死の後始末
1916年6月上旬・夜明け前
ヴォー要塞内部には、あの熾烈な戦闘の影も形もない、凍るような静けさが広がっていた。
泥に埋もれた通路、崩れた天井、折れた銃剣。
だが、もっとも重くのしかかっているのは、死者の存在感だった。
小松一等兵と黒木一等兵は、衛生兵たちと共に、倒れた兵士たちの遺体をひとつひとつ運び出していた。
担架に載せるたびに、衣服が引っかかり、泥と血が滲む。
黒木(右肩を吊りながら):「……あいつ、原田ばいな」
小松:「……唐津から来たって、ずっと言いよったな。母ちゃんの話ばっかりしよった」
担架に乗った原田の顔は、まるで眠っているようだった。
その手には、折れた木製の数珠が絡みついていた。
小松:「弾が止まって、風が吹いた時の音ば、覚えとくわ。あいつの最後ん息やった」
その頃、要塞南東の医療壕では、山下大尉が負傷した左脚の手術を終え、麻酔の切れかけた意識の中にあった。
軍医:「破片は摘出しました。骨にはかすってますが、神経損傷は軽微。快癒に向かいます」
小畑大尉:「ふん……よかった。てっきり左脚、持ってかれたかと思ったわ」
山下大尉(弱く):「……俺の脚より……小松たちの方は……」
小畑:「死んだのは原田だけや。黒木は肩がやられたが、生きてる。……お前の命令、守ったぞ。死守や」
山下はかすかに笑い、目を閉じた。
戦死者23名。うち日本兵5名。
フランス軍と協力して、要塞裏手の斜面に臨時の共同墓地が築かれた。
墓標は木製、氏名と階級、出身地が記された。
神父と僧兵の混合による簡易式。小松は帽子を脱ぎ、頭を下げた。
小松(小声):「……原田。母ちゃんには、俺が伝えるけん。唐津ん海がきれいやったって話、話してくれたろ。俺、覚えとるけん」
黒木は隣で黙ったまま、右手で黙祷を捧げた。
数日後、フランス軍および連合軍上層部は、日本陸軍第十二師団の要塞防衛戦における功績を正式に認定。
•山下奉文大尉、小畑敏四郎大尉にフランス軍功章授与(後日)
•原田幸作一等兵に戦死叙勲(従六位・勲八等)
•小松、黒木らにも部隊内表彰と一時帰隊猶予
また、この戦闘の実績は、在欧日本軍司令部から東京の大本営へと送られ、
「大日本帝國陸軍が列強に伍して戦える実力を持つことを実証した」と報告された。
戦場には沈黙が戻っていた。
だが、それは何もなかった静けさではない。
死んだ者たちが残した声なき誇りが、瓦礫と塹壕の間に、たしかに残っていた。
小松は空を見上げた。
小松(小さく):「……次は、俺たちの番やな」
黒木(静かに):「ああ……生きて帰らんと、原田に怒らるっばい」
そして、また彼らは銃を手に取り、
フランスの空の下、赤土を踏みしめた――。




