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谷口家

佐伯家が日々を懸命に生きているのと同じ頃、大阪・西成。

鉄と火の町にある谷口鋳造所は、朝七時にはもう炉に火が入り、煙突からはうっすらと灰色の煙が昇っていた。



谷口徳松は、職人を束ねる町工場の親方である。

鋳物の型枠を見つめながら、ひときわ大きな声で息子に怒鳴った。


徳松:「おい、次郎! 型に砂が詰まってへん! これじゃ湯(溶解鉄)を流したときに型が崩れるやろ!」


次郎:「す、すまん、親父……やり直すわ」


徳松:「ええか、戦地の鉄道にこの継ぎ手が使われるんや。外れてみぃ、列車丸ごと落ちよるぞ」


隣で働く職人の村川が口をはさんだ。


村川:「けど親方、こんだけ注文が来たら、そら急ぎますて。人手が足りんのが根やおまへんか?」


徳松:「そや、分かっとる。けど“早よて雑い”はあかん。“早よて丁寧”や」


徳松:「あの安田とか三井とかが利益爆発やてな。せやけど、うちみたいなとこは、油一滴も無駄にでけへんのやで」


村川:「工場が儲かってると思てる連中が一番楽や。仕入れも光熱費も全部上がっとるっちゅうに」


職人たちは「働けば日銭は入るが、使い道は減る一方や」と苦笑いしていた。



妻の千代は、台所で帳面をつけながら、鍋の中身を見てため息をつく。


千代:「油かすがまた1厘上がってたわ。せやけど味噌汁の具がこれだけじゃ、また“工場の子はやせてる”って言われるわ」


徳松:「なんやと。次郎はよう食うぞ。肉はなくても、味噌汁に根菜入れとけば大丈夫や」


次郎:「せやけど親父、せめて漬物は“たくあん”にしてぇな。塩昆布ばっかりやと飽きるで」



夕食後、家族が新聞を囲む。紙面には「三井物産、空前の純益」「満洲・朝鮮への輸送網拡充」などの文字が躍る。


次郎:「学校の先生が言うてた。“ヨーロッパで塹壕の中で死んでるのに、日本の株は上がってる”て」


徳松:「人の死と商いは別物や。けど……どっかで帳尻は合うもんや。工場の火が止まったら終いなんやから」


千代:「こないだ浅草から来たお姉さんが、“活動写真の人気がえらいことになってる”言うてたわ。みんな笑いが欲しいんやろな」


谷口家は、火と鉄と汗に囲まれて、己のやり繰りで今日を生きていた。

景気がどうであれ、“鍛えたものだけが残る”と信じながら。


物価変動の具体例

•銑鉄(台湾・朝鮮から輸入)……昨年比+38%

•石炭(釜炊き用)……昨年比+45%

•機械潤滑油(高品質)……品薄かつ3割高

•水枠砂(鋳型用)……安定しているが運賃上昇中

•熟練職人(日給):60銭 → 75銭

•若手見習い(日給):30銭 → 38銭

•家族手伝い(次郎):月3円支給(実質無給)

•米(10升):1円57銭

•味噌(1斤):10銭

•油かす(炒め物用):14銭

•石鹸:1個3銭

•酒(安物):1升18銭

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