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第九章


 「あら、アスカ様。お戻りになられていましたのね。」

 落ち着いた声音が耳を掠めた。

 「…シーラさん?」

 幾重にも重なった色とりどりの綺麗な布を抱えたシーラさんが、扉にかかったこれまた豪奢な…自分の表現力のなさを恨みたくなるほど繊細な刺繍がされた垂れ布をくぐって室内に入ってきた。

 「あら、アスカ様。『さん』なんて必要ありませんのよ。シーラ、とお呼びくださいませ。」

 にっこり、という言葉が似合いそうな優しい笑みを浮かべてシーラさんが朗らかに言う。その言葉で自分が今までシーラさんを呼んだことがないことに気がついた。それに、わたしには自分よりも何倍も人生経験を積んでいる人を呼び捨てにすることなんてできない。

 だってわたしはお嬢様でもなければ使用人を従える立場にもない。ましてや…ジンニーなんかじゃないから。

 「そんなに困った顔をなさらないでくださいませ。アスカ様のお好きなように呼んでください。」

 俯いて困っていると助け船を出すようなシーラさんの声が聞こえた。なんというか…『使用人』という枠の人に会ったことなんて今までも人生の中でないけど、シーラさんはかなり使用人の鑑、なんじゃないかな。

 「良くお休みになられましたか?」

 ぽけぇ、とシーラさんの顔を見ていたら、シーラさんが布を私の横に置きながらそんなことを聞かれた。

 うーん。

 頭、重くない。脈拍…至って正常。視界も正常。関節、も痛く…

 思わず顔をしかめてしまった。原因は右の足首。覚えはあるけど、さっき…病院では感じなかったその痛み。布団をそぉっとどかしてみると、不相応な鮮やかで柔らかい布の先からのぞくのは白くて、見慣れているけど、この夢の中では初めて見たといっていいほど目の粗い布に包まれたか細い足。

 「あら、足が痛みましたか?できるだけの治療はしたのですが…後は時間に任せるしかないかと…」

 「いえ、大丈夫です。えっと、気分はいい、です。」 

 心配そうにするシーラさんに笑顔を作って見せる。骨は折れてなさそうだけらただの捻挫みたいだし、それさえ除けば嘘みたいに体は軽い。それこそ、何年かぶりに感じるような。ただ、実際は今『寝てる』はずなんだけど。

  それにしても。ジンニーって精霊とか魔人とかだから怪我するなんて有り、なんだろうか。実体ないだろうし。妖怪ならそれもありえそうだけど…

 「それはようございました。全く、陛下ときたらアスカ様が話途中で怒ってどこかへ行ってしまったと不機嫌ですのよ。」

 大臣様方が問い詰めたらそう洩らしましたの、とシーラさんはころころと笑った。本当に素敵に笑う人。というか、わたしのせいで王様は機嫌が良くないらしい。決して「話途中に放り出した」つもりではなかったんだけど…

 「すみません、なんか大変だったみたいで…」

 「あらあら。そんなつもりではございませんのよ。ただ、あんなふうに拗ねている陛下は珍しかったもので。それにジンニー様は自由なものと決まっていますわ。」

 「あの…わたしは」

 ジンニーじゃないんです、という言葉は遠慮がちだったためかかぶってしまったシーラさんの声にかき消えてしまったし、その内容のせいでそんなことを話すことなんて頭から吹っ飛んでしまった。

 「さぁ、アスカ様のお洋服を見立てなければ!!」


 1 陛下の客人たるアスカ様に不便をかけることは陛下の威信にかかわる

 2 今の服は有り合わせで細かいサイズが合っていない

 3 折角ジンニー様が実体をとってくださっている

 4 献上品の布があふれかえっている

 5 針子の技術向上


 エトセトラ、えとせとら。


 まくしたてられて気がつけば整えられた広いベッドに腰掛けて1枚1枚、次から次へと目のくらむような布をあてがわれている。信じられないくらい広いはずのベッドは一面に布が広げられていている。

 「どうしましょう、こちらも、こちらもお似合いになられますわ。」

 「えっと…」

 「アスカ様はお色が白くていらっしゃるから淡い色も良く映えますわね。」

 「その…」

 「こちらに金の刺繍をするのは…でも銀のほうが可憐ですわよね。」

 次から次へと布を取り出して、シーラさんの脳内イメージに合ったものだけ足元の籠に畳んで入れていっているみたい。

 「…そんなに沢山」

 どうするんですか、という精一杯の訴えの言葉は微妙に発色の違う桃色の布の前で悩むシーラさんには届かなかった。

 「こちらがいいですわ。」

 「あの…シーラさん。これって王様への献上品、ですよね?」

 なんとかひと段落ついたところで口をはさむ。足元には布の山。豪華、のバロメーターは最大値まで上がって振りきれて、完全に沈黙してしまった。

 「アスカ様、お疲れ様です。ええ、陛下への献上品ですわ。」

 「じゃあ、わたしが使っちゃ…」

 「アスカ様。」

 急に真剣になったシーラさんに反射的に背筋が伸びた。

 「例えば、この布。」

 鮮やかな桃色に花と唐草のような模様。

 「陛下にお似合いになると思いますか?」

 ………

 美人さん、には何でも似合いそうだけど、あの精悍な顔つきにこれは…

 沈黙は金なり。シーラさんはにっこりと笑ってその布を戻した。

 「えっと…掛布にするとか。」

 クッションでもいいし。

 「あら、これはそのような用途の布ではございませんわ。」

 違いが分からないけど、そういうならそうなのかも。

 「じゃあ、他のどこか高貴な方に。」

 「あら、陛下の客人は十分に高貴ですわ。」

 「でも他にも…」

 「残念なことにこの宮殿に高貴な女性はとても少ないのですわ。」

 言ったシーラさんの瞳が曇った。女とみれば、殺してしまうシャハリアール王。シーラさんは大丈夫みたいだけど、血を流した美幸さんに似たひと。

 「この献上品はずっとしまわれていたものですわ。虫に食われるのも時間の問題ですからアスカ様が着て陛下の目に留まれば献上した民の思いも報われるでしょう。」

 「…分かりました。」

 うなずいたらシーラさんはとてもうれしそうに笑いかけてくれた。シーラさんはベッドに広がった布を一枚一枚丁寧に畳んでいく。手伝おうとしたけど結構な大きさと重さで邪魔しかできなかったからそれを見ている。

 「あっ……」

 「どうかされましたか?」

 急に思い出した。これは大切だ。

 「あの、ここの服ってこんな感じのものが一般的なんですか?」

 スカートのひらひらした部分をつまんで揺らしてみる。シーラさんの服は上質ではあるもののそんなに装飾とかついていないから、たぶんもっとシンプルなものがあるはず。服を作ってもらうことは決定事項みたいだからせめてじゃらじゃらとひらひらを忌避しなくちゃ。どっかにひっかけて破きそうだし…

 「いいえ、まさか。」

 ほっとした。

 「じゃあ・・・」

 「こちらは眠りに就くときのものです。お作りするものはこのような質素なものではなくもっと装飾が多いですわ。」


 

 「何をしている。」

 響く美声。シーラさんもかなりの美声だけど、あれは人を安らがせるようなもの。でも、この美声は甘く甘く、毒みたいに頭をしびれさせる感じ。

 あの後、なんとかシンプルな方向に持っていこうとした試みは、意外と頑固なシーラさんの前に粉砕された。あの柔らかい笑みで絶対の圧力。怖すぎる。寝巻だけは金属を付けず、お腹を出さない方向性で落ち着いたけど、それ以外に一切の妥協はなかった。…仕事人だよ。

 そんなこんなで、場所を変えて応接間みたいなところの、これまた立派な…なんかの動物の1枚皮、の敷かれたソファーにぐったり。もう汚れるとかどうとかじゃなくて、疲労でべったりクッションにくっついている。

 ……かろりー、消費した。

 ?

 こんなに疲れを覚えているのに体にあるのはそれだけ。発作も起きないどころか息切れすらない。

 しかも

 お腹すいた、って思った。

 「……何を百面相してるんだ。」

 「えっ」

 見上げると……見上げなくてもすぐそこに王様の麗しい顔。

 「おおおおおお、おおさま。」

 …噛んだ。今までないくらい噛んだ。

 「何だ。」

 「なんでここにいるんですか?」

 しかもなんでこんなに近いんですか、と一言は理性をもって飲み込んだ。

 「自分の部屋にいて何が悪い。」

 どうやら、この応接間は王様に帰属しているらしい。そもそも宮殿の主だから全部王様のものなんだけど。

 「政務は?」

 今はまだどう見ても昼間。シーラさんは王様は夜に戻ってくるって言ってたし…

 「休憩だ。」

 そう言って、目の前の ソファーに沈み込む。

 「あら、陛下。どうされたんですか。」

 シーラさんが大きくて透き通った一抱えもある巨大な皿を持って入ってきた。中には色とりどりの果実。

 「休憩だ。」

 「……本日は隣国の大使がやってくる日だったと記憶しておりますが。」

 「そんなつまらんもの、知るか。」

 こんな執政者、絶対やだ。平和馴れした日本ですらそれなりに首相とか忙しそうにしてるのに。

 「…つまらないで約束やぶっていいんですか?」

 王様がいるからそれなりに姿勢をただせば、向かいの王様より少しだけ目線が高くなる。

 「これくらいで国は揺らがん。」

 絶対の自信がにじみ出る声。うーん、ならいいのかな。

 「そういえば、陛下。」

 重そうなお皿をそうとは感じさせず軽やかに置き、シーラさんがにっこりと王様に話しかける。…なんだか嫌な予感のする笑み。

 「なんだ。」

 「一昨日、今季の献上品が集まりましたでしょ?」

 目線で促す王様。以心伝心。

 「その中に、そのまま宝物殿に運ばれた品々がありますわよね。」

 嗚呼、先が見えてしまった。血の気が引いていく感じ。

 「アスカ様に似合いそうなもの、出してきて構いませんよね?」

 疑問という声音の断定。どうか、どうか。

 「ああ、かまわん。どうせ錆びるだけの代物だ。」

 興味が全くないようにお皿の上の果実をとり、そのまま齧る王様。しゃり、と瑞々しい音。

 あなたの、献上品でしょう!!

 

 「さぁ、アスカ様、お休み後は先ほどの服に合う宝石を見に行きましょう。」

 お皿の上のカチュラルから音もなく水の球がすべり落ちた。


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