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天地の詩(仮)  作者: AF
7/14

6 木々わける先




 視界がクリアになると、教室内、真ん中より後方、自分の席にいた。

 黒板の前には倫理の教師が立っている。壁の時計は、五時限目の終了五分前、そろそろ放課後になろうという時刻を示している。


 ゆっくりと、呼吸を意識的に繰りかえしながら……愛乃は何もない机上をみおろし、引き出しからノートを引っぱり出して、それからこっそり、ポケットの携帯端末を表示させた。


 日付は、変わっていない。

 つまり、四限目の保健をスルーし、倫理も大半を放りなげたということだ、おそらく、現状は。


 愛乃はノートをひらく気も失せ、机に両肘をついて額をおさえた。


(嘘でしょ)


 みこの世界での、あの過酷な(体感としては)サバイバルが、こっちの世界の精々、二時間弱にしかあたらないなんて。


 だいぶ怖かったし、相当ハードだったし、ノヤに再会できたときはそれこそ、九死に一生をえたくらいの気持ちだったのに。

 それになにより。


(……怒られた……)


 目をとじると、まぶたの裏にまざまざとよみがえってくる。ヨクの、あの綺麗な濃い松葉色の瞳が、くらい、みたことのない色をしていた。


 つい、さきほどのことなのだ――愛乃の体感としては。本当に、直前のことなのだ――実際はどういう理屈になっているのか、まったく、一切わからないけれど。


 ものすごい迫力だった。


(あの人、美形だったんだな)


 いまは皺と、のびきった眉とひげが邪魔しているけれど。若いときはさぞかし()()()にちがいない。

 ハンパなかった。なんというか、ショックが大きい。

 思えばこのごろは、身内はともかく、よその大人にマジ怒られすることなんてなかったのである。基本的に、人に文句をいわれるようなことはしないようにしているから。


(ああ……)


 本気でへこみそう。


 周りに気づかれないように、ノートで顔を隠し、音をたてないようにして長く嘆息する。


(なんつうタイミングで)


 替わってくれるんだ、みこは。わざとか? 退屈じゃないと察したからか?

 それともこっち(=倫理の授業)が退屈すぎたからか。まさかね。


 なんだかわからないが、ヨクをなだめてくれるのだといいのだが。


 それにしても、なぜ怒ったのか、理由くらいきいておきたかった。その上で、できることなら、謝ってだっておきたかった。

 後味が悪すぎる。


(それと)


 目の前の真っ白なノートに、うんざりする。


(保健と倫理か……)


 またノートを借りなければならない。


 いや、しかし、ユミのノートは全科目一冊の分厚いバインダーだし、そんなに追いつくのが難しい科目でもないし、この際、テスト前にまとめて確認させてもらえればいいか。というか、つまるところ、またいつあちらに放り出されるかもしれないし。


 なんだか、みこが出没するようになってから、生活パターンがめちゃくちゃである。


(何なの、もう)


 怒ればいいやら、なげけばいいやら、なんともやるせない気分である。


 内心ぽつりと、まじへこむわ、と愛乃はつぶやいた。

 チャイムが鳴りひびき、全校一斉放課を告げた。



     ◇



 それから週末、週明けにおよぶまで、みこは一度も愛乃の脳裏にあらわれなかった。きたる定期テスト、そのテスト前期間に備えて、説明したり、いいふくめたり、さらには主張したりと、いろいろ交渉するべきことがあったのだが。愛乃の目論見(もくろみ)はなにひとつ実現しなかった。


 さすがはわがまま娘、といっていいものか。

 前回のもどりぎわがもどりぎわだったゆえに、釈然としないのと同時に、少しだけ、ほっとしたような、申しわけないような、奇妙な気分である。


(ヨクの機嫌を直すのに、こんなに時間がかかってるってことじゃないよね)


 自問したところで、はいともいいえともつかない。当たり前だ、愛乃はヨクのことをなにもしらない。


 ひとたびそこねたヨクの機嫌をとるために、あのみこが、愛乃を呼ぶのを自粛するとか、殊勝な行為をするとも考えにくかったが……ひょっとしたら、そういうことにもなるのかもしれない。わからないけど。生憎(あいにく)、愛乃はみこのこともなにもしらないので。


 当然、二人の関係性も皆目わからなかった。


 しばらく思い悩んでみたが、悩むたび、勘弁してくれ、という結論に達し、考え事を放り出す。

 そんな、すっきりしない土日を経て、月曜日、三時限目、昼休みを前にした体育の授業であった。


 ジャージ姿で皆とつれ立って校庭を走りだした途端、景色がかわった。

 走っているつもりだった愛乃は、突如、劇的な落下感に襲われた。


「ヒアッ」


 喉が引っ繰りかえったような悲鳴をあげる。夢中で近くのものをつかもうとしたが、落ちる方が早い。体のほとんどを(くう)になげ、みこの体で、腕だけで太い木の枝にぶらさがった。


 悲鳴も、それ以上、声にならない――みこの体がまだかるくてたすかった。腕の力も、思ったより、強い。両腕に力をこめ、幹を蹴って、なんとかもとの枝にとりつくと、腰からずりあがるようにして、枝の上にもどることができた。


 息があがっている。つかれたというより、おどろいたせいである。ようやく、枝にすわって、辺りをみまわすゆとりがうまれた。


 四方(よも)の木々。同じ高さの周りは、すべて緑だ。

 上からは(わす)かに光がふってくる。昼間らしい。


 みこのいる木は、枝も幹も、かなりしっかりしている……みおろして、愛乃はぎょっとした。

 大きな毛むくじゃらの生きものが、この木の根もとにいる。

 頭の先を根と土に(うず)めるようにして、何かをかいでいるようだ。


(――(いのしし)?)


 愛乃のしるそれより、二、三回りも大きくみえるが、それに一番近いとしか、愛乃には思いようがない。豚よりは頭が細長いし、ときどき顔をあげると、口もとに大きな牙がみえる。根に鼻先をよせては、また起きあがり、小股でくるくると木の周りをうごきつづけている。

 離れはしない。


(――また)


 しばらく息をころしていたが、愛乃はどっとつかれた。


 猪もなのか、と思う。このあいだは巨大な鳥だった。怪鳥、と、ああいうのを呼ぶのじゃないのか。

 ぼんやりみおろしていても、彼――というか猪だが――はこちらをみあげはしない。みこに気づいているのかいないのか、木にのぼったり、幹をゆすったりもしない。しかし根もとをかぐわりに、何を()るでもたべるでもない。


 そこにいる。そうするべきとでもいうように。

 なんとなく、愛乃はみこの手のひらをみた。


 この子のためだろうか。


 みこは動物に好かれるのか?


(よくわからないけど)


 食べるため、じゃなさそうにみえるんだよなあ……と思っておりたらパクリだったりして。


 枝にきちんとすわっていればひまなので、そんなことも考えるのだった。そう、すわれてさえいれば。みこはつまらなかったことだろう。

 それにしても、もうちょっと、タイミングを(はか)ってくれればいいものを。走っているときなどに呼ぶから、ずり落ちたりするのだ。


 じっとしていると、出し抜けにパチパチと、硬い音が立て続けに足もとにおこった。

 何事かと下をみやると、猪は顔をあげ、身をかわすように幹にすりよる。遠くから石つぶてが飛んできている。


 石はどれも小ぶりだが、数が多く、なにより速い。あたったら痛そうだが、幸い、彼の毛皮がそれを弾いている。猪は目を細めるようにして、幹の陰から鼻先を出して石のくるかたをみさだめたか、ちらと、(こずえ)のこちらへおもてをあげた。鼻をひくつかせ、足早に――そう、なぜだかしらないが、逃げるようではなかった――木々の奥へ遠のき、立ち去っていく。


 みおくる愛乃は、いいしれぬさびしさをおぼえた。

 待って、とさけんで、呼びとめたいような思いだった。


 みもしらぬ石つぶての投げ手より、穏やかにそばに寄り添うけものの方が、余っ程、落ち着くような気がする。

 猪が姿を消して、いくらか経つと、ほとんど音もなく、枝の()(かげ)を僅かにゆらして、小柄な影が地におり立った。


 四、五本向こうの木の下だ。袖がなく、裾の短い服を着ている。腰紐に革袋をさげ、左手はにぎったまま。みこのいる木の根もとまでくると、あっという間に梢にのぼりつめた。


 みこの足のすぐ下にある枝と、幹を支えにして、こちらにむかって右手をのばす。

 突然、目の前にきた同類に、愛乃は目をみはる。


 少年、というか、こどもだ。

 五、六歳くらいだろうか。みこより少し上くらい。


 すんなり、まっすぐの、針金みたいな細い体。日焼けをしらないような白い肌、短い、やわらかそうな髪、淡い色の眼。

 (とし)に似合わない、まったくの無表情。

 一瞬、涼時(すずとき)を思わせた。


「――え」


 思わず、愛乃は身を引いた。

 少年はかすかに首をかしげ、手をさらにのばし、みこの肘から腰の辺りへ腕をまわして、ぐいと己の肩先へ抱えこんだ。

 え、と、愛乃がもう一度いうかいわないか。片足の支えの枝を上下にしならせ、ひょいとうしろへ身をおどらす。


(わ――!)


 さけびたかったが、寸前に少年の肩に顔をおしつけられた。


 とん、と、かろやかに着地する。少年は少しうしろへよろめいたが、愛乃はそれどころではない。腰が抜け、少年の服から口を外すと、その場にへたりこんでしまった。


 ――死ぬかと思った。


 細い体で、いくつも変わらない小ささで、二人の重さを受けたとは信じられない身のこなし。


 しかも――愛乃は口もとをぬぐうようにおさえる。


 この子が服を噛ませてくれなかったら、へたをすれば、舌を噛んでいただろう。

 愛乃がわかっていないこともみぬいていたのだ、この子は……恥ずかしいやら、おそろしいやら。


 黒い、やわらかい土の上に両手をついてうつむいていると、ふと額の前に手が差しだされる。

 みあげると、少年がやはり無表情で、まっすぐこちらをみつめている。


 愛乃はまごついた。この子のまなざしは、ひどく真摯だが。


(ノヤとヨクは、どこへいったの)


 大問題だ。






 二人がもう迎えにこないのではなどと、愛乃が余計な心配をするより早く、少年が(にわか)に木々のかなたへ目をそらした。

 身を(こわ)()らせ、ひたとそちらへ耳と目をとぎ澄ませている。丁度、猪の去った方だと愛乃が思った矢先、(した)わしい匂いと足音のあとに、みしったふたつの姿があらわれた。


「おや」


 その声をきき、愛乃はほっとしなかったとはとてもいえない。


 土を踏んでやってきたのはノヤとヨクで、いつもの装いで、ヨクはほんの(れい)コンマ数秒、愛乃をみとめたが、すぐ少年にむかった。


「その童女(わらわめ)はわしらの連れじゃ。ぬしが(むら)へ、いまゆるしをえたばかり。大人(おとな)にきいてみるがよい」


 そういうヨクを、こどもはじっとみていた。愛乃がヨクとノヤの顔をうかがう間に、ふと、みこの手がとられる。

 くいと引かれて、腰が浮いた。


(あれ)


 あれれ、と、愛乃は戸惑う。ヨクが僅かに、もんのすごぉくちょびっと、顔をしかめたのがわかった。


 少年があるきだし、愛乃は彼のなすがまま引きつれられていく。

 ヨクとノヤの脇を通って、猪の去ったかた、ノヤとヨクのいまきた方へ。


 被害妄想かもしれないが、ヨクのこっちをみる眼が冷たい。

 あわあわしながらあいている手を二人の方へのばすと、音も間もなく距離をちぢめて、ノヤが(かたえ)にきてくれた。

 愛乃はがっしとその毛皮をつかむ。


(天使……!)


 なんてやさしいんだろう、この人は。

 ヨクがあんなないま、意地でもこの手を離すまい。


 (わらわ)は愛乃をつれて、緑の下をすすんでいく。ノヤは愛乃に毛皮をつかませ、そばにぴったりついてくる。

 そっと目を細めて、あきらめたように、ヨクがあとについてきた。


 木々の合い間をしばらくいくと、やがて前がひらけた。山をくだる草むらの(すそ)に、小さな家々があつまっている。中には、ひときわ大きな建物もある。周りは低い(かき)に囲まれ、垣の切れ目、入り口に人が立っている。


 邑だ。


 愛乃は目をみひらいた。この前みた集落より、なお大きい――。


 童は強くみこの手をにぎる。ころがるように坂を駆けくだり、囲いの門口(かどぐち)にいきついた。

 そこに佇む大人を、みあげようとしたとき、目の中が(かす)むように暗転した。




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