講和か、継戦か
ポーツマスでの講和交渉が現実味を帯びていく中で、桂内閣には見えざる重圧がのしかかっていた。国内では海戦の大勝に沸く国民が、まるで「当然の結果」のように、莫大な賠償金とロシアの屈服を求めて声をあげていた。
「――講和などあり得ぬ! 国賊政府を倒せ!」
明治三十八年六月、東京市内では、講和に傾く政府への抗議集会が続発し、いくつかは暴徒化し始めていた。新聞各紙は論説において「賠償なき和平は敗北に等しい」と煽り、政治家たちをして頭を抱えさせた。
内閣では、首相桂太郎が焦燥の色を隠せずにいた。彼にとって今、最大の難敵は軍部でもロシアでもない。味方であるはずの政友会と、そして――山縣有朋その人であった。
⸻
六月十日、閣議後の別室。
桂と小村寿太郎が密かに対話を交わしていた。
「……桂閣下、正直なところを申します。国内世論は制御不能に近づいております」
「わかっておる……。わかっておるが、今ここで戦を続けるなど、狂気の沙汰だ」
小村はその眼鏡の奥に、一抹の諦念を浮かべていた。
「講和は戦略として正しい。だが、正しさだけでは政はできぬ。それを証明するのが政治家でしょう」
桂は息を吐き、しばし沈黙した。小村は誰よりも有能な外交官であったが、同時に冷徹すぎると評されることも多かった。現実主義と理想主義の狭間に揺れる桂は、彼のような男に助けられつつも、その非情さに距離を感じてもいた。
「……山縣公は、まだ賠償と樺太の割譲を強硬に主張しておる」
「ええ。あの方は、勝った戦は全てを得るべきだとお考えです」
「伊藤公とは、もう話し合ったのか?」
「はい。伊藤公は、和解の道を模索されておられます。ただし、“国民の怒りを吸収する装置”を用意せねばならぬと」
「装置……?」
「すなわち“英雄”です」
小村は、意図を含んだ口調で言った。
「海軍を持ち上げ、国民の感情を満足させる。東郷大将、そして秋山真之といった勝者たちを、国威の象徴として扱えば、民衆の怒りの矛先は幾ばくか逸らせましょう」
「国威の英雄で国民を黙らせる、か……」
桂は皮肉めいた笑みを浮かべた。だが、それは現実的な策だった。日本海海戦の映像や絵葉書はすでに市井に出回り、東郷らはすでに“活きた神話”になりつつあった。
「では……その英雄たちを、表舞台へ立たせるか」
「そして、その裏で我々は、講和という冷徹な現実を遂行するのです」
⸻
同日夕刻。赤坂の元老会議。
山縣有朋は、重々しく口を開いた。
「……帝国は勝ったのだぞ。ならば勝者にふさわしい果実を得ねばなるまい。賠償なき講和など、弱腰政府の象徴に他ならぬ」
その傍らにいた伊藤博文が、穏やかに応じた。
「果実を得たければ、まず木を枯らさぬことです。有朋公。戦を続けて国が破れれば、勝っても意味を失いますぞ」
「破れるとは、弱気な……!」
「では尋ねます。有朋公、陸軍にまだ余力があるとお思いですか?」
伊藤は、山縣の目を見据えた。
「輜重は?兵の士気は?……これ以上、一体どこで戦い、どこで勝利すると言うのです?」
「……」
「我らは武をもってして、相手を打ち負かした。それ以上、何を望むのですか?」
会議室には、一瞬の沈黙が流れた。
それを破ったのは、意外にも西園寺公望だった。
「国民の感情を満足させる講和を……つまり、結果だけを見せればよい。交渉の中身は、多少譲歩があっても、外には“勝利の印象”を与えればいいのです」
「印象操作か」と山縣が苦々しく言った。
「ですが、それが政というものです」と西園寺は微笑した。
⸻
このあと、日本政府は正式にルーズヴェルト大統領に講和仲介を要請し、ポーツマス講和会議へと向かう準備を整えていく。だが、その舞台裏には、今後の外交・経済・国家戦略を大きく左右する「一通の提案」が、密かに届こうとしていた。
その名は――ハリマンの共同鉄道経営案。




