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息子のシスコンを侮ってはいけない Side:アタナーズ公爵

 エルヴェとエステルを初めて会わせた十三年前のあの日、九歳にして毎日をつまらなそうに過ごしていたエルヴェが心底嬉しそうに笑ったのは、昨日のことのように思い出せる。


 笑いも怒りも泣きも、どんな物事にも一定以上の興味を示さず、与えられた役割や教えられたことを当然のようにこなす子ども。

 実の息子ながら、これほどまでに恐ろしいと思う相手はいなかった。


 だから、あのときは安堵のため息を吐いた。

 エルヴェは、僕の妹の娘であるエステルと顔を合わせて、見たことのない満面の笑みを浮かべていたから。少しは子どもらしく過ごしてくれるかもしれないと期待した。


 その認識が間違いだったと気づいたのはその日の夜のこと。


『父上、俺は将来エステルと結婚します』


 なんの冗談だろうか。惚ける僕に気づいているのかいないのか、エルヴェは続けた。


『エステルは俺の(つがい)なので、一生そばに……いえ、魂となったそのときまでずっとそばにいるつもりです』


 稀代の天才とそれを支える者が本能的に惹かれ合う、そんな(つがい)はおとぎ話の存在のはずだ。エルヴェのこれまでを考えるとそれもあり得ない話ではないが、そう簡単に受け入れるわけにはいかなかった。


 だから脅すような形をとった。


 エステルが十六歳になるまでは兄として接すること、エステルが十六歳になるまでエステルには婚約や結婚をさせないこと。

 これを約束しなければ、まだ幼く、周囲の言葉をそのまま信じやすいエステルに、エルヴェのあることないこと吹き込むぞ、と。


 半分くらいは賭けだったが、無事約束することに成功した。


 もしも二人が(つがい)ではなかった場合、エステルは幸せになれない。


 言ってはなんだが、こんなにも執着されるのは同じ程度の感情を持っていなければ苦でしかないだろうから。おとぎ話の世界にも、そうやって苦しんで生涯を終えた姫がいた。


 エステルにそうなってほしくないというのは、義理とはいえの親心だ。


 その判断は間違っていなかった。十五歳になったエステルは、エルヴェに対して兄以上の感情を向けているようには見えない。


 さすがに婚約までしたらエルヴェも諦めて手を放すだろう。エルヴェを婚約させるのは無理だったが、今回こそはやらなければ。

 僕は、シャルル殿下とエステルの婚約の話を秘密裏に進めることにした。


 それから早三ヶ月、エステルの婚約式まで残り三日、エステルの十六歳の誕生日まで残り三日、……エルヴェとの約束の日まで残り三日。


 普段と変わらない量のはずの書類が五割増しに見えて、執務のこの時間が異様に長く感じる。


 あと三日、たったの三日、されど三日……いつエルヴェに勘付かれるかと眠りの浅い日々が続いていた。正直、すぐに勘付かれるものだと諦めていたところもあったが、なんの因果かここまできてしまった。


 意味のないため息を吐いたと同時に、ノックの音が鳴る。この時間にやってくる者は滅多にいない。横で書類の整理をしていたセバスと顔を見合わせてから、扉の外へ声を投げた。


「入れ」


 足音すら立てず、体を滑り込ませるようにして入ってきたのは、黒一色を身にまとった見知らぬ男だった。セバスは僕を守るようにして、敬礼の姿勢を取った男に殺気を向ける。


 だが、害を与えてくるような存在がわざわざノックをして入ってくるだろうか。


「セバス、抑えなさい。……それで、きみは何者だ?」


 そこにいるのにはっきり見えない。そんな男を見極めようと目を凝らす。


「アタナーズ公爵閣下、至急、王城へおいでください。エルヴェ・アタナーズ様の件で、第二王子シャルル殿下がお呼びです」


 返ってきたのは事務連絡のような淡々とした言葉だった。


 王城、シャルル殿下、気配のなさ、黒一色、名乗らないこと……、おそらくこの男は「影」の者。

 そんな存在がエルヴェの件で僕に接触してくるということは——


「承知した。すぐに向かう」


 ——エルヴェが勘付いて行動を起こした。




 その予想は最悪の形で当たった。暖かな光に満ちているはずの王城が冷たい闇に包まれている。

 日没までまだ数時間はあるはずだが、この一帯だけは月のない夜のように暗かった。


 馬をセバスに任せ、僕はひとり城へ入る。

 門番も貴族も平民も、意識のある者はいない。外傷があるわけでもなければ、命の危機にあるわけでもなさそうだが、出会う人々全員がことごとく眠らされている。薄く残るこの魔法の気配が我が息子のものだなんて信じたくなかった。


 まさか国王陛下を眠らせてはいないだろうか。早足で向かった謁見の間の周囲には、やはりごろごろと人が眠っている。ごくりと唾を飲み込んで、その扉を開いた。


 そこには心底楽しそうに笑うエルヴェと、エルヴェから伸びる影に囚われているシャルル殿下、そして玉座に腰掛ける国王陛下の姿があった。

 状況は状況だが、国王陛下方を眠らせていないことに少し安堵する自分がいた。


「思ったより遅かったですね、父上」

「……エルヴェ、説明を求める」


 エルヴェは、声を発した僕自身も驚くくらいの低い声に笑みを深め、あっけらかんと言い放つ。


「エステルとシャルル殿下の婚約をなかったことにしてほしいと国王陛下にお願いしているだけですよ」

「……これのどこが『お願い』なんだ?」


 一瞬目を見開いたあと、彼は声をあげて笑った。


「これくらいしないと、俺の『お願い』を聞いてはいただけないでしょう?」


 エルヴェから伸びる影に囚われたまま、シャルル殿下は困ったように眉を下げる。


「私的には少々やりすぎだと思いますよ」


 その表情には、恐怖も怒りも浮かんでおらず、むしろ友人や家族を見るような情だけがあった。


「やりすぎと言われればそうかもしれませんね。ですが、これくらいはしないといけない。……(つがい)を奪われそうになっているこの状況で、持てる力すべてを使ってでも抵抗しない方がどうかしています」

(つがい)?」


 そう呟いたのは、シャルル殿下か国王陛下か。視線を交わした二人はその瞳に鋭さを宿して頷きあった。


「確認なのですが、(つがい)とはあの(つがい)ですか?」


 そう聞かれたエルヴェは綺麗な笑みを浮かべた。


「ほかにどの(つがい)があるというのです?」


 国王陛下は頭を抱え、ひとつため息を吐く。


「シャルル・デュ・フェイエッテとエステル・アタナーズの婚約の話はなかったこととする、良いな?」


 エルヴェは笑顔で、シャルル殿下は深く頷く。状況をわかっていないのは僕だけなのだろう。間抜けにも「え?」と声に出してしまった。


 頼むから誰か僕に説明してほしい。

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