↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
特待生だと思われて最後列に座らされた私が、三か月後、祖母の名前がついた音楽ホールで最初の一曲を弾くまで  作者: 空の異変


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/8

第一話 最後列

転校初日、私は制服リユースの棚でもらい、祖母が夜のうちに詰めてくれた古い制服を着て、40分バスに乗って綾嶺学園へ来た。


「特待生はここ、年間200万円のこの学校に、あなたみたいな人の居場所はないの」と鶴岡怜奈は言った。


前の晩、父は電話で「学校では、セイラントグループの娘という肩書を置いて、鈴木瑶でいなさい」と言った。


    *


校門の前の車寄せに、黒い車が一台ずつ入ってくる。運転手が降りて後ろのドアを開け、私と同じ制服の生徒が降りる。


7時40分。バスを降りるとき、祖母のICカードが読み取り機でピッと鳴った。


バス停から歩いてきた私は、その車の列の横を通る。鞄の持ち手には、カードを挟んだまま。


誰もこちらを見ない。歩いて門をくぐる生徒には、目を向ける理由がない。


事務室の人に連れられて、1年3組の前まで来た。


「武田先生、編入生です」


戸を叩いてそれだけ言うと、事務室の人は戻っていった。


担任の武田先生は30代くらいで、ネクタイの結び目がきちんと詰めてある。


先生の目は、まず私の制服で止まった。袖口で一度止まり、それから私の手の中のICカードに下りる。


顔に来たのは、最後だった。


「鈴木さんだね。入って」


教壇の横に立たされる。黒板の溝に、短くなった黄色いチョークが一本だけ転がっていた。


「今日から編入生が二人入る。こちらが鈴木さん、もう一人の安西さんは少し遅れてくる」


「鈴木瑶です。よろしくお願いします」


「鈴木さんから、何かあるか」


「いえ、ありません」


武田先生は名簿から顔を上げた。


「二人のうち一人は特待生だ。誰なのかは学校の決まりで言えないから、聞かないように」


言い終わる前に、教室中の目が私の袖口に集まっていた。


「どっちだろうね」


「見れば分かるでしょ」


前の方の席で、女子が一人、窓際をちらりと見てから口を開く。


「聞くまでもないじゃん」


新美萌香という名前は、あとで知った。彼女が窓際で確かめたのは、鶴岡怜奈の顔だった。


鶴岡さんの席は、三列目の窓際。仕立てた制服で、袖口に同じ色の細い縫い取りがある。


彼女は新美さんを見なかった。見ていたのは、私の袖口だった。


「先生」


手を挙げた声は大きくないのに、教室の後ろの壁まで届いた。


「最後列、空いてますよね。編入生はあそこでいいんじゃないですか」


「みんなの席を動かさなくて済みますし」


「それもそうだな」


武田先生は名簿に何か書きこんで、顔を上げなかった。


最後列の壁際。隣は、教室のゴミ箱だった。


鶴岡さんが立ち上がって、その机に置いてあった自分の鞄を取る。ついでに、椅子をゴミ箱の方へ足で押した。


「特待生はここ」


教室の通路を、最後列まで歩く。途中の机の何人かが、私の袖が通り過ぎるのを目で追った。


私は椅子の背に手をかけて、少しだけ元の位置へ戻した。座って、鞄を机に置く。


机がかたりと傾いた。脚の一本が短く、その下に半分に切った消しゴムが挟んである。


「ありがとう」


鶴岡さんの足が止まった。2秒くらい、黙って私の顔を見ていた。


「物分かりがいいじゃない」


それだけ言って、彼女は席へ戻っていく。新美さんが小さく笑って、その背中を目で追った。


私は教科書を出して、傾く机の角に肘を置く。そうすると、ノートは書ける高さで止まった。


    *


1時間目が終わると、新美さんはすぐに鶴岡さんの机へ寄っていく。二人の笑い声が、窓際で短く重なる。


休み時間の終わりに、武田先生が黒い表紙の帳簿を持って教壇に戻ってきた。


「創立記念の行事費、一人3万円。来週までに私のところへ持ってくること」


「現金ですか、振り込みですか」


前の席の誰かが聞いた。


「どちらでもいい」


先生は帳簿を開いたまま続けた。


「学校としては、事情のあるご家庭の免除申請も受け付けている。申請書は私に……まあ、必要な人はいないだろうが」


言いながら、先生の目は教室を横切って、最後列で止まった。


どこかで、短い笑い声がした。


新美さんが鶴岡さんの横顔を一度見てから、椅子ごとこちらを振り返る。


「ねえ、特待生。申請書書くなら、あたしが職員室に持って行ってあげる」


「やさしいじゃない、萌香」


鶴岡さんは前を向いたまま、ペンの先で机を一度叩いた。


私は鞄から財布を出した。一万円札を3枚抜いて、教壇まで歩く。


開いたままの帳簿の上に、それを置いた。


「え、現金?」


新美さんの声が、思ったより高く上がった。


「現金で、お願いします」


武田先生は札を見て、それから私の顔を見た。一枚ずつ数えて、帳簿の欄に何か書きこむ。


「……確かに」


先生は札を帳簿のあいだに挟んで、次の名前に指を移した。


席へ戻る途中で、新美さんの声が追いかけてきた。


「それ、貯めるのにどれだけかかったの」


「夏休み全部じゃない?」


「今学期、何を食べるの?」


「やめなよ、聞こえるって」


「聞こえるように言ってるんだって」


笑い声が、さっきより少しだけ大きくなった。武田先生は帳簿に目を落としたまま、何も言わなかった。


私は答えずに座り、財布を鞄にしまう。


母が去年くれた財布だ。ロゴは内側についていて、外からは見えない。


2時間目、武田先生の授業が半分ほど進んだところで、教室の後ろの戸が開いた。


「あ、遅刻」


女子生徒がひとり、戸口に立っていた。髪が少し乱れていて、スカートの裾がほかの子より長い。


彼女はその場で、深く頭を下げた。


「遅れてすみません。安西こはるです」


「安西さんか、連絡は受けている。席は最後列、鈴木さんの隣だ」


「はい」


安西さんはもう一度頭を下げて、通路を歩いてきた。鞄を胸の前に抱えたまま、私の隣の椅子を引く。


鞄の口から、輪ゴムで留めた小さなメモ帳がのぞいている。


教室が、ひと呼吸ぶん黙った。


最初に口を開いたのは、新美さんだった。


「もう一人」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。