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「君を愛することはない」と言われたので、廃温室で薬草研究を始めました。  作者: mera


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3


執務室の前に立つと、クレールは一度深呼吸をした。

ノックする。

「入れ」

低い声が返ってきた。

扉を開けて中に入ると、レオナールは書類から顔を上げずに言った。

「何か用か」

執務室は、想像していたよりも質素だった。大きな机と、書棚と、窓。装飾は最小限。この人は、虚飾を好まないのだろう。

「温室を使いたいのですが、許可をいただけますか」

その言葉に、レオナールの手が止まった。

ペンを持ったまま、微動だにしない。

「……温室?」

「はい。庭園の奥にある、放置されている温室です。薬草を育てたいのです」

沈黙が落ちた。

クレールは、夫の反応を観察した。

レオナールは、ゆっくりと顔を上げた。その表情は——読み取れなかった。冷たいのとも、怒っているのとも違う。何か、複雑なものが一瞬よぎったように見えた。

(この人は、あの温室に何か思い入れがあるのだろうか)

そう思ったが、口には出さなかった。

沈黙が、数秒続いた。

「……好きにしろ」

その声は、いつもより——低かった。

「ありがとうございます」

クレールは、淡々と礼を言って退室した。

扉を閉める瞬間、振り返らなかった。

だから、気づかなかった。

レオナールが、窓の方へ歩み寄り、庭園の奥——温室の方を見下ろしていたことに。

その目が、どこか遠くを見つめていたことに。

袖口のボタンに、無意識に触れていたことに。


***


その日から、クレールは温室に住み着いた。

文字通り、朝から晩まで温室にいた。

まず、枯れた植物を処分した。土を掘り起こし、新しい土を入れた。生き残っていた薬草を丁寧に手当てし、日当たりの良い場所に移動させた。

蔦を払い、ガラスを磨き、棚を修繕した。

使用人たちは、最初は戸惑っていた。公爵夫人が自ら土をいじるなど、前代未聞だったのだろう。けれど、クレールは気にしなかった。

公爵夫人としての務め——食事への出席や、来客への挨拶——は最低限こなした。それ以外の時間は、すべて温室に注いだ。

「奥様、お茶をお持ちしました」

「そこに置いておいて」

「奥様、お着替えの時間でございます」

「後で」

使用人たちは、やがてクレールの生活リズムを理解し、余計な口を挟まなくなった。

それでいい、とクレールは思った。

温室の中で、土に手を埋めている時だけ、クレールは自分が「生きている」と感じられた。

植物は、嘘をつかない。

水をやれば育つ。日に当てれば花を咲かせる。手入れを怠れば枯れる。それだけだ。人間のように、陰口を叩いたり、見下したりしない。

(私には、これがある)

それで、十分だった。

三週間が過ぎた頃、温室は見違えるようになっていた。

ガラスは透明になり、陽光が燦々と降り注いでいた。棚には、青々とした薬草が並んでいる。セイヨウオトギリソウ、エキナセア、カモミール、ペパーミント——

クレールは、新しい苗も植えた。町の市場で種を買い、自分で育てた。

「ふふ」

思わず、笑みがこぼれた。

ここに来て初めて、心から笑った気がした。

「奥様」

温室の入り口から、ベルナールの声がした。

「何?」

「旦那様が、お呼びです」

クレールは、手を止めた。

夫に呼ばれるのは、初めてだった。


***


執務室に入ると、レオナールは窓際に立っていた。

「呼んだのか」

「ああ」

レオナールは振り返り、クレールを見た。

「温室は、順調か」

「はい。おかげさまで」

「そうか」

沈黙が落ちた。

レオナールは、何か言いたげに——しかし、言葉を探しているようだった。

「……あの温室に、何があったか知りたいか」

唐突な質問だった。

クレールは、少し考えてから答えた。

「知りたいです。けれど、あなたが話したくないなら、聞きません」

レオナールの目が、わずかに見開かれた。

「……変わった女だ」

「よく言われます」

「褒めていない」

「分かっています」

会話が途切れた。

けれど、不思議と——気まずくはなかった。

「温室のことは、いずれ話す。今は……まだ、整理がついていない」

「分かりました」

クレールは頷いて、執務室を出た。

廊下を歩きながら、ふと思った。

あの人は、何を「整理」しようとしているのだろう。

温室に、何があったのだろう。

知りたい気持ちはあった。けれど、急かす気はなかった。

人には、話せるようになるまで時間がかかることがある。クレール自身も、そうだ。祖母のことを、まだ誰にも話せていない。

(いつか、話してくれる日が来るかもしれない)

その時まで、待てばいい。

クレールは、温室へ戻った。


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