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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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倒れいく者たち

遅くなりました

 凄まじい激闘が秦の章邯しょうかん周章しゅうしょうの間で繰り広げられていた。


 周章は章邯に破れてから函谷関を出て曹陽に駐屯し、追撃してきた章邯を迎え撃った。しかし、勢いは章邯の方があり、再び破れた周章は澠池まで逃走した。


 そこにも一気に追撃をかけた章邯と周章は最終決戦を行い、苛烈な激闘のすえ、周章は章邯に大破された。


「もはやここまでか」


 周章は自決し、彼の配下は章邯に降伏した。最後の最後まで秦軍に挑み続けた周章を秦打倒を掲げた誰もが助けなかったところに偽善めいた人々の姿がある。


 その頃、楚の假王・呉広ごこうが秦の李由りゆうが三川守として守っている滎陽を包囲していたが、なかなか攻略できないでいた。


 そこに周章の敗戦が告げられた。


 それにより楚の将軍・田臧らが互いに相談して言った。


「周章の軍が既に破れたのだから、秦軍は旦暮にも迫って来るだろう。しかし我々は滎陽城を包囲して降せずにいる。秦兵が至れば、必ずや大敗することになる。少数の兵を残して滎陽を包囲し、精兵を全て動員して秦軍を迎撃するべきではないか。ところが今の假王(呉広)は驕慢で兵権(用兵の権謀)を知らないため、共に事を計ることができない。彼を誅殺しなければ恐らく我々は死ぬだけであるぞ」


 田臧らは王令を偽って呉広を誅殺し、その首を陳王・陳勝ちんしょうに献上した。


「呉広……」


 戦友というべき者を失った陳勝は悲しんだが、使者を送って田臧に楚令尹の印を下賜し、上将に任命した。


 政治的判断というやつである。


 田臧は李帰らの諸将に滎陽の包囲を命じ、自らは精兵を率いて西の敖倉で秦軍を迎え撃った。しかし、章邯の秦軍の強さは凄まじく楚軍を完膚なきまでにたたきつぶし、田臧は戦死した。


 章邯は兵を進めて滎陽城下で李帰らを攻撃し、李帰らを戦死させた。


 その後も秦軍の進撃は続く。

 

 陽城の人・鄧説が楚兵を率いて郟に駐軍していたところを撃破され、銍人・伍逢(「伍徐」。「五逢」)も楚兵を率いて許(春秋時代の許があったところ)に駐軍していたのも章邯は打ち破った。


 破れた鄧説と伍逢の両軍は陳に敗走したが、敗戦の責任を持って陳勝に斬られた。


 章邯の八面六臂の活躍によって陳勝の勢力は風前の灯となり始めていた。







 その頃、秦の宮殿では怒声が響いていた。


 二世皇帝・胡亥こがいがしばしば李斯りしを譴責していたのである。


「三公(丞相、太尉、御史大夫)の位にいながら、どうして盗(賊)をこのように自由にさせているのか」


 しかも息子は全然活躍できていないことも指摘した・


 李斯は恐懼した。本来であれば、ここで自らの爵位俸禄を手離し、責任を取るというのが正式であるが、彼にはそんなことができなかった。


 すると彼は上書してこう述べた。


「賢主というのは必ず督責(督は監察。責は刑罰)の術を行えるものでございます。だから申不害しんふがいはこう申されました。『天下を有しながら恣睢(ほしいままに振る舞うこと)しなければ、「天下が桎梏(手かせ足かせ)になっている」とみなされることになる。その理由は他でもない。督責ができず己の身を顧みて天下の民のために労しているからだ。例えば堯や禹がそれである。だから桎梏とみなされるのである』申・韓(申不害と韓非子)の明術を修めることができず、督責の道を行い、天下を自分の自由にすることもできず、いたずらに苦形労神(身を苦しめて精神を労すること)に努めて百姓のために身を犠牲にすれば、それは黔首(民)の役(奴隷)であり、天下を畜す(養う。統治する)者ではなくなってしまいます。これでは尊貴とは申せません。だからこそ明主で督責の術を行える者は上で独断専行し、権(権勢)が臣下に移らないようにするのです。その後は、仁義の塗(道)を滅ぼし、諫説の辯を絶ち、明らかに恣睢(ほしいままに振る舞うこと)の心を行っても敢えて逆らう者はいなくなるのです。こうすれば群臣も百姓も自分の過失を償うだけで手いっぱいになり、変事を謀ることはできないでしょう」


 つまりもっと民に対して厳しくすれば、賊は出なくなるというものである。


 胡亥はこれに喜び、督責をますます厳しくした。民からより多くの税を取る者が明吏とされ、多数の人を殺す者が忠臣と見なされた。


 その結果、道を歩く者の半数が受刑者になり、死人が毎日市に積み上げられていった。


 民衆はますます秦の政治を恐れて乱を願うようになっていったのである。










  趙将・李良りりょうが常山を平定した。李良が帰還して趙王・武臣ぶしんに報告すると、武臣は再び李良を派遣して太原を攻略するように命じた。


 李良は石邑まで来たが、秦軍が井陘を塞いでいたため進軍できなくなった。すると秦将が二世皇帝・胡亥こがいの偽の書を送って李良に投降を呼びかけた。


 李良は書を得たが信用せず、邯鄲に引き返して増兵を請うことにした。


 邯鄲に着く前に、道中で武臣の姉に遭遇した。趙王の姉は外出して酒を飲んだ帰りで、百余騎を従えていた。


 離れた場所でそれを見つけた李良は武臣が来たと思い、道の横に伏して謁見した。


 趙王の姉は酔っていたためこの将が誰かわからず、騎兵を送って李良に立つことを許すように伝えただけであった。


 李良は元々尊貴な地位にいた身分のものであり、立ち上がって自分の従官を顧みた時、羞恥の念を抱いた。


(今やこの私がこの様か)


 従官の一人が言った。


「天下が秦に叛しており、能力がある者が先に立っております。そもそも趙王は将軍の身分よりも下です。今、女児でありながら将軍のために車から下りようともしない傲慢さを見せていました。後を追って殺すべきです」


 李良は秦の書を得てから趙に背こうという気持ちが生まれていたが、決断できないでいたが、今回の事件で憤怒したため、人を送って武臣の姉を殺し、兵を率いて邯鄲を襲った。


 邯鄲は何の警戒もしていなかったため、武臣と邵騷が殺された・


 但し、趙人の多くが張耳ちょうじ陳余ちんよの耳目になっていたため、二人だけは早くに情報を得て脱出できた。


周章が破れ、武臣が倒れた中、陳勝もその最後が近づきつつあった。



 

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