泥の中の家
1915年5月12日。第二次アルトワ会戦における攻勢が一段落し、日本陸軍遠征軍は新たな戦略目標として「持久防衛」を掲げ、アラス南方の戦線において塹壕線の再配置と防衛体制の整備を本格化させた。
アラス郊外の旧ブリッツ谷に近い丘陵地帯に設営された司令部仮設壕では、各師団の工兵中隊長と幕僚参謀が地図を広げて協議にあたっていた。
工兵少尉(第九師団):「この区域、雨が降れば水が溜まります。地盤が泥炭層で、地崩れの恐れもある。防御陣地の構築には向きません」
田中中尉(幕僚参謀):「となれば、この丘の背面……緩やかな傾斜を利用し、逆斜面陣地にするのが良い。視線を遮ることで、敵の観測砲撃を防げる」
日本軍はまず、三個師団を再編成し、塹壕線を「三重層」に構築した。最前列は歩哨および偵察拠点、第二列は戦闘用塹壕、第三列には予備兵力・医療所・兵站線が配された。
黒木為楨中将(第一師団長):「前線は捨て塹壕としてもよい。戦闘は第二線が主となるように。弾薬と兵站は、第三線で守る。兵の疲弊が顕著である。入れ替え制で勤務させよ」
通信線は野戦電話と鳩通信に加え、仏軍との連携のためにフランス語と英語が話せる将校を随所に配置。
また、第一次大戦で初めて導入された防音掘削技術を活用し、敵に察知されにくい「隠密掘進」も開始された。
中村覚少将(第十二師団長):「我が工兵、仏軍の技術を吸収し始めております。地雷防止柵、逆斜面陣地、浸水防止溝、どれも即実行可能」
野戦病院も移設され、アメリカ赤十字団と共同で衛生環境の改善が進められた。輸送には仏軍の軽軌鉄道網を活用し、荷車部隊の消耗を軽減。
大迫尚敏中将(第九師団長):「この戦は、兵站の整備なくして戦えぬ。我が軍の持久力が試される時だ」
各中隊は輪番制で戦闘線に立ち、1週間交替で塹壕の巡視・補修・警戒任務についた。兵士たちは泥濘に悩まされながらも、フランス軍工兵と協力し、徐々に地形に適応していった。
村井二等兵:「ほやけど、三好、なんや……泥の中で寝るのも慣れてきたなぁ」
三好一等兵:「ほーやちゃ。お前、昨日なんか泥の上で鼾かいて寝とったがいや」
村井:「この前の突撃よりゃ、泥ん中の方がずっとマシや……生きとるだけで、ありがてえ」
戦火の嵐が過ぎ去った後の一時の静けさの中、日本軍遠征軍は、異国の地に築き上げるべき「第二の前線」として、この塹壕を自らの拠点として整備し始めていた。




