18 契約書類とギルドカード
「お、割れた」
「割れたどころじゃないッスね」
「おい、粉々じゃねーか」
粉々に砕けた魔石を手のひらに乗せてこちらに顔を向ける黒髪の美青年騎士と目が合う。――と言うか、ギルド長の応接室にいる全員がバッと、お前またやらかしただろって顔で老婆に視線を向ける。
いやいやいや、私を見ないで欲しい。待って、私のせいじゃないよ!
横から刺さるギルド長ロニーからの厳しい視線が痛い。それ、老婆に投げる視線じゃないよ。普通の老婆なら泣いちゃうよ! 年寄りには優しくだよ! 叩くより称え合おうだよ!
――うーん、どうしてこうなった?
老婆は半目になりながら今日の出来事を思い起こしていた。
取り敢えず三行にまとめる。
老婆に泥を食わせる鬼団長
砂漠の国のハンサム王女様登場
よくわかんないけど護衛ゲット
――まとめたけど意味不明だった!
老婆が思わず遠い目をしてしまうのは仕方がないと思うんだよね。
◇ ◇ ◇
洞窟内の広い食堂には、老婆とアレク、セディ、そして砂漠の国ケルジァールの王女様(絶賛男装中)、おまけの狼達がテーブルを囲んでいるという謎の状況が出来上がっていた。
ちなみに老婆に泥を食わせる極悪非道な騎士団長は、白い団服の騎士が呼びに来て王宮の騎士団本部へ帰って行った。セディを代わりに行かせようとして大分揉めてたけど、王女様の「では、私が代わりに行こうか?」という一言で諦めたらしく、首を横に振りながら渋々、本当に渋々、騎士団本部へ帰って行った。
そもそも王女様は王太子の婚約者として来訪されたので一緒に王宮へ行った方が良いのでは?と思ったが、複雑な事情があるらしくそうもいかないようだった。
私が三日間寝こけている間に、騎士団長達と情報交換をしたという王女様は「私の偽物がそろそろ王宮に来るらしい。我が国の船は沈められたし、私も殺されかけたからね。まだ近付かない方が良いだろう」と言って肩を竦めてみせた。
「それに、少し調べたいこともあってね。自由に動くためには魔女殿の護衛騎士は都合が良いのさ」
「えっ、王女様が自由に動いていいんですか」
「「…………」」
セディとアレクに視線を向けると、目をスイッと逸らされた。あー、うん、ホントはダメなやつだなコレ。
まあ確かに、ここの騎士達はいつも自由にしてる。私の見張り役の筈なんだけど誰もいない時もあるし……。なるほど、自由に動くには好都合な『肩書き』だってことは分かりました。
「でも、王女様だってバレたら大騒ぎになりませんか?」
「うん? 私が今、王女様に見えるかい」
目の前の黒髪の美人は、こてりと可愛らしく小首を傾げる。
だがしかし、その姿は王女様どころか、到底女性には見えない。介抱して着替えさせた時に見た巨乳の影も全く無い。ただ引き締まった身体の若く美しい男性騎士に見える。
――んん? 一体どういうこと? 混乱する。
大体、女性と男性では骨格が違う。
漫画や小説で、可愛い巨乳女子が男装して男子寮で生活しなきゃいけなくてバレたら大変、キャッ私どうなっちゃうの~?! みたいな展開の話あるけど、あれはやっぱり二次元だから成立する話だ。ある意味幻想物語だと思うんだ。現実では骨格や肉付きでバレる。
ちなみに中年以降になると、別に男装女装してる訳でもないのに、ノーメイク普段着なのに、おじさんなのか、おばさんなのか、一体何歳なのか、一見して見分けがつかないタイプの人が出てくるけど、これはまた話が別だ。
……ええと、話が逸れた。
「どう見ても男性騎士に見えます。王女様に見えないのが不思議なんですが……」
「ふふふ。不思議かい?」
男性騎士にしか見えない王女様は、悪戯っぽく目を細めて笑うと、髪をほどいて、その髪を結っていた青い布をテーブルに広げて見せた。
「男に見えるのは此れの効果だよ」
「あっ!」
青い布がその手を離れた瞬間、青年騎士が女性らしい骨格に変化した。
相変わらず中性的な美しさだけど、ゴツゴツした手の節くれが消えて滑らかな指先になり、喉仏も消えて、胸筋の厚みに見えていたものがさらしで潰し切れてない胸の膨らみに変わったのだ。えええ、何だコレ、どういうこと?
「魔法、……ですか?」
「否、魔法は使っていない。この布の青い染料に人間の認識を軽く誤認させる力があるのさ」
魔法の場合、気を失った時や魔力無効の場所などで本人の意思に反して術が解けてしまうことがあるそうだ。
その点、魔法生物の素材は、直接魔力を込めて限定的な効果を指定して掛けた魔法に比べれば効果は弱いものの、素材を身に纏うだけでよく、自身の魔力を消費せずに済み、素材が劣化や破損しなければ意図せず解けることもない。
各々種類は違えどこういった様々な効果を持つ素材は重宝なのだという。
「この布の青色は、飛竜の血を吸う天蛭の分泌液が染料でね。我が国の特産というのかな。特産といっても国外に出す物でもないんだが。……それでも今回は私の嫁入り道具として、これの反物を何本か積んでいたんだ。船と共に皆、砂になってしまったけれどね!」
ハッハッハー、と王女様は豪快に笑った。……いやいや、そこ笑うところだった? 船が沈んで死にかけたんだよね? 砂漠の国ジョークかなんかなの?
「ええー、勿体ないッスね!」
「これがあれば潜入任務が楽に……」
アレクとセディが、興味津々でテーブルの上の青い布を見詰めている。それは、泉の側に王女様が落ちてきた時に着ていたあの忍者装束と同じ青色の布だ。
「なに、幼体を何匹か連れてきたから繁殖させることは出来るさ。反物を染めるほどの液を吐く成体に育つには数年掛かるだろうが……。まあ、気長にやるしかないな」
王女様が手に持った試験管のような細長い硝子瓶に薄青い液体が入っている。その中に幾筋か発光する糸のような何かが、フヨフヨと蠢いている。この光る糸のような虫が『天蛭』という生物らしい。
――藍染めだと思ったら、まさかの虫だった。
「王女殿下、それはあまり人に見せないようにしてください。魔法省研究室の連中が見たらヨダレを垂らして欲しがる……というか、奪われそうです」
「その『研究室』とやらには飛竜種の個体はいるだろうか? 天蛭らは竜の血が餌なんだ。少し吸わせてもらえると助かるんだが」
「……竜の血が餌」
「……少し、吸わせる」
セディとアレクがピシリと固まった。
お城でドラコンを飼っていたりするのだろうか? うーん、そもそも、竜を飼っていたとして天蛭に血を吸わせてくれたりするものだろうか? 嫌がって暴れそうだけど。ドラコンが暴れるって結構な大惨事じゃない?
「さて、冗談はさておき。護衛としての私だが……」
王女様が青い布で再びその長い黒髪を一つにまとめると、たちまち男性的な印象に変わる。
「アボット殿の親戚の者、という事にしようと思う」
――ん? アボット殿って誰だ?
「ビルのことだよ、婆さん」
「ウィリアム・アボット。ビル先輩はアボット伯爵家の次男坊ッス」
疑問が私の顔に出ていたようで、横からこっそりセディとアレクが教えてくれる。
ビルって本当はウィリアムって名前だったの? えっ、愛称じゃなくて正式な短縮形? 騎士名簿は『ビル』の方で登録してる? なんだそりゃ、ややこしいな!
私達がこそこそ言い合っているうちに、王女様はお忍びキャラの設定を決めたようだ。
「名前はそうだな……、鷹とでも名乗ろうか。バーズ・アボット。……うん、悪くないな。私はこれから、魔女殿の護衛騎士バーズ・アボットだ。よろしく頼む、魔女殿」
「あっ、ハイ」
青い布で髪を纏まとめ直した王女様が私に向けてすっと手を差し出した。どうやら、これは握手を求められているみたいだ。
足元の狼達はすっかり耳と頭を下げて臥せの体勢になっているし、セディとアレクの表情は無だ。
王太子の婚約者でもある砂漠の国の王女様が素性不明な老婆の護衛騎士をするなど、到底、国としても彼等としても容認できるものではないのだろう。
だが、生憎ここには王女様を諌める立場の者がいない。騎士二人と老婆と狼ではどう考えても他国とは言え王族が一番偉い。そもそもこの王女様、この国の王太子妃――未来の国母になるお方だし。
どうしても王女様が護衛騎士ごっこをするって言うなら止め立てはしませんけど立場的に賛成の意思表示は出来ませんよ、という微妙な雰囲気が無表情な二人の騎士から漂っている。黙認のスタンスだ。
騎士二人が止めないのなら、一介の老婆として否やはない。私は日本にいた時もこの世界にいる今も、長いものにはとりあえず巻かれとく派なのだ。ことなかれ主義と言うなかれ。これぞ長生きのコツである。あ、これテストに出ます。
「……よろしくお願いします」
「うむ」
私が差し出された手を握ると、黒髪の美形騎士は輝く笑顔で鷹揚に頷いた。
さて。
私が思いがけず随分と寝てしまったので、その間に行くつもりでいた冒険者ギルドへの予定が遅れていた。
そう言えば、契約書がどうとかこうとかで、なるべく早くギルドに来いよとロニーに言われていたのだ。(断じて忘れていた訳ではない)
頭の中でイケオジがプンスコ怒っている。今日こそギルドに顔を出さないとまずいだろう。なにしろロニーは怒りんぼだからな。
そんな訳で私達は冒険者ギルドにやって来たのだった。
受付で「ギルド長に取り次ぎますので、少々お待ちください」と言われ立っていると、待つ間もなく直ぐ、ロニー本人が迎えに来た。
「おう! 待ってたぜ、婆さん」
「ひょ!」
大股で足早に近寄ってきたロニーは「今回はちょっと歩くからな」と言って、そのまま私をヨイセと荷物のように担ぎ上げた。
そのまま一行はギルドの建物内をズンズン進む。担がれている私は、まるで米袋にでもなった気分だ。扱い酷くない? おばあちゃんは生き物なのでもう少し丁寧にお願いします!
「婆さん久しぶりだな。ギディオンは?」
「団長は遅れて来るッス!」
「団長も婆さんと一緒に来る気満々だったが、今朝程使いが来て揉めた末に連れ戻された」
「騎士団の詰所か?」
「王宮からの呼び出しッス!」
「殿下が転移門で戻られて、陛下が――」
「あーー! 待て待て! 言うな。聞きたくねぇわ」
厄介事の匂いしかしねえ、と言って私を担いだままロニーは首を振った。
そんな話をしているうちに目的の場所に着いたらしい。そこは以前通されたロニーの執務室とは違う、入り口以外に扉も窓もない、装飾の少ないシンプルな応接室のような部屋だった。
私は成人男性が横になれそうな長いソファーの真ん中に降ろされ、両隣にセディとアレクが座り、背後に護衛騎士(王女様)が立った。
対面にロニーが腰を下ろしたところで、それまで気配を消して壁際に控えていた執事風の男性がお辞儀をしながら口を開いた。
「こちらの部屋は盗聴・透視および乱入を防止する魔法が施されております。どうぞ皆様安心してご歓談ください」
彼はギルド職員の一人で、貴重な鑑定スキル持ちなのだという。ギルド長の補佐を務めているらしい。
その有能な補佐さんが上品な仕草でお茶を淹れてくれる。うん、美味しい。
「……で? 婆さん、後ろの色男は何者だ?」
お茶を飲んで一息ついたところで、ロニーが私の背後に鋭い視線を投げてきた。
――あ、やっぱり気になっちゃいます?
ロニーは騎士団長を呼び捨てだし、セディやアレクとも気安い。闇青の団員の顔を把握してるんだろう。
こんな美形で堂々たる態度なら新人だとしても相当目立つ。そんな目立つ団員の情報がギルド長の耳に入らないなんてあり得ない。そうなると当然、見たことない顔だがソイツは誰だって話になるよね。
何様かって聞かれれば王女様なんだけど、それは明かせない……。ううん、困ったな。説明が難しい。
「えーと、……自称護衛?」
「ハァァ? なんだよ自称って」
ロニーの視線が怖い!
「私の名前はバーズ。バーズ・アボットだ。ウィリアムの親戚で、騎士見習いだ。この度、泉の魔女殿の護衛を務める事となった」
「ほぉ~、〝闇青〟で見習いなぁ」
闇青はいつから見習いを受け入れてんだ、と問うロニーに対しセディとアレクは沈黙で返す。口を引き結んで黙っている二人の顔にはそれぞれ、事情は聞くな、聞かれても言えないッス、と出ている。
恐る恐る後ろの美形騎士(王女様)を振り返り見上げれば、『大丈夫、心得ているとも!』と言わんばかりに頷かれた。
自らをバーズと名乗った美形騎士は私達の座るソファーを回り込み、ロニーの正面に立つと、不躾にも上からズイッと右手を差し出した。
「貴殿が、アーデンマムデル王国の冒険者ギルド、ギルドマスター、ロナルド・バートレット殿だな。噂は聞いている。我々は長い付き合いになるだろう。以後、宜しく頼む」
「……こりゃ、ご丁寧にどうも。俺のことは、ロニーと呼んでくれ。ギルド員もそれ以外もこの街の連中は皆そう呼ぶ」
とても騎士見習いがギルド長に対してする態度じゃないけれど、ロニーは片眉をひょいと上げただけで、特に怒ることなく差し出された握手を受ける。
「そうか。では、ロニー。私のこともバーズと呼び捨てで呼んでくれたまえ」
うん、隠しきれない王族の威厳が出ちゃってるね。やんごとない感が溢れてる。輝くロイヤルスマイルを正面から喰らったロニーも『察した』って顔をしている。
「それでバーズは、婆さんのことは、どの程度知っている?」
「魔女殿が魔女殿になった経緯については、大まかにオルコック卿から聞いている。彼らが知る情報も共有させてもらった」
視線を向けられたセディとアレクの二人が同意するように深く頷いているけれど、ちょっと待って欲しい。私自身がその情報を知らないんですが?! 私、いつ、どうやって魔女になったの? そこ詳しく!
内心動揺する私を放置して、ロニーは「なら、……まあ、良いけどよ」と言って溜め息をついた。
「バーズ。いいか、この婆さんは普通じゃねえ。とんでもねぇ事をキョトンとした顔で、誰が見てる前でも、気にせずすんなりやっちまう婆さんだ。これからやることを見ればその危うさが分かるだろうが……。あんたが『護衛騎士』だって言うんなら、よくよく気を付けてやってくれ」
「相分かった。肝に銘じよう」
彼ら四人は何度も頷きあっているが、ものすごく心外である。『お忍びに向いてない王女様』から『うっかり老婆』について議題がすり変わってしまっている。解せぬ。
「じゃあ、本題だ。婆さん。早速だが、またこれを頼めるか?」
ロニーの合図で、補佐さんがぎっしり何かがつまった革袋を三つ、そのあと黒い箱をテーブルに乗せた。
「グズ石か」
セディが呟いたとおり、革袋の中身は魔力の抜けた灰色の魔石だった。以前魔力補充をしたので同じ事を求められているのだろう。
何個か手に取って見ると、ピリッとした感覚と共に微かに反射するきらめくものが内包しているのが見える。
このキラキラがあるやつは、まだ普通に魔力を補充できる再生可能な魔石なのだ。そしてこの作業は私でなくとも出来ると思うんだけど。
「確かこの間もそう言ってたな」
「うん。あ、どうだった? 試してみた?」
「ああ。だが、S級の鑑定スキル持ちが見てもグズ石にしか見えねぇって言うし、王宮魔術士に魔力補充を試させたが消し炭になっただけだった」
――わぁ、燃やしちゃったかぁ。
それは才能溢れる人が全力で魔力叩き込んで火力が強すぎたんじゃないだろうか。
革袋から一斉に飛び出してきた光たちがまるで、うわーん、怖かったよぉ! と泣いてすがるように顔の回りでぐるぐる回る。うおー、チカチカくるくるする。
うんうん、そうかあ、怖かったかあ。強火で燃やされたら怖いよね。よーし、よしよし。落ち着け落ち着け、光たちよ。
おばあちゃん、目の前でチカチカくるくるされると目が回っちゃうから、一旦落ち着こうか。
「ああ~、攻撃魔法に長けてる人じゃなくて魔道具とか作ってる人の方が向いてるんじゃないかなー、こういう作業は」
まあ、そんなに手間の掛かる作業じゃないので、私も頼まれればやりますけども。
補佐さんがサッとフェルトの敷き布をテーブルに広げてくれたので、そこに革袋から出した灰色のグズ石を平らにならす。
革袋は特に種類分けしてあったわけではないらしいので、三袋の中身を全部一緒にザラザラッと出す。一袋に二~三十個くらい入っていたみたいだ。総数は……、うーん、わからないけど、まあ、多分ギルドが数えてあるでしょう!
「おー、今回は多いね」
「婆さんを当てにして、グズ石を買い漁ったからな。……どうだ、出来そうか?」
「うんうん、大丈夫! まだやる気あるよ、この石たち」
五個ほど、キラキラの弱い石があるので、それは脇に避けておく。
「じゃあ今回も、ピカピカにならない程度に~」
平らに並べた石の上に右手をかざして、パワーが石に入るように念じる。
今回は炭火で焼き鳥を焼くイメージだ。じっくりゆっくり熱が伝わり、美味しそうな匂いが鼻先をくすぐる。鶏の脂がポタポタとたれて、身がきゅっとしまってきて、ああ、そろそろ食べ頃に……。
そろそろ止めていいよー。
もういらないよー。
ピカピカになっちゃうー。
ツヤツヤのピッカピカー。
おっと、いけない。
やんわり力が押し返される感覚が手のひらに伝わる。ピカピカになると聞こえて慌てて力を止める。
「せ、……セーフ?」
「相変わらず凄ェな……」
恐る恐る石を見ると、ギリギリ半透明な色合いに収まっていた。やけにツヤツヤしてるけど、……これはセーフでしょう。セーフなはず!
「魔女殿。魔道具師ならば適性があると言っていたが、私にも出来るだろうか?」
バーズが背後から声を掛けてきた。
「魔法が使えるなら、出来ると思いますよ」
魔法が使えない私に出来るのだから、魔法が使いこなせる人に出来ないはずがないと思う。王宮魔術士が失敗したのは強火過ぎたのが原因だと思うし。
試しに、先程よけておいた石を一個、バーズに握らせてみる。
「ええっと、……ゆっくり魔力をこう、……込める感じで。じんわり温めるようなつもりで優し~く魔力を流し込んでみてください」
「ゆっくり、……温める? こう、か?」
カッ! と、その刹那一瞬。
握られたバーズの拳の、その指の隙間から眩しい閃光が迸った。
「お、割れた」
開かれた手のひらには、ルビーのような透明感の強い鮮やかな――、しかし、哀れにも砕け散った魔石の破片があった。
「割れたどころじゃないッスね」
「おい、粉々じゃねーか」
全員が残念そうな顔になり、そして一斉に老婆を見る。あっ、補佐さんまでへにょりと眉を下げた困った顔でこっち見てる!
――どうしてこうなった。
「いやいやいや、こっちが聞きたいよ! 私のせいじゃないよね? みんなして、そんな目でこっち見ないで!」
「ふ~む、難しいものだな。やはり魔女殿にしか出来ぬか」
「別に婆さんを責めちゃいねぇよ。ただ、婆さん以外が魔石を復活させるのが無理だってのは分かった」
「練習の度に、再生出来る筈の資源が木っ端微塵になるのは困ります。今後も定期的に、泉の魔女殿に魔石復活の依頼を受けていただくことになりそうですね」
いや、絶対他の人でも出来ると思うんだよ! 現に、バーズの手のひらの石はピカピカに色づいている。十分に魔力が補充されたってことだ。……まあ、割れちゃったけど。割れたというか、粉々だけどさ。これはもう半分成功と言って良いのでは?
「割れたといえど、宝石みたいに出来るなんて魔力凄いッスね。バースィラ様、さすが王族ッスねー!」
「おい、アレク!」
「あーあー、聞こえなかったなー! 俺は、断じて、何も聞いてねぇぞ!」
セディは焦ってるけど、アレクの発言は多分わざとだ。ギルド長を巻き込んだ方が自分が楽になるとか思ってそうだ。そして今さら聞こえてないふりをしても逃げられないと思うよ、ロニー。どんまい。
「婆さん、悪いが、この箱のやつも頼む。こっちは制限なしで満タンにしてくれ」
「ピカピカにしていいの?」
「ああ、むしろピカピカにしてくれ。近々、西の森に出向くんだ。あの森はヤバいからな、保険は持てれば持てるだけあったほうがいいからな」
聞けば西の森というのは、大型の強い魔獣が出現する危険地帯なのだそうだ。
その危険な森に、しかも冬が始まるこの季節に、行方不明の公爵令嬢を探しに大規模な捜索隊が組まれるのだそうだ。ギルドの冒険者と公爵家の私兵、あと騎士団、そして回復役として神殿から神官も参加するらしい。
――ええー、なんでもっと早くやんなかったの?
エルミラ嬢って何か月も前から行方不明だったよね? なんで今? もう雪が降りそうな寒さだよ。もっと早く捜索隊組もうよ! 第二王子の婚約者が行方不明なのに、何してたの、この国!
とは言え一老婆が腹を立てても仕方ない。話を聞く感じでは、冒険者ギルドも騎士団も納得などしてない様子だ。
「恐らく今回の遠征は無事には済まねぇ。重症の怪我人が絶対に出る。神官が来てくれる手筈になっちゃいるが、……神殿がどのランクの奴を何人寄越すか分からねぇ。高ランクだとしても魔力切れになりゃ終わりだ」
とにかく今は魔石が一粒でも惜しい、とロニーは黒い箱を開けた。
中には小豆サイズの灰色の石が八つ、恭しく収まっている。これらは元は白色――つまり、癒しの魔石だったのだという。
「癒しの魔石は、神官が魔力切れになった時に役立つ」
癒しの魔石だけでもそこそこの傷は治る。神官なら複雑だったり重症だったりする怪我も技術次第で治せる。そして、神官が魔力不足になった時、癒しの魔石があれば魔石の魔力を活用できる。魔石から神官がエネルギーチャージできる、ということらしい。なるほど。
「婆さん、魔石の出どころは絶妙に漏れないようにする。約束する」
ピカピカの魔石が人の目に触れるということは、その先に老婆という存在がいると気付かれる可能性が出てくるということだ。だけど……。
――もう、今さらだよね。
「報酬、弾んで欲しいなぁ~」
「おう、任せとけ!」
八つの小豆サイズの石に入るだけ魔力を込めると、透明感のある乳白色、まるでムーンストーンのような魔石になった。途中で補佐さんが両手を上げたり下げたりしてアワアワし始めたので、一体どうしたのかと思ったが、どうやらスキルで鑑定したら、彼が冒険者ギルドに勤めて初めて見る高品質の癒しの魔石だったらしい。回りをポワポワ飛んでる光も自信作だよー、と言っているような気がする。役に立つと良い。……いや、むしろ出番がない方がいいか。
ちなみに、最初によけておいた、光の弱い石(その一つはバーズが割ってしまったので、残り四個)は、ひとつひとつ握って補充した。
こちらは他の石同様にピカピカにするなとの指示があったので、透明感がでない程度のところで魔力を止める。色を見るに、風の魔石と水の魔石だった。
「遅くなった」
すべての魔石に魔力を補充し終わったころ、騎士団長が到着した。
私の隣に腰を下ろした騎士団長と入れ代わりに、セディとアレクは素早く立ち上がり、ソファーの後ろに移動してバーズに並ぶ。
「よし! ギディオンも来たことだし、さっさと書類を片付けちまうか!」
「こちらは冒険者ギルドの登録書です。こちらはレシピ登録書です。早速使用許可を求める申請が届いておりますのでこちらの許可も併せてお願いいたします。そして、こちらは当ギルドからの魔石再生の定期依頼を受諾いただく際の書類となります」
補佐さんが流れるように次々と書類を並べていくので、終いにはテーブルは紙で埋まった。
「読めそうか?」
「あー、ハイ。一応、読め……ますん」
「あ゛? どっちだよ」
騎士団が気遣わしげに聞いてくれる。返事が曖昧になってしまったのは、文字は読めるけど、契約書風の文章を脳が理解することを拒否するっていうか……、正直面倒くさいというか……。
「ブヒッ!」
「面倒臭ぇとか言ってねぇでちゃんと読め! いいか、婆さん、契約つーのは大事なんだぞ!」
ロニーに鼻をむぎゅっと摘ままれながら「巧妙に罠が張られてる場合もあるんだぞ! それに引っ掛かって、不当に安い契約で搾取された奴とか、借金奴隷に落ちた奴もいるんだ。面倒でもしっかり自分自身で読め!」と怒られる。
至極真っ当なご意見なので私の返事はもちろん素直に「はい」一択だ。
「うへぇあ~」
「おい、変な声で鳴くな」
ただ読むのに恐ろしく時間がかかった。全部読み終える頃には間抜けな声が出るほどぐったりしてしまった。
「問題ない、と思います」
「よし! じゃあ、ギディオン署名してくれ」
「ああ」
――あれ? 私がサインするんじゃないの?
「ギディオンは婆さんの後見人だから署名が必要なんだよ。何かあった時には後見人が責任をとる」
「えっ」
「何も貴女が心配することはない」
騎士団長はスラスラとサインしていく。
ええー、それって連帯保証人的なやつなのでは……。こんな素性の分からない老婆の後見人をほいほい引き受けちゃうなんて、この騎士団長はちょっと面倒見が良すぎじゃないだろうか。
「私はサインしなくていいの?」
「婆さんは魔力署名でいい」
「この端を握ってください」
「こう?」
補佐さんに差し出された書類の下右端を親指と人差し指で軽くつまむ。親指が紙に触れるやいなや、たちまちブワッと紙の色が象牙色から薄水色に変化した。
「うわ!」
「はい、次はこちらを」
書類の色が変わったことに驚いている間もなく、補佐さんが私の握る書類を回収しては別の書類を差し出してくる。それを次々と繰り返す。
「書類は以上でございます。お疲れ様でした」
「これが婆さんのギルドカードだ。新人のランクは通常F始まりなんだが、……婆さんはギディオンが後見人だし、魔石の件があるからな。信用度と貢献度を鑑みてDにしとくが、一般の冒険者用のランクD依頼は受けるなよ。危ないからな」
「ランクDからギルドの銀行機能が使えます。報酬をその場で直接受け取る以外に、ギルドに預けておくことが出来ます」
「普段はギルドに預けておいて必要な時に使う分だけ引き出すといい。ここでなくとも、どこの冒険者ギルド支部でも引き出せる。すぐ使わない分は長期預けにすると利息がつく」
なるほどなるほど。
私は騎士団長の説明に頷く。つまり、ロニーは、銀行システムが使えるようにするために、冒険経験0で最弱の老婆を特例でDランクにしてくれたようだ。
確かに私が大金持って歩いてたら、すぐ追い剥ぎかスリにやられる未来しか見えないもんね。
「預けておきたいです」
「かしこまりました」
補佐さんが一旦退室して、数分後、入金済のカードを持って戻って来た。
「こちらお返しいたします。お失くしになりませんように」
「再発行は銀貨一枚だからな!」
「あ、再発行してくれるんだ?」
「絶っっ対に失くすなよ! 事務処理が意外と面倒臭いんだからよ!」
「はぁい」
受け取ったギルドカードをローブの袖下、和服に例えるなら袂の部分に入れる。
このローブは本当に便利で、袂に何か魔法でポケット加工が施してあるらしく、どんなに動いても入れた物が飛び出すことはないし、わりと大きな物も入るし、入れた物の重さを感じないのだ。
――スゴくない?
多分、マジックバッグ的な魔法付与がされているのだと思う。
内緒だけど、森で拾ったイイ感じの木の棒とかも入っていたりする。いつか歩き疲れた時に杖として使うんだ。
騎士団長はロニーと話があるとの事でそのままギルドに残り、私は騎士三人を連れて森へ戻った。
本当は帰りにベンさんのパン屋や、クリスの床屋に顔を出したかったけれど、書類を読むのに時間がかかったせいか、ギルドを出た時にはすっかり日が暮れていた。冬の日暮れは早いのだ。
洞窟に帰ると隊長と狼達が出迎えてくれた。
狼達は嬉しそうに尻尾を振りながら、口々に立派な獣の毛皮を咥えて持っている。
どうやらまた狩りをしてきたらしい。暖かそうな熊や鹿の毛皮だ。ここのところめっきり寒くなってきたから、とてもありがたい。
一匹ずつ頭をワシャワシャ撫でる。よーし、よしよし。いい子だねー。
そもそも狼の前足でどうやって毛皮を処理して持ってくるのか謎だが、深く考えるとグロくて怖い考えに行き着きそうなのでやめておく。
そこは異世界だから、魔法で全年齢オッケーな感じで安心安全にチャチャっとなんとかなるに違いない。おばあちゃんは狼たちを信じていますよ!
洞窟内には部屋はたくさんあるので、バーズに好きな部屋を選んでもらう。
選んでもらったとて岩の壁に石の寝台しかなく王女様に対するおもてなしとして全然駄目なわけだが、本人が「雨風がしのげるのだから充分すぎるくらいだ」と笑顔で言うので、気にしないことにする。
いや~、王女様を石に寝かせて良いものか、ものすごく気になるけども……!
せめて先程貰ったばかりの熊の毛皮と鹿の毛皮を献上する。ぜひ寝台に敷いて下さいませ。獣の毛皮、割りと暖かいですよ。おばあちゃんのオススメです。
そんな話をしながら寝支度をしていると、狼達が急にわふわふ騒ぎだした。
「ど、どうしたの?」
「ふむ、魔女殿。誰か来たようだ」
すると、ほどなく洞窟の入り口から二人の男が、入ってきた。
私の前にサッとバーズが庇うように立ち、隊長がさらにその前に躍り出る。
予定にない夜の訪問者に緊張が走る。
「婆さーん、たっだいまー!」
「お邪魔しまーす」
「……ビル!」
入り口から走り込んで来たのは、ビルだった。もう一人は知らない青年だが、茶色の騎士服を着ている。市街にいる騎士と同じ団服だ。
ビルの顔を見た瞬間、老婆の脳内には『ビル=美味しいごはん』という計算式ができあがった。なにしろ、私はもうあの泥は二度と食べたくない。食事はおいしくあるべきだ。
私はビルに飛び付いた。
「ビル(ごはん)! おかえり!」
「婆さん!」
ビルは、飛んできた老婆を難なく受け止めて抱き上げ、その場でくるりとターンした。さすが騎士だ。鍛練は怠っていないようだ。いつでも介護職に転職できるぞ。
「婆さん、ウェムゼ岬で作った旨味の強い塩をお土産に持って帰って来たんだ! これで旨い飯作るから、期待し、て……、え?」
「ほう、それは楽しみだ」
「ヴェヒィン!」
そこで、ビルは老婆以外の人物――バーズ、あと隊長がいることに気が付いたらしい。
隊長は前足でガツガツ床を掘っている。これは隊長がイライラしている時の仕草で、これが始まると大体、誰かが頭突きされる。隊長はビルをめっちゃ睨んでいるが、ビルと茶色の団服の青年はそれどころじゃない様子だ。
二人は、目の前の美形騎士に釘付けになっている。
「やあ、アボット殿。久しいな」
「バ、…………バースィラ王女殿下?」
「……へ?」
ビルは王女様と面識があるのか、青年騎士姿のバーズのことを王女だと正しく認識したようだ。バーズはそれに、よっと軽く片手をあげて応えている。
茶色の団服の青年は、狐のように細い目を驚きで見開く。あっ、その目、そんなに丸く大きく開くんだ?
ちなみに、ビルは私を抱きしめたまま固まっている。私はもう気が済んだので離してくれてもいいんだけどな。
「へ? え、何、どゆこと? は?」
「王女殿下、……なぜ此方に?」
「まあ、色々あってな。此方でしばらく厄介になることにしたんだ。取り敢えず、今の私はバーズという名で、魔女殿の護衛で、君の親戚だ! よろしくな!」
「「 ??? 」」
ハッハッハー! とバーズが軽やかに笑う。簡潔な説明に二人が目を白黒させている。でもしょうがない。事実、そのまんまだから。
「お、お、王女、って…………」
「ちょっ、まっ、待ってください! 婆さんの護衛ってどういうことです? ご無事だったなら登城してくださいよ! ていうか、俺の親戚ってなに?! 今頃、レオナルド殿下も帰還し……、がぐほッ!」
茶色の団服くんが驚きで口ごもっている間に、ビルがついに隊長に頭突きされた。
隊長の鋭い頭突きは、ビルの脇腹を鋭角に抉ったようだった。
「ヴェァァァヴィヒゥブヴァェェヒィン!」
体を半回転させて仰け反ったビルに、その反動でポーンと放り出された老婆は気配を消していたセディに無事キャッチされた。
――あ、危なかった。
ていうか、セディ、居たのか。気配消しすぎだよ。アレクも隊長を止めに行ってくれ。ビルがボコボコにされてしまう。私の美味しいごはんが……!
「うそやん! 王女って、どう見ても男やんけーー!」
やんけー
やんけー
やんけー
ビルの呻き声と茶色い団服くんの叫びが、夜の森に切なく響いた。
更新に間が空いてすみません。
いやー、月日が経つのって早いですね!
長命種のエルフとか、ドラゴンとかってこんな気持ちなんでしょうかね。『人間に流れる時間は早い。彼らの命はなんと儚いものか……』とか言って。
のんびり更新ですが、お話はまだまだ続きますので、次話もお読み頂けたら嬉しいです。