8 御言(みこと)ある処
あの世界にくらべると、教室のせまさといったらなかった。
室内も廊下も、活気づいて騒々しい。どうやら帰りのSHRが終わったばかりのようだ。
週末に高校総体を控え、運動部の生徒たちが快活にことばをいきかわして去っていく。その後すぐ高校最初の定期テストが待っているせいか、他の生徒も皆、いつもより多少、昂揚している。普段は部活なり帰宅なりにわかれるのを、何人かで残ってたむろする者がふえている。
愛乃は今週、掃除当番だった。気がつき、いそいでロッカーにむかったが、箒もモップもはけている。メンバーたちがもうとりかかっているのだ。
困惑しつつ、のこされた塵取りを手にとり、室内の机と椅子の整頓を始めた。
「愛乃」
床を掃きながら、同じ班でもあるユミが近くを通りかかる。
なんだか、瞬間的に泣きそうになった。
「ユミ……」
「ノート?」
「お願い!」
片手に塵取りを持ったまま、ぱんと手を合わせる。それから、あれ、と思いかえした。
「何でわかったの?」
「山勘だよ~。ぼーっとしてるから」
そう? と愛乃はこたえ、手の甲で頬をおさえる。いや、一応、塵取りを持っていない方の手だが。
あたった、と、おっとりつぶやいて、ユミは口調に似合わないてきぱきした動作で掃きすすんでいく。
追いかけるようにして、愛乃はユミの掃いたそばから机と椅子をならべ直した。
なにかいいたかった、というか、できることなら相談したかったが、なにも出てこない。
何といえばいいだろう? あの白昼夢、白昼夢? わけのわからん現象について。
頭の中がごちゃごちゃになる。突拍子もないというか、荒唐無稽すぎてというか。
どっちかというと。
(途方もない……)
人に話すのは無理だ。
説明できない。若干、目の前がくらくなったような絶望感を味わった。
みこめ、と、なにもかもあの幼女のせいにしておく。そうしているうちに、モップと箒が一点にあつまってきたので、ようやく塵取りの出番となって駆けつけた。
最後にゴミ箱のゴミを集積所においてくれば、掃除は完了だ。最初、出遅れたため、あまりに何もしていないので、愛乃はその役を買って出た。
班員が解散する中、ゴミ袋を手にあるきだす。ユミがぶらぶらとついてきてくれる。本当は一刻も早く、部活にいくべきところだろうに。
「愛乃、大丈夫なの? 最近、変だよ」
「やばい。マジやばい。ごめん、ほんとたすけて」
多分、異様にシリアスに応じてしまったが、ユミはのんびり首をかしげただけだった。
なにも説明しないで助けだけもとめるなんて、身勝手すぎると自分でも思うが。
かえってきた返事は、説明なんてもとめていなかった。
「何してもらおっかな~」
「えっ。報酬制!?」
そういう感じ!? 愛乃は思わずユミをふり仰ぐ。
ユミは楽しげに口笛を吹き、手ぶらで愛乃の先に立っている。
(そんな。みこのせいで。失うものが多すぎるわ)
気の合う友人なのに、関係が壊れかねない。
いや、きっと、ユミは心配してくれているだけで、そんなことする柄じゃないと思うのだが。
「来週カラオケいくよね。ごはんがいいかな~。あ、強制闇カラ熱唱リクエストかな~」
うん、多分、……おそらく。
「勘弁して……」
「冗談だよ~。マジえげつない。わたしが休んだときは、よろしくね」
よかった、冗談か……ほんとだよね、よかった……。
しらぬ間に涙目になりながら、愛乃はこくこくと何度も首肯したのだった。
◇
日が暮れて、広間には飲みものと食べものが運びこまれている。真ん中よりこちら寄りに火桶のような、かまどのようなものがおかれ、火明かりが辺りを照らしている。愛乃がわりあい奥まった莚からみまわすと、ほどなくして入り口にアマンがあらわれた。
すぐそばにノヤとヨクがいる。ヨクはなにもいわず、こっちをみもしないが、それはかえって、みこの中身が愛乃にかわったことをさとったからだとしれる。
アマンが広間のもっとも奥に腰をおろして、手を打ち鳴らした。奥といっても、窓の前からは少し外れている。
「客人は語り部だ。皆、楽しもう」
短い声掛けとともに、宴が始まった。邑の母というからには偉い人じゃないかと思うのだが、アマンと邑人たちとのあいだには垣根がないようだった。
ヨクは前もみたように、酒とさかなを楽しみながら、場の盛りあがってきたところで謡い、讃えられてさらに盛り立てる。ノヤも請われて鳴物をきかせた。どれをとっても大喜びで、邑の人々はとても賑やかだ。
ここでも、集っているのは、ヨクほどではないが歳とった男と、若い娘が多い。
愛乃は輪に加わるようで加わらず、そこらをながめまわしていた。
前とちがって食べものの数が多い。中でも、なまのくだものがなかなかおいしい。
邑の男どもが歌い、笑っている。その向こうで、ヨクが一人の娘と肩をならべて、どさくさ紛れに広間を出ていくのをみてしまった。
あいた口がふさがらない。
(あ、あ、あのおじいさん……)
「酒はあるか?」
しらないうちにアマンが隣にきていた。愛乃はびくっとし、首を縦にふり、それからおずおずと横にもふった。
(いや、こんなこどもに酒って。関係ないのかしら)
よくわからない。みこにあてがわれた杯には、ノヤの注いだ、香りつきの水のようなものが湛えられている。
腰をおろしたアマンのこちらの隣では、ノヤがいくらか心をくだくかのように身じろぎする。ヨクとはまったくちがい、音色をきかせて間もなく愛乃のそばにもどってきたノヤである。
アマンが杯をあげ、うながすようにしてのんだので、愛乃もならって水をすすった。
「そのなりで旅とは、いくつ日を越えたのだ」
四方山話なのだろうが、早くも、こたえに詰まった。
アマンは大きな眼をじっとこちらにくれている。
「さあ、わかりません」
考えだすとあきらめを通り越して逆切れしそうな気がしたので、愛乃はなるべくぼんやりかえした。
アマンは小首をかしげる。
「遠かっただろう」
「おそらく」
「そのくせその手足だ」
「はあ」
「ただの童女だなど、誰も思わない」
おぉ……。
感嘆をのみこんで、愛乃はそっとアマンをふり仰いだ。
「少し見る目があればね」
アマンは思いのほかまじめな顔をしていた。
広間は相変わらず賑わっているのに、ここらだけ静かだ。
愛乃はみこの手を、白い、やわらかい、ふっくらした両手をしげしげとみた。
足もだ。傷ひとつない、血のいきとどいた美しい肌。
「ちょっと、きいていいですか」
ものは試しだ、と、いきなり思った。
「何だい」
「もりって、何ですか?」
しばらくうごきをとめたあと、アマンはなんともいいがたいしかめ面をした。
その顔つきで愛乃をみて、また前にむき直り、首をぐるりとまわした。それからうなじをおさえて目をふせた。
愛乃は黙って待っている。
「世のまほら」
深い、女にしては低めのいい声でこたえ、アマンはなにやらうらめしげにこっちを流しみた。
そんな眼でみられても。
またわからないワードが出てきた。まほら、ときこえたが。
まさか、ジャスト(=真)虚言(=ホラ)の意味じゃあるまいな。
もりは世のまほら。なんのこっちゃである。
「なぜきく?」
アマンに問われた。まだうらめしげな、かついぶかしげな目つきをしている。
初心者なもので、といいたかったが、それどこのRPGだと思いとどまった。
……RPGならまだいい。目的も終わりもあるのだ。
試みに、いくらか打ち明けてしまったら、少しはこの立場がわかるだろうか。
「しりたくて」
アマンはこちらをのぞきこむようにした。
「しらないのか」
「――」
みこは、しっているかもしれない。
「守は世のまほら。もっとも尊ぶべきところ。みことあるところだ」
身を立て直して告げるアマンを、愛乃はかえりみた。
《みことのきたるべき場》……。
いつか、あの幼女がそういっていたかもしれない。
「遠くおよばないが、いったろう、この邑もそうしたいと思っている」
「いいところですか」
「おかしなことをいうね」
ちょっと眉根をよせ、アマンはくすりと笑いをもらした。
「わたしはみたことはない。親から伝えられた。けものとくだもの、野と川と山、洋にめぐまれたみことある場だと」
愛乃は唇をむすんでいた。
アマンが、邑のあるべき姿としてめざしている場。それが《みことあるところ》。
みこが、《みことのきたるべき場》?
それから、何といっていたっけ。あの子は。
「語り部はみことを讃えて世をねりあるく。一人でね。つれがあるとはきいていない」
…………そうか。
思わず、ぐっと詰まった。
それで、はじめから疑われていたわけだ。なるほどである。
「だが、つれがあるならあるで、よろこんでいるんだよ。もっとも、このつれは、お前を離れるつもりがないのだな。惜しいことだ」
どうも、風向きが変わったというか、雲行きがあやしくなってきた。愛乃はアマンのことばを受け、こっち隣をつい、みやった。
熊のようにむすりといすわって、こそとも音をたてない、忠実なともがら。
なによりアマンは、このことをいいに、愛乃のそばへやってきたのだろう。
「お前が若い男を離さないと、娘たちがやっかんでいる。――アイ。ノヤを貸してくれないか?」
――。
えぇ…………。
愛乃は顔を思いっきりゆがめ、ぎしぎしと首をまわして、ノヤを頭から脚までみおろした。
そんなこといわれても。ああ、だから娘が多いのか。もしかして前のときも? そういうことだったのだろう。
(……わたしがこたえることなの、これは)
アマンはともかく、何をやってもヨクには溜め息をつかれそうだ。根も葉もないけれど。
宴がやや下火になってくると、ノヤと愛乃は席をさがるのをゆるされた。ただしくは、愛乃がゆるされ、ノヤはそれにつき添ったのだ。しょうがないよね、と、愛乃はこっそり己にいいきかせた。
(本人がいかないっていうんだから)
とりあえず、きいてはみたのだ。愛乃の判断ではどうかと思ったので。
ノヤはとまどったように、でもかたくなに首を横にふり、愛乃のそばを離れるふりすらみせなかった。
アマンは苦笑いしていたが、そのころには広間の娘たちも、ほとんどノヤから心が離れていたように思う。
(あのロリコンとか)
口さがないことになっていないことを、祈るしかない……夜道をたどり、昼間通された高い建物の、控えの間に落ち着くと、どっとつかれた。アマンや人々の眼から外れて、はりつめていたものがほどけたのである。
おこさまなためか、ひどく眠い。
床はととのえられていた。三つ。
そのうち一つがうまることはなさそうだ。
もう一つもうまらなくてよかったんだろうなと、ふと考えそうになって、ただちにやめた。
いけない。この上、ノヤにいなくなられては、あまりに心もとない。
みとめたくないが、愛乃がノヤを離さないといわれるのも、あながち言い掛かりでもないのかもしれなかった。
ノヤはまずみこの上着を脱がせ、幼子を床にいれると、己の毛皮を脱いで上掛けの上にかぶせた。
傍らにすわりこむ。どうやら、みこが眠るまで休むつもりはないようだ。ひょっとしたら、そのあとも。
横になり、あたたかい毛皮にくるまれて、愛乃は、ねぇ、と声をかけた。
ノヤの口から返りがない。いままで通りである。
「ヨク、……まだ怒ってた?」
寝間に窓はなく、入り口に立てかけた莚の上のすき間から、満ちていない月と星の光が僅かにさしこんでいる。
薄明かりに目をこらしても、ノヤがどうこたえているのか、清かでなかった。
わかっている。
あれから愛乃に会って、ヨクはひとことも口をきかない。
怒りがつづいているかはともかく、わだかまりが消えていないのはたしかなのだ。
「なにがいけなかったのかな――ノヤの鳴物に触っちゃだめだった? 大切なものなんだ、そうだよね……」
ヨクが謡でもてなされ、ねぎらい、いたわられるのなら、ノヤのそれは鳴物による。
ノヤはこたえない。否、なにか、またたいたり、こっちをみつめたりはしているのだが、愛乃にはその指すところが読みとれない。
みこならわかるのか。
ふと、苛立ちが湧いた。
愛乃のいったことは、まるきり絵空事にすぎない――こたえではないのだ。
なにかいいつのろうと、身をおこした矢先、入り口に人影が立った。
「それは、口がきけぬのですよ」
低い、低い、囁きほどかすかな声。みこの耳はそれを息遣いまでもらさずひろった。
莚をよせる音。その前にあったはずの、丸太組みのへりをわたってきた音は、ここにくるまでさとれなかった。
憤っていたからだろうか。
所詮、自分の体じゃないからか――。
ほとんど音もたてずに莚をもどして、ヨクはそろりと壁ぎわをあるき、片隅においていた杖を持ちあげた。
奥の寝床に横たえ、自らも腰をおろす。
夜闇にもわかりやすく、ゆたかな白い眉をひそめた。
「声をひそめてくださらないと、こまります。外までよくきこえましたぞ」
「あっ」
あの声で!?――じゃ、ない、そんな話をしたいんじゃなかった。なんだ皆みこレベルのハイスペック五感か。
(畜生、天敵のいない現代人はこれだから)
泣きそうになる。こんなに泣く方じゃないはずなのに。
ここと行き来するようになってからだ。おさえがきかないくらい、心が波立つのは。
「――~~」
ものがいえなかった。
隣の寝床から、こちらをみて、ヨクが話しかけてくれている。
それだけでわけもわからないほど、こみあげてくるものがあった。
ヨクにむかって膝を畳み、愛乃もすわりこむ。いまのうちに、話をしておきたいのに、涙をこらえるのにいそがしく、息もままならない。
「なにがわるかったん×□△○……」
涙声すぎて我ながらおどろき、口ごもってしまった。
大事なところだったのに。
ヨクは息すら控えめにしている。
「少し、お話をききました。しらぬならしかたないとはいえ、わしも譲れないものがあります」
はい、と、愛乃は頷く。
ちょっとわかりにくかったが、お話、というのは、それはつまり、みこのことばをいうのだろう、ヨクにとっては。
ヨクがちらりと愛乃のうしろをみると、たちまち、みこの背中に、やわらかな小さな調べがなでるようにそよいできた。
これまできいたものとは打って変わって、吐く息のような、うまく鳴けない梟のような、そのものがひそひそ話のような音。
音色にまぎらせ、ヨクはことばをついだ。
「御身は、器。そのお体はゆくゆくは、みことのやどるところです。なでるもの、通る道、吸い、吐く息はみことそのものとなる」
夜目にも、ヨクの綺麗な色の目は、深い色合いに輝いている。
「男のように、鳴物を奏でてはなりませぬ。やどりきたるのをとじこめ、ころしてしまう」
愛乃は目を皿のようにして、松葉色にひかる闇をみつめた。
楽器を。
「鳴物を、鳴らしちゃいけないの?」
「そうです」
「女は?」
「ええ。ことさら、御子さまは」
「そんなの――」
普段、あれだけ、ピアノを弾いている。みなれぬ楽器をみたら、一度はふれたくなるほどだ。
しっているのに、みこはなにもいわなかった。
むしろ……。
ことばが出なかった。考えがまとまらない。しかし、それであれだけ怒ったのだ、ヨクが出任せをいっているわけではない。
「鳴物は、男の人のもの?」
「そうです。たとい、ふれることがあったとしても、鳴らしてはいけません」
だからとりあげたのだ。
そういわんばかりだった。
まともにこっちをみる目つきから、ヨクは己がただしいと思っているのだとわかる。
うしろをかえりみると、ノヤは暗闇で音を奏でつづけていたが、あのとき、鳴物を渡すのをためらった。そういうわけだとしれれば、のみこめる。
「…………」
それでも、わかったとはいいかねた。
みこは、どういうつもりで、愛乃にピアノをねだったのだろう。
女は鳴物鳴らさずとは、これは、いよいよ、薄々わかっちゃいたが……。
(……とんでもないところにきてしまった)
初めて、心の底から、みこに助けをもとめたくなった。
調べが風のやむように消えると、つとヨクが立ちあがった。見た目にそぐわぬいきいきしたうごきで、入り口へ引きかえす。
「それでは、わしは」
「え」
ふわりと莚をよせるお年寄りを、愛乃ははかりかねて目だけで追いかける。
「もう一人くらい相手をせねば、邑人どもにわけが立ちません」
いかにも好き者めかしていいのこし。
にこりと笑むと、莚の向こうの星明かりの下へ、翁は身をおどらしたのだった。




