第九話 片鱗
「さすがに手も足も出まい。が、思ったより堪えるな。少し時間が掛かったか」
アスタロトは再び上空を見上げた。
「少し急ぐか」
見下げた先に居るルシフェルは、まだ片膝を地に落としたままだ。
「どうした。こいつを使わぬ事を後悔させるのではなかったのか?」
槍を手に取り、その穂先をルシフェルに向ける。
「そもそもここまで飛べぬ奴がよくも大口を叩けたものだ」
「飛べぬと思っておるのか。今直ぐそこに行って殺してくれるわ」
ルシフェルは立ち上がるなり羽を広げ、飛び上がった。
「掛かった」
アスタロトは更に上昇するが、ルシフェルが森を抜け出た所で向きを変え、今度は降下を始めた。
下からルシフェルが、上からアスタロトが、想像を絶する速さで迫り、一瞬にして交差して抜けて行った。
アスタロトは重力に逆らって羽を羽ばたかせて急停止し、宙に制止する。ゆっくりと見上げた視線の先で同じく静止しているルシフェルの腹部には、交差するまでアスタロトの手にあった槍が突き刺さっていた。
吐血したルシフェルは、槍を引き抜こうとその柄に手を掛ける。
「ま、まだだ……」
「まだはない。これで終わりだ」
薄暗い魔界が閃光に包まれ、空を覆う分厚い雲から落ちて来た一筋の雷がルシフェルの腹部に刺さる槍に引き寄せられるようにしてルシフェルを直撃し、一瞬にして大地に駆け抜けて行った。
落雷を受けたルシフェルの羽の動きが止まり、体から白煙を上げて落ちて行く。
また羽が突然止まった訳ではなく、今度は気を失っていた。
意識を取り戻す事なくルシフェルは激しく地面に叩き付けられた。
後を追って、アスタロトが舞い降りて来た。
ルシフェルは倒れたまま動かない。
体からはまだ白煙が上がり、腹部にはアスタロトの槍が刺さったままだ。
アスタロトが槍に手を掛け、ルシフェルの体から一気に引き抜くと、意識を失っていながらもルシフェルの口から呻き声が洩れる。
「よし、まだ生きているな」
アスタロトは槍を背に戻し、後ろを向く。
「城に戻るぞ。こいつを運べ」
ヒュポクトニア達が駆け寄って来る。が、その足が揃って急に止まる。
背後に気配を感じ、アスタロトが振り返った目の前には、気を失っていたルシフェルが立ち上がり、右手を振り上げていた。
「何ぃ!?」
振り下ろされたルシフェルの右手に何とか反応し、身を翻してそれを躱し、透かさず槍の柄に手を掛けるが、ルシフェルは左手を振り上げたかと思うと、そのまま後ろに倒れてしまった。
少し様子を見守ったが、ルシフェルが再び立ち上がる様子はなかった。
「意識を失いながらも襲い掛かって来たと云うのか? 何て奴だ。このままでは運べぬか」
アスタロトは槍を手にし、倒れているルシフェルの腕と脚の関節部分を突き刺した。
「これで気が付いても城までは動けまい」
再び槍を背に戻したその時、今度は後方から奇声が次々と上がった。
怪訝な面持ちで振り返るアスタロトの右の肩口に痛みが走ると共に血が噴き出した。
「何だ、これは……?」
肩の傷を押さえたアスタロトが見たものは、一列に倒れるヒュポクトニア達の屍であった。しかもその地面には、先程まではなかった亀裂が一筋走っている。
「まさか……!」
アスタロトは振り返り、まだ意識なく倒れているルシフェルに目を遣った。
「今の一振りで……」
周りに残っているヒュポクトニア達が駆け寄って来る。が、
「心配するな。大した傷じゃない。それよりあいつを運べ。かなり遅くなった。さぞやサタナエル様がお怒りだろうからな」
ヒュポクトニア達はルシフェルの周りに集まり、一斉にルシフェルの巨躯を担ぎ上げ、運んで行く。
アスタロトは視線を傷に戻した。
「あ奴なら……」
呟くアスタロトの顔には、少しながら笑みが溢れた。




