往生
時代が明治から大正に変わってもまだ五郎は生き続けた。同じ時代を共にした人間が世を去って行くのを五郎はただ見送る事しか出来なかった。同じ想いをしていたのが、松前藩小樽にいた杉村(永倉新八)であった。結局大正4年(1915年)9月5日杉村が75歳で死去。後に五郎も同年9月28日胃潰瘍の為、東京府東京市本郷区真砂町で死去。享年72歳であった。床の間であぐらをして往生した。死後生前親交のあった福島県会津若松市の阿弥陀寺に葬られた。遺品として近藤勇から贈られた白蔵主の根付が、五郎の次男藤田剛の婿養子である浅羽家に残っている。山口一刀流や無外流、津田一伝流、関口流柔術などを駆使し、新選組で最も人を斬ったとされる藤田五郎(斎藤一)は、組内部の粛清にも深く関わり、天満屋事件や戊辰戦争等で剣を降るった歴戦の隊士であった。
「どうもこの真剣で斬り合うと言うものは、敵がこう切り込ん出来たら、それをこう払っておいてその隙にこう斬り込むなどと言う事は、出来るものではなく、夢中になって斬り合うのです。」
と、言っていた。
「お父さんはね。侍だったのよ。」
長男の勉は大日本帝国陸軍少佐として日清・日露戦争を生き抜いた。
「サムライ?」
「刀を持って戦う戦士の事さ。もう日本にはそんな人いないんだがね。」
「おじいちゃん強い人だったの?」
「強いなんてもんじゃないさ。化け物だよ。でも優しくて良いお父さんだったよ?」
「優しい化け物?」
「父さんもおじいちゃんが戦っている所を見た訳じゃないけど、いっぱい体中に小さな傷があり、大変な時代を過ごして来たんだなと子供なからそう思ったよ。」
「勉!お前は父さんみたいな生き方をする必要は無いぞ?」
「って言われてたけど結局、陸軍士官学校に進んだから血は争えないな。」
「じゃあ父さんもサムライじゃないか?」
「まぁな。軍人もサムライみたいなもんだ。」
「おばあちゃんは何でおじいちゃんと結婚したの?」
「お見合いだったもんでこの人なら大丈夫だと初見で思ったのさ。」
「お見合いって何?」
「子供には関係の無い事だ。」
「お前は本当父さんに似て粘り強いな。」
「でもこれで日本もいよいよ欧米列強の仲間入りだ。それもこれもおじいちゃんがしっかり戦ってくれたお陰だよ。ねぇ母さん?」
「そうだね。良い時代になったね。少し頑張ればご飯を食べるのも困らない。剛や龍雄も立派になったし、次は私の番かな?」
「母さんはもう少し頑張らないと父さんに叱られますよ?」
「五郎さん退屈でしょうが、もう少し我慢して下さい。私も直ぐに参りますので。」
「母さんまた、そないなこと言うて。」
「勉?藤田家の事は任せますよ。」
「はい。分かっています。」
こうして藤田五郎は往生した。




