなことばかり考えて、
大切な人の心の声を見過ごしていたのかもしれない。
胸がズキリと痛む。
◇ ◇ ◇
翌朝。
学校の門をくぐった瞬間から、
空気が昨日とまったく違うことに気づく。
天宮さんは教室の端で、
クラスの女子に囲まれて小さく笑っているけれど、
俺の方はまるで見ていない。
「田所、昨日大丈夫だったか?」
浅野がこっそり声をかけてくる。
「……まあ、喧嘩した」
「たまにはガチでぶつかるのも必要だぞ。逃げんなよ」
「逃げてないつもりなんだけどな……」
自分でも、自分の正直な気持ちが見えなくなっていた。
◇ ◇ ◇
休み時間、
天宮さんと目が合った。
でも彼女はすぐに視線をそらしてしまう。
(このままじゃ、本当にダメになる――)
胸の奥に、そんな焦りが芽生えはじめていた。
◇ ◇ ◇
放課後、
教室に最後まで残っていたのは、俺と天宮さん、そして凛だけだった。
「田所くん、ちょっと話そう」
凛が静かな声で言う。
天宮さんも、なぜかそのまま隣に座った。
「ねえ、二人とも……昨日何があったの?」
凛の問いに、天宮さんは少しだけ唇をかんでから口を開いた。
「……祐くんが、最近私のこと避けてるみたいで、不安だったの。
でも、私もうまく言えなくて……気づいたら喧嘩になっちゃった」
「俺も、天宮さんのことちゃんと大事にしたいのに、
言葉にできなくて、逆に傷つけてしまった」
ふたりとも、うつむいたまま、なかなか顔を上げられなかった。
「私ね、ふたりが仲良くしてるの、すごく嬉しいんだよ?」
凛がぽつりと呟く。
「でも、私がいると二人の空気が変わるなら、私、ちょっと距離置いた方がいいのかなって思った」
「そんなことないよ!」
天宮さんが反射的に言葉を返す。
「凛ちゃんがいたから、
私も祐くんもたくさん笑えた。
でも、ちょっとだけ……寂しくなったのも本当。
それを素直に伝えられなくて、
どうしていいかわからなかった」
「ごめん、俺も……凛が悪いとかじゃなくて、
自分の気持ちをうまく整理できなかったんだ」
しばらくの沈黙が流れる。
「私ね、澪ちゃんのこと、ずっと一番の親友だと思ってる。
祐くんとも、友達でいたい。
でも、澪ちゃんが寂しいなら、ちょっと控えるから……」
「凛ちゃん……」
天宮さんの目に、じんわり涙がにじむ。
「違うの。
凛ちゃんと祐くんが話してるのを見るのは、本当は嬉しいの。
でも、その中に私が入っていけないとき、
自分の居場所がなくなるみたいで……すごく怖かった」
俺も思わず拳を握りしめた。
「天宮さん……俺は、天宮さんがいないとダメだ。
もっとちゃんと、自分の気持ちを言葉にする。
今までは“誰かを傷つけないように”ばかり考えてたけど、
本音をぶつけなきゃダメなんだって、やっと気づいた」
「私も……。
祐くんに素直になれない自分が嫌だった。
もっと信じて、もっと頼りたかったのに……」
そのまま、天宮さんはポロポロと涙をこぼす。
凛がそっとハンカチを差し出した。
「ふたりとも、泣き虫すぎ!」
でも、その声は優しかった。
◇ ◇ ◇
しばらくして、
天宮さんが、涙をぬぐいながら小さく笑った。
「……ごめんね、みんなに迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃないよ」
俺も、まっすぐそう返した。
「……ありがとう」
三人で並んで座ったまま、
しばらく何も言わず、夕焼けが差し込む教室で、
静かに時間が過ぎていった。
◇ ◇ ◇
夕焼けの差し込む教室で、
三人はただ静かに座り続けていた。
泣き腫らした目で天宮さんが小さく笑う。
「私、祐くんのこと、やっぱり大好き。
それだけはずっと変わらないよ。
でも、不安になったときは、これからちゃんと言うから――
そのとき、ちゃんと受け止めてくれる?」
「もちろん」
俺はまっすぐうなずいた。
「俺も……不器用だけど、天宮さんのこと、これからは絶対ごまかさないで話すよ。
嬉しいことも、困ったことも、全部」
天宮さんの目が少し潤んで、やがて力強く頷いた。
凛は二人を交互に見つめて、
「いいなぁ、青春だなぁ」と
ちょっとからかうように笑う。
「でも、私も親友だからね。
ふたりが困ったら、絶対間に入るから」
「ありがとう、凛ちゃん」
「ありがとな、凛」
三人で声を合わせて、また笑った。
◇ ◇ ◇
それぞれ帰り道は別々。
でも、さっきまでのぎこちない空気は、
もうどこか遠くに消えていた。
家に帰ると、母が迎えてくれた。
「顔、泣いてた?」
「……ちょっとだけ」
「喧嘩したなら、ちゃんと仲直りした?」
「うん。色々、話せた」
母は優しく頭を撫でてくれる。
「恋愛も友情も、
本音をぶつけ合ってこそ深まるもんだよ。
うまくいかない日があるのは当たり前。
でも、それを乗り越えられるなら、
きっとまた、もっと強くなれるから」
その言葉が、心にじんわり染みていった。
◇ ◇ ◇
夜、スマホにメッセージ。
【天宮さん】
「今日は、たくさん泣いちゃってごめん。
でも、祐くんと凛ちゃんとちゃんと話せて、
すごくスッキリした。
明日からまた、私なりに頑張るね」
【凛】
「ふたりとも、ちゃんと仲直りできてよかった!
これからは、遠慮せずに何でも話してね」
ふたりのメッセージを眺めていると、
胸の奥にほんのり温かい光が灯った。
「これからは、逃げずに向き合おう」
俺は心の中で、そっと決意する。
◇ ◇ ◇
翌朝、
いつもより少し早く登校すると、
昇降口で天宮さんとばったり会った。
「おはよう、祐くん」
「おはよう」
照れくさい沈黙。
だけど、昨日までのぎこちない距離は、
少しだけ縮まっている。
凛もすぐにやって来て、
「おはよー!」と満面の笑顔。
三人で歩く道は、
昨日よりも少しだけ明るい気がした。
◇ ◇ ◇
朝の教室。
天宮さんはいつもの席に座り、
俺が近づくと、ほわっとした笑顔を向けてくれた。
「昨日はごめんね」
「いや、俺もごめん」
互いに、肩の力が抜けたように
自然と笑い合うことができた。
凛が元気に教室へ飛び込んでくる。
「おっはよー! 今日からは“遠慮なしトリオ”だよ!」
その声に、クラスのみんなが振り向く。
「田所、天宮、水瀬、お前ら最近さらに仲良くなったなー」
「なんか、空気変わった?」
「もしかして、三人でなんかあった?」
みんなの声や視線がちょっとだけくすぐったい。
「秘密!」
凛がウインクして返すと、
天宮さんも俺もつられて笑ってしまう。
◇ ◇ ◇
放課後。
いつもの三人で駅前の公園へ寄り道。
ベンチに並んで腰かける。
天宮さんがふと、小さな声で言った。
「……これからも、三人で、
でもちゃんと、私と祐くんの時間も大事にしたい」
「もちろん」
「当たり前でしょ!」
凛がすかさず手をあげる。
「じゃあ、今度の日曜は三人で出かけて、
次の土曜は、祐くんとデート!」
天宮さんの宣言に、
俺も凛も「賛成!」と笑顔で答える。
今日の空はどこまでも高くて青い。
◇ ◇ ◇
別れ際、
天宮さんがそっと俺の腕を取った。
「……祐くん。
昨日はあんなに泣いちゃったのに、
今はすごく幸せだよ」
「俺も。
たぶん、これからもいろいろあると思うけど……
ちゃんと乗り越えられる気がする」
「うん。大好き」
恥ずかしそうに微笑んだ天宮さんの表情が、
とても綺麗だと思った。
◇ ◇ ◇
家に帰る道すがら、
LINEが届く。
【凛】
「これからも三人でたくさん思い出作ろうね!
親友で、仲間で、時々は恋の相談役!」
画面を見つめて、
じんわり胸が熱くなる。
俺たちはきっと、
まだまだ大人になりきれないまま、
それでもゆっくりと“本気の青春”を積み重ねていくのだと思う。
◇ ◇ ◇
その日、ベッドで目を閉じたとき、
涙の夜も、ぶつかった心も、
全部が今の幸せに繋がっていると、
少しだけ自信を持てる気がした。