32 Epilogue
俺たちが厄災との戦いを終えて、アリスを失って、一年が経とうとしていた。
様々な変化があった。まずイリスさんとミアの出産。アリスさんは元気な男の子を、ミアは神が言った通り男の子と女の子の双子を出産した。ラッシュさんとイリスさんの子供はレント、俺とミアの子供は男の子の方はナイア、女の子の方はネネと名付けられ、元気に育っている。あと俺はミアとイリスさんにブロッコリーを食わせまくっている。確か乳児にカリウム不足は深刻な病気を引き起こしたはずだから。ついでにレント君はもう「ママ」「パパ」と話しだしている。ナイアとネネはまだ生まれて間もないので泣くばかりだ。二人の夜泣きにつられてレント君も夜は泣くので我が家では寝る時間を交代しながら皆でお世話中。一番懐かれているのは何だかんだリューグだったりするのはご愛敬。家のことで言えば家族が増えた。治療院にいたエミールさんだ。ミアとお見舞いに、俺としては初めての面会に行ったところ、にこやかに対応してもらえた。症状は全身不随。この改変された世界ではミアは治療院に多額の寄付をしており、以前より貯金の額が少なかった。当たり前だが俺の貯金もちょっと少なかった。俺の方は額が額だけに誤差だったが。そのエミールさんに、現代地球の医療でも無理なはずだが、神経を繋ぎなおすように、というか電気ケーブルを交換するようなイメージでヒールをかけたところ、なんと治ってしまった。一番驚いたのはもちろん俺である。そんなエミールさんはまだ治療院で寝ていることが多い。数年寝たきりだったのだ。衰えた筋肉を取り戻すために現在頑張ってリハビリ中である。獣人族らしく筋肉はすぐに付く質らしいので家に迎え入れるのは時間の問題。ということで新たに家を買った。前にキール支部長が言っていた貴族の屋敷である。商業ギルドに確認したらこっちにもあったので即金で購入。前の元宿屋の物件は土地代こそ高くはないが、俺こだわりの風呂と和室があるせいで商業ギルドが金貨百五十枚で買い上げた。土地代が上がっているとはいえ買値より高くなったので流石に頬が引き攣った。家は宿屋としてそのまま使えるので、商業ギルド直営の宿として利用する腹積もりらしい。風呂需要の高まりに合わせて売るより活用した方が金になると判断したようだ。もちろん新居の方にも風呂と和室は作った。風呂はだいたい同じだが和室はより広く、皆でのびのび過ごせる空間に。今はレント君のハイハイ練習場になりつつある。リーゼは相変わらずよく働いてくれる。リューグとの関係は、進展してるのかしてないのかよく分からない。だが位置取りはなんとなく前より近くなっている。
我が家以外のことで言えば、ニールさんが家を買った。ダイニングキッチンと寝室一つしかない小さな家だが、立派な城だ。ということでミーナさんと結婚して励んだ結果、現在ミーナさんは妊娠中。二ヶ月ほどらしい。子供のために酒を控えろと言ったら絶望した顔をしていたのが記憶に新しい。ちょくちょく俺も様子を見つつ、ニールさんが鋼の意思で監視中。結構仲睦まじくしているらしい。そういえば年明けに商業ギルドから祭りの屋台の打診がきた上にラペッド支部長が「去年は一年おきということで仕方がないとして今年は……」と脂汗を掻きながらやってきたが、膨らんだミアのお腹と生まれたてのレント君を見てすごすご帰っていった。
国に関することではエミリーちゃんの婚約が決まった。相手はライクロイックの第三王子らしい。既に国政に絡んで手腕を発揮しているようだ。その甲斐もあってベルベストのライクロイック侵攻に端を発する戦争は終結した。そもそもアリスの後任の赤竜が危機的状況は回避されたとの神託を出したのでベルベストはライクロイック憎しとは言えど戦争を続ける力はすでになく、その気力も失って休戦協定を結んだ。一部の国が対ライクロイックを掲げていたが、先に言った通りエミリーちゃんの活躍により終戦に至った。なおライクロイックは戦争終結に際して勢力下にあった国々をすべて解放した。奪うための戦争でなく、身を守るための戦争だったと潔白を証明するためだそうだ。もちろんエミリーちゃん発案。ちなみに国の勢力が大きくなりすぎて内政官が疲弊していたらしい。情報源は全てエミリーちゃんのお手紙である。後ビフォワード氏からもよくお手紙が届く。曰く妹が構ってくれないと。
色々変化はあったが、俺たち家族はまだアリスを忘れてはいなかった。
「神様が忘れるって言ってたんだよね?」
「ええ。あの神は確かにそう言いました。それで言うとこれが残ってるのもおかしな話なんですよね……」
ナイアとネネにお乳をあげつつ聞いてきたミアに、俺は手の中の物を弄びつつ答える。
俺が手にしていたのはアリスが俺を拉致った時にくれたモーム大聖堂内の通行手形だ。竜鱗に似た性質のそれは、未だに中に炎のような揺らぎをたたえている。
「アリスって精神生命体? なんだよね?」
「そう言ってましたね」
「それに宿ってたりしない?」
「それならとっくに出てきてるでしょう?」
「なんか足りないことがあるんじゃない? あ、シグルド、ネネにゲップさせて。」
「はいはい。足りない事、ねぇ……。そういや形見だと思って、撫でるだけであんまちゃんと触ってませんでしたね」
「けぷ」
「お、出た出た。さー、ねんねしましょうねー」
ミアの方もナイアにゲップをさせて、二人を俺手製のベビーベッドに寝かせる。ちなみにこの世界基準では基本的にゲップはわざわざさせない。だが吐き戻しでの窒息が怖いので一応させている。出ない時も多いが。
「あ、まだ出てる。シグルド、吸う?」
「いや、前に腹下したって言ったでしょう。普通に布に吸わせて下さい」
「はーい」
ちなみにミアは母乳量がものすごく多い。双子を育ててもまだ余る量を分泌している。最初の頃は勿体ないからと絞るか直飲みで有難く頂いていたが、腹を下したので飲むのを止めた。ミアは事あるごとに飲ませようとしてくるが。
それはともかくアリスの形見の方である。とりあえず大きな魔力を内包しているのは分かる。魔力を吸っているような気さえする。
とりあえず俺の魔力を直接的に与えて見るか?
手を触れる。魔力を流す。中の揺らぎが濃く、強く、輝きを増した。
魔力を流しながら、つぶやく。
「アリス……」
帰って来いと、強く願いながら。
その途端。光が爆ぜた。その光が、収束していく。目の前に現れたのは、床に膝と両手をついた素っ裸のアリスだった。
「っはーっ⁉ 戻ってこれた⁉」
「アリス⁉」
「シグルドさん? シグルドさん‼ 私、帰ってきました!」
アリスが胸に飛び込んでくる。俺はそれを受け止める。固く、固く抱きしめた。
捨てるに捨てられなかったアリスの服をミアのチェストから出して着せる。ミアと俺でアリスを挟んで抱きしめ、その体制のまま話を聞く。
「今までどこに居たんですか」
「ずっと居たというか今復活したというか、とりあえず私は一回消滅しました。それは確かです。ああ、あと子供生まれたんですね。おめでとうございます」
「そういうのいいから。なんで戻ってこなかったのさ?」
「いや、今の今まで死んでたんですよ。シグルドさんが復活させてくれなきゃ、シグルドさんの死と同時につながりが切れて本当に消滅してました」
どういうことかと続きを促す。
「あの加工した竜鱗、魔宝石とでも言っときますね。魔法石に保険をしてたんです。私の一部を移して。まあ、あれは元々そういうものなんですけど。とにかく保険になりました。私、精神生命体だから死なないって言ってましたよね? 普通ならまた意識を引き継いで生まれ直すんですけど、シグルドさんとのつながりがあるので何度でも私として復活できるんです。もし存在自体を葬られても、その魔宝石に契約者の魔力を流してもらいながら名前を言ってもらうことで私の意識自体を再構築できたんです」
「なんでもっと早く教えてくれなかったんですか! 教えてくれてたら! もっと早く!」
「有事の際には教えるつもりだったんですよ? けど実際に実物を見て思いました。これは無理だって」
「どういうことですか?」
「神様。あれはバケモノです。そのくせ意地が悪い。あの神様、この魔宝石も私の痕跡も全部消そうと思えばできたのにしなかったんですよ? この結末も知ってたはずです。知っててわざわざ一旦私を消した。きっとシグルドさんがもう二度と馬鹿なことをしないように、軽い罰を与える目的で。ちなみにご丁寧に私の座標移動の能力は奪われてます。多分シグルドさんが自分で魔術を構築する可能性を考えてですね」
「じゃああの神は、神様は、俺から何も奪うつもりはなかった……?」
「奪うというか法に則っとというか。体裁を保ちつつシグルドさんに反省を促しただけですね、あの神様」
「…………とりあえずよかった……。無事に帰って来てくれて」
「あれ、シグルドさん泣いてます?」
「これが泣かずにいられますか」
俺の頭にミアとアリスの手が伸びる。いっしょによしよしされる。二人の手をいっぺんに掴んで、頬に押し当てた。
しばらくそうしていると、ネネが泣き出した。つられてナイアも泣く。俺とミアは慌てて二人をあやしに行った。
「おーよしよし。おっぱいな訳ないし、おむつ……でもない。単にぐずっただけみたいですね」
「はいはい、ママとパパはここですよ~。あ、アリス。紹介するね。あたしとシグルドの子供。こっちがナイアで、シグルドが抱いてるのがネネ」
「触ってもいいですか?」
「どうぞ。めっちゃ泣いてるけど」
アリスが二人の手に指を近づけると、触れた瞬間にナイアとネネはその指をぎゅっと握り、なぜか泣き止んだ。
「わ、握った」
「何で泣き止んだ?」
「知らない人がいてびっくりしたんじゃない? なんか赤ちゃんって魔力に敏感らしいし。魔力の質で誰か判別してるんだってママコミュの誰かが言ってた」
「初耳なんですけど」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてたら覚えてます」
「ふぇ」と二人から泣く気配。続く泣き声は過去一大きかった。
「ごめんなさいごめんなさいなんかやっちゃいました⁉」
「いや赤ちゃんってこういうもんですし。というかアリスの指を離さない……」
外させようと試みるが二人とも意地でも離さない。
というか二人とも、無意識に身体強化使ってない? 気のせい?
「シグルドー。凄い泣き声がするんですけど、大丈夫ですかー?」とイリスさんが扉を開ける。
「あ」と俺とミアの声が重なった。
イリスさんはアリスを見て、目を見開いて、「あなたー! リューグー! リーゼー! 早くシグルドとミアの部屋に来てください!」と叫んだ。途端にわらわらとやってくる我が家族たち。ラッシュさんはレント君を、リューグは水飴を、リーゼは洗濯物を片手に。
「まー」
「あー、イリス。レントがお前がいいって」
「あい」
イリスさんがレント君を抱っこする。そしていい笑顔でつかつか寄ってくると、アリスにずいっと顔を寄せた。
「随分長い家出でしたね? シグルドももうちょっと短かったですよ?」
「うぐっ」
イリスさん。俺に流れ弾飛ばさないで。
「いや私は家出じゃなくて……」
「心配しました」
アリスの肩がガシッと掴まれる。
「心配しました」
「はい。ごめんなさい」
素直に謝るアリス。俺に触れられた手から密かに「この人滅茶苦茶コワイんですけど!」とSOSの思念が流れ込んでくるが、俺にはどうすることもできない。
器用な助けの求め方をしているが、許せ。俺も怖いんだ。
「イリス、その辺にしとけ」
「ですがあなた……」
そういうイリスさんの肩に手をおき、ラッシュさんは一つ頷く。それだけでイリスさんは引き下がった。
「ずいぶん遅かったが、よく戻って来たな。おかえり」
「おかえりなさい」
「おかえり」
「おかえりなさい。ご飯の用意一人分増やす」
皆が口々に言う。
「そういえば言ってなかった。おかえり、アリス」
「俺も。おかえりなさい。迎えに行くのが遅くなってすいません」
俺たちに囲まれてアリスがその目尻に涙を溜める。
そして言う。飛び切りの笑顔で。
「ただいま戻りました!」




