(第2章) 凍解の招待状
窓の外では、春を呼ぶ風がギルドの紋章を揺らしていた。キマイラとの死闘から数ヶ月。かつて「無能」と蔑まれた少年、シュウが住まう小さな家には、今日も賑やかな声が響いている。
「シュウ様、今日もお疲れ様です! 王都のギルドから、また新しい依頼が来ていますよ」
リィネが甲斐甲斐しく手紙の束を整理する。彼女の瞳には、かつて絶望に沈んでいた頃の影はなく、ただシュウへの純粋な敬愛だけが宿っていた。シュウはその手紙を一瞥もせず、テーブルの上で鈍い光を放つ魔物の甲殻を磨いていた。
「……依頼はいい。今は、こいつをどう調理するかが先だ」
シュウの声は低く、どこか冷淡に響くが、その手つきは驚くほど丁寧だ。現在のステータス、10,250。人の限界を超えたその力は、今や「破壊」のためではなく、未知の「食材」を完璧に処理するために注がれていた。
その時、リィネの手が止まった。束の中に、ひときわ異彩を放つ封筒があったからだ。重厚な羊皮紙に、銀色の蝋で封じられた紋章。それは、隣国クロイツ王室の直印だった。
「……シュウ様、これ……。王女、フィオナ様からです」
リィネが震える手で封を切る。中から現れたのは、芳醇な香水の香りが漂う親書だった。
『親愛なるシュウ様へ。
あの日、荒野の凍える夜に貴方が差し出してくださった、あの温かなシチューの味が、今も私の指先に残っています。貴方の真っ直ぐな強さが、どれほど私の凍えた心を救ってくれたことか。
今、我が国は『氷晶の剛角鹿』を超える、伝説の霊鳥の出現に揺れています。どうか、今度は我が国の至宝を、貴方の手で最高の形にしていただきたい。王宮の食卓にて、貴方との再会を心より待ちわびております。』
読み上げたリィネの顔が、わずかに強張る。
「……フィオナ様、まだあの時のことを……」
「……クロイツ国か」
シュウが、初めて磨いていた手を止めた。
「あそこの岩塩は不純物が少なく、魔力を含んだ肉の旨味を最大限に引き出す。それに……『伝説の霊鳥』か。一度、火を通してみる価値はありそうだ」
「ちょっと、あんた。そんな理由で行くつもり?」
背後の階段から、苛立ったような声が降ってきた。エレインだ。彼女は古びた杖を携え、旅支度の整った鞄を肩にかけていた。
「王女様直々の招待なんて、ただの『食事会』で終わるわけないじゃない。政治的な勧誘に、騎士団の反発……。面倒事に首を突っ込むだけよ」
彼女はそう言い捨てながらも、シュウの隣に腰を下ろし、彼の左腕の状態を確認し始める。
「……全く、王女様にまで顔が利くなんて。どれだけ手のかかる男なのかしら。でも、あっちの特産薬草は魔力の伝導率が良いから……。あんたの『器』を繋ぎ止める薬を作るためについて行ってあげてもいいわよ」
エレインはそっぽを向くが、その耳たぶがわずかに赤らんでいるのを、シュウは見逃さなかった。
「……シュウ。……行くなら、私も」
いつの間にか、ミーニャがシュウの背後に音もなく立っていた。彼女のふさふさとした耳が、警戒と期待で細かく震えている。
「……王女様。……あの人、シュウを見る目が『獲物』を狙う時のそれだった。……だから、私も離れない」
ミーニャはシュウの服の裾をぎゅっと掴み、首元に顔を寄せる。その温かな感触と、野生特有の微かな香りがシュウの鼻腔をくすぐる。
「……好きにしろ」
シュウは短く答えた。
かつて孤独に泥を啜っていた少年は、今、三人の少女たちの視線と、それぞれの温度を感じていた。
エレインの、冷たいようでいて執着に近いほど深い魔力。
ミーニャの、言葉にできないほど真っ直ぐな体温。
そして、リィネの、献身という名の静かな寄り添い。
「……準備をしろ。明日の朝、発つ」
シュウはそう告げると、再び魔物の甲殻を磨き始めた。窓の外、春の風はクロイツの方角へと吹き抜けていく。そこには、未だ見ぬ「最高の食材」と、再会を待ちわびる「憧憬」が待っているはずだった。




