7 邑(むら)
周囲が薄暗いのは、女子更衣室の中だからだった。
クラスメイトたちが、ジャージから制服へせっせと着替えている。愛乃はジャージのまま、身動きもせず、一応、自分の制服をおいたロッカーに正対しているのだった。
いままで疑問に思わなかったが、気がつけば、なぜかこの更衣室は昼間でもまともにあかりをつけることがない。照れ隠しなのか、節電なのか、不精なのかわからない。はっきりしているのは、天井ぎわの窓からの光で、着替えるには事足りるということである。
体育の授業が終わったところか。
てことは、昼休みだな、うん。と、愛乃は独り頷く。
段々、慣れてきた。時間の感覚はまだだめだけれど、少なくとも入れ替わりのときの、急激な場面転換には。
結局、ヨクとはちゃんと話せなかった。なんだか、涼時をそのままちっちゃくしたような、新たなこどもまで出てきたし……ついつい、そのとしごろの涼時を想像しそうになって、愛乃は内心、あわてて打ち消した。
いそいで制服に着替える。いけないいけない。なんて恥ずかしいことを考えてるんだ、わたしは。
ああ、でも、幼稚園児の涼時先輩とか、可愛いだろうなあ。写真みせてもらえる機会とか、ないかなあ。
ほわほわと空想しつつ、着替えを終えて廊下に出る。購買部にむかうユミと、手をふって一旦、わかれた。
さてお昼だ。おなかすいた、と、思ったところで視界がまぶしいほどあかるくなった。
◇
右手はノヤの毛皮をしっかりつかんだまま、前にはヨクと、みしらぬ大人がならんであるいている。
周りには家が建ち並び、人々がしごとの手をとめ、珍しそうにこちらをみている……家の前に集う女たちは、石でなにかすりつぶしている。麦だろうか。
遠く、家々の奥に、さきほどみたばかりの垣が見通せる。辺りをみまわしてもあの童はいなかったが、同じ邑の中に入ったところらしい。ふりむくと、垣の出口に、結局顔をみあげそこねた見張りが立っている。かぎなれないが、おぼえのある匂いだ。
黙ってノヤにつれ添いながら、思う。
なぜだ。
すぐまた替わるのなら、たかだか数分、もどらなくてもよかったじゃないか。
着替えが面倒くさかったのか。いや、みこにかぎってそれはない。オート服従機能で誰の手でもかりることができるのだ。
まったくもって納得しかねる。
ヨクと大人が大きいせいで(というか、みこが小さいのだが)ほとんど前がみえなかったが、ほどなく二人は階をのぼり始めた。二人につづいて、愛乃もよじのぼるように上をめざす。丸太を縄で組んだ、堅そうだが粗いつくりだ。大人の身の丈に合わせているから、いつすき間からすべり落ちてもおかしくない。
どうやら、遠目にも際立った大きな建物、あれに入ろうというらしい。
こどもの身でのぼるのは、なかなか骨がおれた。なかばノヤの毛皮にぶらさがるようにして、ようやく上にたどりつく。
莚のさがった入り口があけはなたれていて、ヨクの隣の大人がまず中に入った。
「つれてきました」
「入れ」
張りのある声がいらえた。
いや、それよりも。
大人にうながされ、ヨクのあと、ノヤとともに薄暗い間に入る。
壁をくりぬいただけの真ん前の窓の、左手に佇んで、声の主がこちらをふりむいた。
女だ。
手引きの男に藁蓋を三つおかせて、女は先に左の壁ぎわに腰かける。莚と寝藁をかさね、毛皮を敷いて高さを出した、人一人寝られそうなところだ。
男が入り口そばにさがると、女は頷き、こちらをみた。
「すわるといい」
愛乃は右手の床をみた。莚の上に藁蓋がのっている。高さや柔らかさこそないが、このあいだの集落より手がこんでいる。
ヨクが奥に腰をおろした。ノヤがつづいて、愛乃は末席にすわろうかと思いきや、ノヤはぽんぽんとみこの背をあやすように叩き、うやむやのうちにヨクとのあいだに腰を据えさせてしまった。
目を白黒させながら、愛乃はノヤにまかせ、毛皮をつかむのだけはやめなかった。
むかい合うと、女の身なりの良さがよくわかる。栗色の髪をうしろに結いあげ、大ぶりの耳飾りと首飾りをつけている。服は、邑の人々と同じ布でできているようだが、胸、腰まわりをゆたかにとって、編み紐で手軽にとめている。
片膝を立て、片膝をおろした姿で、ヨクをまっすぐみた。
「語り部ときいた。詩と音をきかせると」
「その通りです」
ヨクがさらりとかえす。みこの耳でも、それがへりくだっているのか、いつも通りなのか、さげすんでいるのか(これはひどい)ききわけられなかった。
「旅をしてきたのだな。道々のこともききたいものだ」
「なんなりと。それもまたわれらのしごとです」
うん、と相槌を打ち、女は身をのり出した。
「妾はアマン。邑の母だ。ぬしら、名は」
ヨクは自ら名のると、ノヤの名もしらせた。
アマンは二人の名を繰りかえし、それからこちらをみる。
「その童女は、名は何という」
「これは」
「よい」
あいだに入ろうとしたヨクを、アマンがただちに遮る。
みこを――愛乃をまともにみ、目に微笑みを浮かべた。
「いえ。名は?」
あんまり直截ないいかただったが、声と顔つきはあくまでやわらかかった。
「あ、あい――」
思わずいいかけ、はっとして、愛乃は口をつぐむ。
ちがう。あぶない。つい自分の名をいうところだった。
「アイ?」
どうしよう。
唇を結んで、愛乃はアマンの様子をうかがった。下手にヨクに助けをもとめれば、藪蛇になるような気がする。なぜかわからないが。
「アイ――アイか」
しばらく、響きをためすように口ずさむと、ふと愛乃をみ、アマンはにっと笑んだ。
入り口の男に声をかける。
「水を。それと、なにか撮みを。床もつくるように」
かるくうけがい、男が出ていく。
階をくだる足音が消えるまで、アマンは笑んだまま、口をきかなかった。
遠く、下のかた、さっきの男の声がきこえてくる。邑の者にアマンのことばを伝えているのだろう。二人ほどが、しごとにとりかかろうとうごきだす。
「どうかくつろいでほしい」
ささやくような小声でいって、アマンは笑みをよりかすかに、やさしげなものにかえた。
愛乃はおどろく。ヨクがそっと息をつき、僅かに首をかしげた。
「さといことで」
「からかわないでくれ。あなたがたは、守の者だろう」
アマンは両膝を床におろし、やや背をまるめた。少しばかり目の高さがさがって、それだけ近くなったようだった。
それにしても、二人がなにをいっているのか、愛乃にはさっぱりわからない。
「語り部のことは、きいてしっている。しかし――」
やわらかな笑みのまま、アマンはちらと、ノヤと、こっちに目をくれ、すぐまたヨクにもどす。
ヨクが目をふせ、なにもいわないのをみて、あきらめたように背筋をのばした。
笑み直し、声をふたたび高くする。
「ふさわしい持て成しをしたい。ただ、ぬしらがそれを望むのなら。ほしいものは何でもいってくれ」
それでは、と、ヨクがこたえる。
「われらは、かたりべにすぎません。お渡しできるものは僅かだ」
アマンは腹から上をゆるりとかしげた。耳飾りがゆらめき、ゆたかな胸のひだが思わしくよれた。
「わかった。ヨク、ノヤ、――それにアイ。邑にいるあいだは、我が家と思うがいい」
身をすぐおこして深めた笑みを、アマンは、ことさら、愛乃にむけているようにみえた。
(ちょっと待て……)
飲みものと撮みをもらったあと、隣の居間をあてがわれ、身を清めて衣をかえた。身につけていたものは、下着と上着くらいだったが、邑の女が洗うため持っていってしまった。
あの黄金色のまるい玉は、ノヤが手ずから外してつけ直し、いまもしっかりみこの胸もとにくくりつけられている。やはりかくすように、上着の下に。
僅かながら日のかたむいてきたひろい空のもと、いま、ヨクとノヤのそばにかくれるように立ち、愛乃はアマンにつき従うようにして、邑中をねりあるいていた。
確実にはわからないが、時間は相当、経っている。愛乃の世界で、昼休みをとうにすぎ、午後の授業に食いこんでいるとしたら、まずい。
(数学と英語じゃないの)
週の中でもこれ以上ないというくらい重要な二コマである。というかドンピシャで定期テストの実施科目である。
(みこ! みこ、みこみこみこ! みこーっ!!)
すぐ替わってくれ!
愛乃の必死のさけび(心の中にとどまるが)にも、みこからはなんの反応もない。
そのかわりというわけではないはずだが、アマンが、ほがらかな笑みを浮かべてこちらをふりむいた。
「畠は女たちがよく手入れしている。夕食にも出すが、糯はうまいぞ。肉や根や薬草と煮る。疲れも癒えるだろう」
――薬草。
そっけなく頷くヨクの膝近くで、愛乃は目をみはった。
傍にいる人を仰ぎみる。
…………この人の名だ。
そうか、そうだ……人のいうのをきいて、初めてわかったが、しっていたのだ。おそらくみこの体はしっていた。
湯に煮出してのむ薬。薬になる葉のことだ。この人の名前は。
しらずしらず、ノヤの毛皮の端を片手にとらえた。下着だけかえて、干しもせず、ノヤはふたたび同じ上掛けをまとっている。愛乃に裾を引かれ、こっちをみおろしたが、なにもせず顔の向きをもどした。愛乃はとっくにみあげるのをやめている。
邑は山裾の、木々と畠のひろがるこの辺りから、河沿いにくだってしばらく先までつづいているという。山でけものや木の実、青菜をとるほか、岸辺では魚もとるらしい。
邑のどこにいても、アマンは誰にでもこころよくむかえられている。こっちに目をとめるものも多いが、アマンが二言、三言話すと、頷いてしごとへかえっていく。
河沿いのさまはみえないけれど、こちらの山の手だけでもかなりひろい。垣も、ときどききれたり、二重になったりしながら、うねるようにはりめぐらされている。垣のうちがわは、ほとんど家なのだ。
どのくらいの人がいるのだろう。
いささかあきれるように、辺りをみまわしていると、ためらいのない笑い声が短くひびいた。
みると、アマンが腰に手をあて、肩をゆらしている。
あかるいところであらためて姿をみてみると、体つきというか、肉づきのしっかりした、引き締まるところは引き締まった若々しい人だった。面立ちもくっきりして、切れのあるしぐさが華を添え、人目を引く。
もしかしたら、本当に若いのかもしれない。
「そんなに珍しいんだね。なにか、とりわけ、しりたいことはあるかい?」
邑の母、といっていた。それが何なのかわからないけれど、十六歳で子持ちが当たり前の国なのだ――愛乃はどぎまぎし、あわててそこらをみ、目についたものを指さした。
「あれは?」
あの煙、と、いいかけてやめてしまう……なんというか、ヨクの、もしくは周りの反応が怖い。迂闊なことをいいたくなかった。
丘、といえるのか、山裾の少しへこんでまたやや高くつづくところに、白い煙が細く天へあがっている。晴れているので、うっすらとだが。
そちらをみはるかし、ああ、とアマンがこたえた。
「いろりだよ」
「いろ、……いろり?」
アマンが首を縦にふる。いろりって、あの囲炉裏だろうか。古民家なんかでみかける?
「火を保つんだ。入れ替わりで人がいく。あの高さなら水はこないから」
へえ、と思い、愛乃はなんともいえず相槌を打った。感心すればいいのか、さらに質問した方がいいのか、いまいちわからない。
「ここも、守にならうつもりはあるんだ」
みあげると、アマンはこころもちヨクにむかって話しかけていた。
さようで、と、ヨクはあっさり受け流す。何たる手ごたえのなさ。
(こういう人なのかも)
もともとがどういう人かもはっきりしないから、そういうものだと思って上書きしてしまった方が安心な気がしてきた。
「アマン!」
遠くから騒がしい足音と高い声がきこえ、近づいてきた。音が軽いと思ったら、年端のいかないこどもたちだ。七人ほどもやってきている。
アマンはそのおもてから、苦笑いみたいな謎の顔つきをすぐ消した。
「どうした」
穏やかに問い、こどもらの前へかがみこむ。幼子たちが腕に抱えたくだものをみせびらかすのを、手放しで褒め、こちらにも水をむける。語り部たちもよろこぶ、と。
こどもは皆、みなれない者をみつめるのにいそがしかった。愛乃は居心地悪く、どうも同い年くらいだろうと思われているようなので、なるべく目を合わせないようにした。それでも、ノヤの陰から、薄目で子のむれをいくたびかみまわす。あの童はいなかった。
アマン、と、またしても邑の奥からあらわれた女が、呼びかけながら近寄ってくる。
邑の母は大変だなあ、と思う。いや、よくわからないけど。
アマンは立ちあがり、女となにやら話し始めた。足もとで子どもがうろうろしているのを、女と二人がかりでちらしてしまう。とれたものをおいてくるよういって。
ふと、鼻先をよぎった微風に、慣れない匂いがのっていた。
それをかぎつけ、愛乃は風上をふりむいた。
風はつづいているが、匂いはすでに消えている。垣の向こう、畠と山の境、手前の木のそばに誰かいる。
あの童だ。
ぱっと目が合うと、彼はまたたく間に木の裏へかくれてしまった。
(えっ)
何、あれ。ちょっとショックだ。
わたし、なにかしたっけ。それともみこがなにかしたのか? そういえば、あの子がいなくなったのは、みこが一瞬(まあ、数分はあっただろうが)替わったあとだった。
(何したのよ、みこ。いや、わたしか? ああもう、わかるか、ややこしい)
考えるのすら煩わしくなってくる。
アマンがこっちへふりかえった。
「ちょっと、いってくる。かわりに誰かよこすから、ここにいてくれ」
なにやら立てこんでいるらしい。ヨクが頷くと、邑の母は女とともに足早にもどっていった。
色を増してきた空をみあげ、あ、やばい、ヨクと話せる、と愛乃が思ったところ、何を狙ったのか何も狙っていないのか、目の前があっという間に薄暗闇に引き落とされた。




