三位一体
大正3年以降、日本本土では工業都市への人口集中が加速した。
特に東京、大阪、名古屋、北九州では農村部からの労働者移住が増加し、地域社会の構造を大きく変えつつあった。
大阪市役所経済局の統計官・吉井光一は、当時の報告書にこう記している。
「本年(大正4年)春の段階で、大阪市内に居住する新規流入人口のうち、
15歳から30歳の男性は全体の62%を占める。
このことは労働力需給の点では歓迎すべきであるが、
同時に下層住宅・教育機会・衛生環境に対する社会的圧力を急増させている」
実際、長屋形式の借家地が広がる西成・天王寺地区では、
1戸あたり8人以上が同居する例もあり、
感染症の蔓延と就学率の低下が深刻な課題となり始めていた。
内務省衛生局では、以下のような都市政策を打ち出している:
•地方自治体と連携した**「市営住宅試験事業」開始**(東京・大阪・名古屋)
•小学校就学率向上のため、夜間補習所設置を促進
•都市スラムの衛生状態改善に向けた井戸・水道・共同便所整備への補助金交付
さらに文部省では、教育機会格差の是正を掲げ、
東京・大阪・京都に「職業補習学校」「青年訓練所」制度の導入を進めた。
これにより、低所得家庭出身の少年にも、
基礎的な工業技能・商業知識・衛生学などを教える仕組みが整い始めたのである。
政府の目標は――
**「20年後には、部品単位で欧米と同等の精度を自前で出せるようにする」**という技術的指針を支えるために、
制度的・社会的な基盤づくりを並行して進めることにあった。
**大正3年から大正4年(1914年)**の間に、欧州大戦が勃発すると、
大日本帝國の外地政策にも大きな影響が及んだ。
英仏蘭の植民地商品が一時的に市場から減退したことで、
台湾の砂糖、朝鮮の米、満洲の鉱石・雑貨は相場を押し上げ、
帝國全体として大戦特需による輸出益が飛躍的に増加した。
この波に乗り、外地における人的資源整備も制度的に進められる。
1915年、京城では朝鮮総督府による「実業教育拡張計画」が始動し、
咸興・大邱・釜山における高等農林学校・工業伝習所の増設が決定された。
台北では台湾教育令に基づく「国語学堂」および「農業補習所」の拡充が進み、
満洲では南満洲鉄道付属の実業学校が新京・奉天の二都市で整備され、
機関工・保線技術者の養成が始まっていた。
大戦による海上物流の混乱により、
国内生産力への依存度が高まるなか、
帝國政府は「外地からの人的・物的支援なくして、内地の工業発展は維持できない」と
再認識するに至る。
大蔵省・内務省・拓殖局の三者は以下のような構想を協議していた:
•外地からの熟練工・技術補助員を内地へ季節労働者として誘致するモデル制度
•外地実業学校卒業者に対する帝都・関西圏企業への優先就職枠付与
•満洲の鉄鉱資源と労働力を背景にした内地鋼鉄需要対応の基幹計画(戦時民需転用型)
こうして、内地と外地の「教育・労働・工業生産」が三位一体で回り始めた背景には、
第一次世界大戦による“世界の空白”に、大日本帝國が自らの経済圏を押し出す機会を得たことがあった。




