エルヴェ様の愛を侮ってはいけない
目が覚めたらすべてが終わっていた。という言葉ひとつで片付けるには無理があると思う。
お父様は早々に「休む」と部屋へ戻って、シャルル殿下との婚約話はなかったことにされていて、お兄様と私が婚約することになっていて……。それも、国王陛下が直々に認めてくださったのだという。
そう教えてくれたのは、今までにないほどに機嫌の良いお兄様だった。
お兄様は自他共に認めるシスコンだから、正直、シャルル殿下と私の婚約話をなかったことにするくらいは予想していた。
だけどまさか、直接の血のつながりがないとはいえお兄様と婚約することになるなんて。夕食の時間に目覚める違和感なんて一瞬でどうでもよくなるほどの衝撃だった。でも、嫌じゃないどころか嬉しくて……。
「何か言いたいことがあるみたいだね?」
二人きりの部屋で、私を横抱きにした状態でソファーに腰掛けていることについては先ほど聞いた。
「愛しい婚約者を甘やかして何か悪い?」とのことだった。この際、もうそれは聞かなくてもいい。聞いても至極当然だというような答えしか返ってこないだろう。
ずっと、聞けなかったことを聞く時がやってきたのかもしれない。
「……お兄様は、私のことをどう思っているのですか?」
シスコンという言葉で誤魔化してきたけどそれはもう無理だ。私だって「兄」が大好きという言葉では表せないくらいの気持ちをお兄様に抱いている。
お兄様に婚約の話をしたのは、今考えてみれば、隠し事への罪悪感だけではなかったように思える。私は、お兄様にシャルル殿下との婚約を止めてほしかった。
私は……、お兄様とずっと一緒にいたい。
——ねぇ、お兄様。お兄様の本当の心を教えてくれますか。
「俺は、エステルのことを何よりも大切で何よりも愛しい、唯一無二の存在だと思っている。わかりやすく言葉にするのなら、番だね」
「つがい、ですか」
昔、まだ実のお母様が生きていたころに読んでもらった本に出てきた記憶がある。たしか番というのは……。
「『相手のためなら国を滅ぼすこともいとわない』。無茶苦茶に聞こえるこれが通用する存在が番だ」
確かにお兄様なら国を滅ぼすことなんて簡単だろう。私のためならこの人はやる、そんな確信が持ててしまった。
「番の恐ろしさと有用性をよく知っている王家としては、番は番同士結ばれて、幸せになって、その力を国のために使ってほしいそうだよ」
お兄様はたった今思い出したというように、言葉を続ける。
「そういえば、国王陛下からの伝言があった。ここ数百年は番が現れていなかったから、貴族への周知ができておらず申し訳ないことをしたってさ」
「……軽く言っていますけど、国王陛下が謝ることなんてそうそうないですよね?」
「そうだね。王族は頭を下げてはいけない。これは当然とされていることだけど、今回ばかりは頭を下げた。それくらいこの国が大事だったんだろうね」
もしも謝罪をしていなかったら……、その答えは聞かずともわかってしまった。仮に私にお兄様ほどの力があって、仮にお兄様が奪われそうになったら、……国くらいは滅ぼしてしまうかもしれない。
まあ、それも当然のことだろう。私はお兄様が世界で一番……いや、そんな言葉で表せないほどに大好きだ。
私のこの気持ちは、心は、番だからこそのもの。生まれる前からそうであったかのように、番という認識は引っ掛かりもなく馴染んでいく。
「これからエステルは俺のもの。これまでも俺のものだったけど、もう隠す必要はない。時間をかけて頑張った甲斐があったよ。死んでも離さないから覚悟してね」
マリンブルーの瞳には私だけが映っている。それがとても嬉しくて、それに気づけたことがくすぐったくて、お兄様の笑顔を真正面から見られなかった。
「エステル」
頬に当てられた手にはほとんど力が込められていない。それでもやっぱり私はお兄様の言う通りにしてしまう。
凪いだ海のように優しく細められた目と、同じ色をしている自分の目を合わせる。
「こちらこそ、ですよ。おに……エルヴェ、様」
婚約者になるならば、「お兄様」呼びのままは違うだろう。そんな考えからの「エルヴェ様」呼びだったのだけど、大きなため息を吐くという思ってもなかった反応が返ってきた。
「え、エルヴェ様?」
「……あんまり可愛いことを言うと、うっかり自制が効かなくなるから言動には気をつけてね?」
エルヴェ様の顔が近づいてきて思わずぎゅっと目を瞑ると、唇にやわらかいものが触れた。気配が離れてゆっくりと瞼を開く。ほんの少し頬を染めたエルヴェ様が微笑んでいた。
キス、された……?
じわじわと頬が熱くなる。鼓動が早鐘を打つ。エルヴェ様は諭すように口を開いた。
「今みたいになるから。わかった?」
「……は、はい。でも……嫌じゃ、なかったです」
言葉を噛み締めるように一拍置いたあとに、先ほど以上のため息を吐かれてしまった。
「こんなことなら国中から俺たちの記憶を消した上でエステルを攫ってどこか遠い場所に行けばよかった」
早口でそう呟いたエルヴェ様ならやりかねない。それはそれで魅力的だけど、エルヴェ様の負担が大きすぎるだろう。
「さすがにやめておきましょう? 私はここでの生活も好きです」
「エステルがそう言うならやめておこうか。気が変わったらいつでも言ってね。王城にいた全員の記憶を改ざんするくらいは簡単にできるから」
「その言い方だともしかして……」
「うん、エステルが眠っている間にちょっとね」
その「ちょっと」というのは確実にちょっとではない。だけど、エルヴェ様がそう言うのであれば、私の中ではちょっとした出来事だ。エルヴェ様が何をしたのかは知らないけど、勘違いでなければすべて私のためなのだろう。
思わず黙った私に何を思ったのか、エルヴェ様は小さく笑った。
「俺の愛を侮らないでね? 世界で一番大切で、世界で一番愛しい、俺の全て。——俺のエステル」
「わ、私の方こそ侮られては困ります。エルヴェ様のこと、大好きですから」
「……俺、侮らないでって言ったばかりだよね?」
余裕を与えてくれない二回目のキスは、熱くてくらくらして、とても甘かった。
【エルヴェ・アタナーズのシスコンを侮ってはいけない】
—end.—




