― 明治三十八年六月、帝国の栄光と疲弊のはざまで ―
明治三十八年六月。
帝国議会の御簾の奥に立ち込める暑気と緊張感の中で、政界の重鎮たちは沈黙のなかに各々の思考を潜ませていた。
日本海海戦――。
世界史にその名を刻んだこの大勝は、国内を熱狂に包み、列強を驚かせた。連合艦隊司令長官・東郷平八郎の冷静沈着な用兵、そして参謀長・加藤友三郎の策謀が、バルチック艦隊を壊滅させたのだ。
勝利の報は新聞号外を通じて瞬く間に国中を駆け巡り、人々は手ぬぐいを振って万歳三唱を繰り返した。
だが、戦争は未だ終わっていない。
艦隊を失ったロシア帝国は、なお満洲と朝鮮半島に地上兵力を残していた。前線の陸軍は、激戦を続け、兵は凍土と飢餓のなかで消耗している。
「――講和を急ぐべし」
そう主張したのは、元老・伊藤博文であった。
六月二日、御前会議に先立つ元老会議の席上であった。
「今こそ、最上の果実を刈り取るべき時ですぞ。あまりに長く戦端を引けば、国力は枯渇する。国民の忍耐にも限りがあります。ロシアとの講和、早ければ早いほどよい」
伊藤の口調は穏やかだが、その眼差しは鋭かった。
隣席の山縣有朋が無言で杯を置く。
「……あの勝利の後に講和を言えば、国民はどう思うか。逆賊、敗北主義者との誹りを受けるやもしれんぞ」
「勝っている今だからこそ、和平が得られるのです。有朋公、あまりに民意を恐れてはならぬ。これは国家の大計です」
伊藤の言葉に対し、山縣は眉を潜める。彼は軍人であり、戦を引き受けた者として、兵を見捨てる判断には慎重であった。
「小村(寿太郎)は何と申しておる?」
桂太郎内閣の外相・小村寿太郎は、講和交渉の実務を担う立場にあった。小村はこのとき、アメリカ・ルーズヴェルト大統領の仲介に期待をかけ、すでに密かに接触を始めていた。
「小村は講和に同意しております。諸外国の斡旋の道が見えれば、我が国にとっても体面を保てましょう。問題は……要求の線です」
伊藤は語尾を濁した。
日露戦争が始まった当初、日本は「朝鮮半島における優越権の承認」「満洲からのロシア撤兵」などを目的として掲げていた。しかし今、国民の熱狂はそれを超えて、「賠償金」「領土割譲」を当然と捉えていた。
「……国民は、血を流し、税を納めてきた。なればこそ、得るべきものを得たと思わねば、収まるまいな」
山縣の言葉に、伊藤も静かにうなずいた。
「ゆえに、我ら政治家は、民意と現実のはざまで、巧みに渡り合わねばなりませぬ」
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六月五日。
東京、赤坂離宮。明治天皇の御前において、臨時の閣議が開かれた。
この日の議題は、講和交渉の可否、そしてアメリカ大統領セオドア・ルーズヴェルトによる仲介提案への対応である。
出席者は以下の通り。
内閣総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎、海軍大臣・山本権兵衛、陸軍大臣・寺内正毅、大蔵大臣・渡辺国武、逓信大臣・後藤新平、司法大臣・児玉秀雄、文部大臣・西園寺公望……。錚々たる面々が顔を揃えた。
桂太郎が口火を切った。
「……帝国政府は、アメリカ合衆国の仲介を受け入れ、講和に向けた道を探るべきと考えます。これ以上の戦争継続は、財政上も国民の精神上も、限界であります」
山本権兵衛がうなずく。
「海軍も、損耗が著しい。日本海海戦で艦隊を撃滅したとはいえ、補給艦、砲弾、船員の疲弊は深刻であります。再戦を想定するには、数年を要します」
桂が視線を向けたのは、小村寿太郎である。
小村は一礼し、手元の文書を広げた。
「合衆国大統領ルーズヴェルト閣下は、すでにロシア側と接触を試みております。正式な回答を得てはおりませんが、交渉開始の可能性は高い。もし受け入れられれば、我が方の主張を明確にする必要がございます」
「主張とは……すなわち、賠償金と領土の問題であろう」
と寺内正毅が低く唸る。
「戦争で負けた国が賠償するのは当然だ。南樺太はともかく、賠償金は避けて通れぬ」
「……それが、最も難しいところであります」
小村が淡々と告げる。
「ロシアがそれを拒めば、交渉は決裂します。ルーズヴェルトは、仲介の前提として『過度の要求を控えること』を暗に求めております」
会議室の空気が、凍りついた。
無言の中で、桂太郎は天皇の顔色を一瞥し、続ける。
「天皇陛下におかれましては、いかが御裁可を賜りますや」
明治天皇は、短く沈黙した後、口を開いた。
「国民の感情もある。しかし、余は、民の命を思う。……もはや、これ以上の戦を続けるべきではあるまい。和を以て、戦を止めよ」
桂は深々と頭を下げ、他の閣僚たちも一斉に拱手してこれに応じた。
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こうして、日本政府は正式にアメリカの仲介を受け入れ、ポーツマスでの講和会議に向けた準備を始めるのである――。






