第二話 最強の魔導人形を作ってみた
聖杯を手に入れてから、一晩が経った。
「…………」
俺――時又九輪は、早朝から自室のワークデスクに置かれた黄金の杯を穴があくほど眺めていた。
そのすぐ隣には、昨日気まぐれで生み出してしまった聖剣。
白銀に輝く鞘、純金の精緻な装飾、柄頭で淡く明滅する深紅の宝石。どうどこから見ても本物の「伝説の兵器」だ。
「……夢、じゃなかったんだな」
試しに自分の頬を強くつねってみる。
「痛っ……」
脳に伝わる確実な痛覚。つまり、紛れもない現実。
俺は深くため息を吐き出し、オフィスチェアの背もたれに体重を預けた。
昨夜はろくに眠れず、色々なことを考えた。
聖杯の持つ異常なスペックについて。何が可能で、何を作るべきなのか。そして――絶対に作ってはいけない領域はどこにあるのか。
夜を徹して思考を巡らせた結果得られた結論は、たった一つ。
「……さっぱり分からん」
そもそも、万物を創造する魔道具なんてものを、二十三歳の一般人が突然押し付けられたのだ。使いこなせるわけがない。リスク管理もへったくれもあったものではなかった。
だからこそ。
「……小さく実験して、仕様を確かめるしかないよな」
俺はデスクの上の黄金の杯を持ち上げた。
大損害を回避するため、まずはリスクの低い小規模なテストから段階的に検証を進める。それが投資家としての鉄則だ。
昨日は水、十円硬貨、そしていきなりの聖剣。
「今日は……生命の創造を試してみるか」
聖杯から脳内に共有された情報によれば、生命の創造も「可能」の領域に含まれている。
だが、普通の動物を生み出すのは少し躊躇われた。犬や猫を作れば命を預かる責任が生じるし、日々の世話や予防接種、ペット不可の賃貸なら引っ越しすら検討しなければならない。
「……じゃあ、人間?」
直後、猛烈な拒絶反応が頭をよぎった。ダメだ、もっとマシではない。
人間なんて作ってしまったら、戸籍はどうする。住民票は? マイナンバーは? 義務教育や社会保障の手続きは? 何より倫理的な問題が山積みすぎる。
「……となると、代替案は」
俺はスマホを取り出し、検索窓に語句を打ち込んだ。
『魔導人形』
いわゆるゴーレム、あるいはオートマタ。
ファンタジー作品では定番の、命令に絶対服従する人工生命体だ。魔力で駆動し、自律思考を行う人形。
「これなら……戸籍や生活上の面倒も最小限で済みそうだな」
俺は聖杯を再び机の上にセットした。
そして、目を閉じて思考を整理し、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「魔導人形を作ってくれ」
聖杯が微かに脈動し、淡い光を放ち始めた。
そこへ、俺は投資のコンプライアンスを設定するように追加の制約条件を重ねていく。
「所有者である俺に絶対に従順で」
光の輝きが一段階増す。
「俺の命令を最優先事項として処理して」
さらに光が強まり、部屋の影を押し広げていく。
「俺、および俺が指定した第三者には絶対に危害を加えないこと」
そして――最後の一言。
せっかく万能の聖杯で作るのだ。どうせ試すなら極端なパラメータを見てみたい。
「戦闘能力は……そうだな、最強で」
瞬間、視界が真っ白に染まるほどの光が自室を満たした。
「……あ」
吐き出してから、己の雑なオーダーに気づく。
「最強」とは何だ。概念が曖昧すぎる。物理攻撃力なのか、魔力なのか、速さなのか。
「まあ……聖杯だし、うまいこと解釈してくれるだろ」
投げやりな納得をした直後、頭の中に重厚なアナウンスが響いた。
『創造条件を受諾』
『対象構造:マギア・ドール』
『主要用途:対人・対魔戦闘』
『戦闘スタイル:剣士』
『絶対忠誠対象:時又九輪』
『命令優先順位:所有者の要求を最優先プロセスとして固定』
『思考回路:自律適応型AI』
『外装デザイン:人間型』
『戦闘出力:規格外』
『これより創造を開始します』
「……うお」
フローリングの中央に、複雑に交差する純白の光の紋章が浮かび上がった。
無数の光の粒子が立ち昇り、空中で目まぐるしく交差する。
骨格が編み込まれ、繊細な筋肉繊維が覆い、疑似神経と魔力回路が全身を駆け巡る。そして、滑らかな皮膚、繊細な銀の髪、整いすぎた顔立ち、漆黒の騎士服――。
まるで、神の手によって美しい人間が瞬時に組み上げられていくような光景だった。
やがて光が霧散し、そこに「それ」が立っていた。
「…………」
一人の少女だった。
人間で言えば、十七、八歳といったところだろうか。腰まで伸びた艶やかな銀髪に、雪のように透き通る白銀の肌。絵画から飛び出してきたかのように完璧な造形の顔立ち。
閉じられていた長いまつ毛が持ち上がり、紅蓮の宝石を思わせる深紅の瞳が露わになる。
細身の身体には、黒を基調とした洗練された意匠の騎士服。腰には、装飾のない一振りの細身の剣。
どこからどう見ても、息をのむほどの美少女だった。
「……本当に、人形なのか?」
俺が思わず呟くと、少女の紅い瞳がじっとこちらを捉えた。
そして、流れるような動作で俺の前に片膝をついた。
「――ご命令を、マスター」
鈴を転がすような、凛とした声。
「私はマギア・ドール。現在、個体識別名を設定されておりません」
「名前……ないのか」
「はい。所有者様のご命名をお待ちしております」
「じゃあ……」
俺は少し考え、ふと思い浮かんだ音を口にした。
「アリア」
「アリア……」
「今日から、お前はアリアだ」
「承知いたしました」
少女――アリアは深く頭を下げた。
「これより私は『アリア』。マスター・時又九輪様に終身仕える、剣士型マギア・ドールです」
「……本当に、俺の言うことを何でも聞くのか?」
「当然です。私の存在理由は、マスターに奉仕し、その命を守ることに集約されています」
「命令なら、どんなことでも?」
「はい。物理的・論理的に可能な限り、即座に遂行いたします」
「……例えば、俺が『あいつを殺せ』と言ったら?」
「マスターが敵対対象と認定し、排除を命じられた場合」
アリアは一切の躊躇なく、平然と言い切った。
「コンマ一秒の迷いもなく、対象の生命活動を停止させます」
「……物騒すぎるな」
「不快に思われましたでしょうか。大変申し訳ありません」
「いや、謝るな。俺がそういう設定にしたんだ」
自分で「最強」なんて大雑把な注文を出した結果だ。
「じゃあ、さっそく性能のテストだ」
俺はデスクの横に立てかけてあった聖剣【アストラル】を取り上げた。
「アリア、この剣を使えるか?」
「問題ありません」
アリアは無駄のない動作で立ち上がり、俺から聖剣を受け取った。
その瞬間。
――ガタッ。
自室の空気が、物理的な質量を持ったかのように一変した。
さっきまで無機質だった少女の全身から、肌を突き刺すような凄まじい「圧力」が放たれる。気圧が急激に下がったかのような錯覚に、俺は思わず一歩後ろへ引き下がった。
「……おい」
「はい、マスター」
「お前……本気で『最強』で作られたのか?」
「マスターのご指定通り、現存する最高スペックで構築されております」
アリアは聖剣を軽く正眼に構える。その立ち姿には微かな隙すら存在しない。
あまりの完成度に、俺の投資家としての探求心が芽生えた。
「……じゃあ、その剣。庭に向かって一回振ってみてくれ」
「承知いたしました」
アリアはバルコニーから庭へと静かに降り立った。
そして、静止した状態から――スッと右腕を振った。
――ズンッ!!
空気が爆ぜるような重低音が響いた。
……が、庭の景観に何の変化もない。木も、壁も、地面もそのままだった。
「……ん? 失敗か?」
俺が首を傾げた、次の瞬間だった。
ハラハラと、庭に植えられた植木や樹木から「葉」だけが一斉に舞い落ちた。
枝や幹は一切傷ついていない。だが、生い茂っていた数千、数万本の葉が、正確に同じ高さで、一ミリの狂いもなく水平に切り揃えられて落ちていたのだ。
「…………」
俺は言葉を失った。
アリアは完璧な所作で聖剣を鞘へと納める。
「動作確認、完了いたしました」
「……今の、どうやって切ったんだ?」
「空間上の魔力伝達を調整し、葉の柄の部分のみに切断概念を収束させました」
「……うん、言ってる意味が全然分からない」
だが、理解できたことが一つある。
こいつは「世界を切り裂く力」を持ちながら、「庭の葉っぱ一枚だけをピンポイントで刈り取る」ような超精密操作が完璧にできるということだ。まさに規格外。
庭を見つめる俺の横で、アリアは相変わらず無表情だった。
……が、よく見ると、彼女の紅い瞳がほんのわずかに揺れ、口元が微かに上向いている気がした。
「……アリア、もしかして、ほめられて嬉しいのか?」
「……」
「アリア?」
「……はい」
一瞬の間を置いて、彼女はほんのり頬を染めるように静かに答えた。
「マスターに評価していただけることは、私の演算回路において最高の幸福と定義されております」
「……そうか」
完全な機械かと思ったが、ちゃんと感情の芽のようなものがあるらしい。
どこか人間くさい反応に、俺は少しだけ胸を撫で下ろした。
「じゃあ、基本方針を決める」
「はい」
「俺を守れ」
「承知いたしました。マスターの生存と安寧を最優先事項に設定します」
「敵が来たら?」
「即座に無力化、あるいは排除します」
「俺が寝ているときは?」
「室内にて不眠不休で警戒にあたります」
「俺が風邪を引いたら?」
「最適な初期対応と栄養管理、看病を行います」
「俺が腹減ったら?」
「マスターの嗜好に合わせたお食事をご用意いたします」
「……」
俺は改めてアリアの顔を見た。
「お前、家事もできるのか?」
「マスターの日常を全面的にサポートすることも、私の機能に含まれています」
「……万能すぎるだろ」
「恐れ入ります」
淡々と、しかしどこか誇らしげに応じるアリア。
俺は自室の椅子に深く腰掛け直し、頭を抱えた。
「……とんでもないものを生み出しちゃったな、本当に」
黄金の聖杯。
神話の聖剣。
そして、容姿端麗にして全能の最強剣士アリア。
昨日までの俺は、部屋で数字を転がすだけの暇な個人投資家だった。
それが今日から、この狭いマンションに――
「……美少女が同居している」
「はい」
「しかも世界最強クラスの剣士」
「はい」
「で、俺に絶対服従」
「はい」
俺は天を仰ぎ、それからフッと笑いを漏らした。
「……クソみたいな暇つぶしだった日常が、一気に狂ってきたな」
「ご不満でしょうか、マスター?」
「いいや」
俺は口元を緩めた。
「むしろ、最高に面白くなってきた」
その言葉を聞いた瞬間、アリアの唇が、今度ははっきりと綺麗な弧を描いた。
「マスターがそうおっしゃるなら、私は深く歓喜いたします」
一人暮らしだった俺の静かな部屋に、突然舞い降りた最強のメイド兼護衛。
その引き金を引き、この異常な状況を作り出したのは、他でもない俺自身だ。
「……さて」
俺は机の上の聖杯を見つめ、不敵に呟いた。
「次は、何を作って遊ぶかな」
――この時の俺は、まだ何も知らなかった。
俺が軽い気持ちで生み出した一体のマギア・ドールが、そう遠くない未来、日本政府から『国家安全保障上の最重要警戒対象』に指定されることなど。
そして、彼女が初めてこの部屋のドアを開け、一歩外の世界へと足を踏み出した日。
たった一人の少女の存在によって、日本という国全体が激震することになるという事実を。
――この時の俺は、まだ知る由もなかったのだ。




