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80 クマシデの迷路を抜けて


 報告を終えたヴァニラとテッサが局長室を去った後、リグレットは窓の向こう側へと視線を向けた。

 柔らかな陽の光が降り注ぐ中庭では、狼のリーノがキナコとミゾレの二匹と駆け回っているのが見える。


「加護、か。そんなの気付きようがないよ」


 そんな呆れたようなグレイペコーの声に意識を戻され、リグレットが視線を向けると、部屋にいる全員が一様に困惑した表情を浮かべている。

 現実味のない話だからというのもあるのだろうけれど、いまいち自分の事とは考え難く、リグレットはことりと首を傾けた。

 加護を使う事で髪や眼の色が変化するというのなら、リグレット自身、その力を扱った事がある、という事だ。

 あの後、テッサに加護の力の使い方を聞いてみたものの、どうやら気持ちに左右されるという抽象的なもののようで、何をどうするのか、という具体的な方法は分からなかった。

 使った本人であるリグレットも、力を使ったという意識は全くない。


「けど、今までは髪の色が変わったり、身体がおかしくなったりした事ないよ?」

「確かに、ずっと力を続けてたりしたら、もっと早くに髪が青くなってた筈だろうし……」


 グレイペコーが疑問を口にすると、イヴルージュがくたびれたように頬杖をついて、大きく息を吐き出している。


「髪が青くなった時期を考えると、やはり血を採った辺りが怪しいな」


 血を採った時。リグレットは口の中で呟いて、考え込んだ。

 血を採る為に腕に刺す針が怖くて、だけど、ノルがいなくなるのは、もっとずっと怖くて堪らなくって、とにかく彼が助かる事だけを考えていた。

 あの夢を見始めたのも、よく考えてみたら、薬を作る為に血を採った後からだ。

 ノルに目を覚ました時にも、彼女の事をぼんやり思い浮かべて、いて。

 あの時、何かを思い出せそうな気がしていた気がするけれど、ぼんやりと薄い膜が張られてしまったかのように、思い出せない。

 彼女と本当に会った事があるのなら、それを忘れていたのなら、他にも忘れていた事があるんじゃないか。

 考えて、リグレットが胸元をぎゅうと握り締めると、ふと、隣にいるノルが呟いた。


「……血」

「え?」


 リグレットが顔を上げて彼を見るけれど、ノルは考え込むように、視線を地面に向けたまま話し出す。


「血を介して、力を使っていたのでは?」

「どういう事?」


 グレイペコーが聞くと、ノルはようやく視線を上げた。


「あの薬を摂取した後から、全くと言っていいほど症状が出ていない。その力のせいだと考えたら、納得がいく」


 森に入っても何の影響もないのはおかしいと思っていた、と言って、ノルはリグレットを見た。

 あの後から、ノルは服用する薬が以前より格段に減ったと聞いている。

 けれど、それが、今まで彼を苦しめてきた痛みを消してしまう程のものだったのか、とリグレットは驚いて、思わずノルの服の袖を掴み、彼を見上げた。


「本当に? ノル、あの後から身体が痛くないの?」

「ああ」


 問いかけに、ノルがしっかりと視線を合わせて頷くので、リグレットはほっと息を零した。

 安堵の気持ちが一気に押し寄せてきて力が抜けてしまい、のろのろとノルの腕に頭を押し付けて、しまう。

 彼が耐え難い程の痛みで苦しんでいる姿を見た時、自分には何も出来ないと思い知らされて、悔しくて堪らなかった。

 だからこそ、自分が出来る事で彼の痛みを和らげられたのなら、心の底から、良かった、とリグレットは思うのだ。

 視界が水分で揺らぎそうになり、慌てて掴んでいたノルの腕をぎゅうと握り締めると、頭の上に優しい手のひらの重みを感じられている。


「もしかして、それを確かめる為に配達業務に行ってたとか?」


 グレイペコーが少し呆れたようにそう聞くと、それもあるが、とノルは一旦話を区切ってから言葉を続けた。


「以前の薬とは比べ物にならない。身体を元の正常な状態に戻されたように感じられる程だ」


 勿論、振り戻しが起きる可能性があるから楽観視は出来ないけれど、とノルが言うと、話を聞いていたイヴルージュは確かめるように何度も頷いている。


「つまり、リグレットは血を採った時に無意識に加護とやらの力を使っていて、その血液を使う事で薬の効果に加えて加護の力が合わさっていた、という事か」

「はい、おそらくは」


 イヴルージュとノルの会話に、リグレットはようやく顔を上げたけれど、皆の視線が集まっていた事に気がついた。

 知らず知らずの間に自分がしていた事と、今現在の自分の状態に注目されてしまっていて、何だか妙に恥ずかしくなってしまい、じりじりとノルの後ろへと隠れてしまう。

 くすくすと吐息混じりに笑っているのが聞こえているから、きっとグレイペコーとイヴルージュの二人が笑っているのだろう。

 その証拠に、リグレットが口先を尖らせて顔を覗かせれば、かわいいかわいい、とイヴルージュはにこにこ笑っているし、グレイペコーは頭を撫でてくる。

 ノルがやんわりと背中を押して前に戻ってくるよう促すので、リグレットがきちんと彼の隣へと戻ると、グレイペコーは口元に手を当てて、うーん、と呟いた。


「だとしたら、リグレットの抗体値が異常に高いのって、元々持ってる抗体に加護の力が合わさってるからなのかな」

「その可能性が高いのかもなあ。子供の頃に森から助け出した時も、何の異常も出ていなかったし」


 てっきり王家の血を引いているからだと思っていたんだが、と頬杖をついて、イヴルージュは溜息混じりにそう言った。

 お母さんが、森の中に自分を隠した時。そして、その後の事。

 あの夢が現実で、加護という力を貰っていたというのは本当の事かもしれないけれど、やはり自分の事とは思えなくて、リグレットは後ろでに手を握り締める。

 もしも中央へ行けたなら、全部わかるのだろうか……。

 リグレットが考え込んでいると、グレイペコーが心配そうに顔を覗き込んで、頭を優しく撫でてくれている。


「ノルの体調にもよるだろうけれど、髪がちゃんと元に戻るまでは血を採らない方が良さそうだね」


 どうやって力を使っているのかも分からないみたいだし、と言われて、リグレットは頷きかけて、はた、と気がつきノルを見た。

 もしまた体調が悪化したなら、自分を気遣って言い出さないなんて事にならないだろうか、と考えたからだ。


「ノル、具合が悪いの絶対に隠しちゃ駄目だよ?」


 絶対だからね、と念を押してノルに詰め寄ると、彼は呆れたような顔をして溜息を吐き出している。


「グラウカ先生にもこの話は共有するし、隠しておけるわけないだろう」


 答えは肯定的だけれど、素直に頷かないのが納得いかなくて、ますます詰め寄ろろうとすると、ノルは面倒そうに頭をぽんぽんと撫でていた。

 誤魔化されている気がしてならない。

 そう考えたリグレットがむくれていると、グレイペコーがことりと首を傾けていて。


「ノル、約束してあげたら? その方がきっとリグレットも安心するよ」


 ね、とグレイペコーがにっこりと音がしそうな程に笑うので、ノルは苦々しい面持ちで暫く黙り込んでいたけれど、やがて押し負けたのか、深く長く息を吐き出すと、わかった、約束するから、と渋々呟いていた。



 ***



 グラウカに話を共有する為に局長室から先に出ていたノルは、中庭を通り過ぎようとして、足を止めた。

 呼び止めてきたのは、幼い子供のような容姿をしているヴァニラで、真面目で几帳面と言われるだけはある、まるで手本を見ているかのような丁寧なお辞儀をしてから、側にいたテッサを伴って、ノルの方へと歩み寄ってくる。


「何か?」

「すみません、テッサが副局長と話をしたいようだったので……少しお時間を頂けないでしょうか」


 眉を下げて言うヴァニラは申し訳なさげにしているので、ノルは気にしないよう言い付けてから頷いた。

 リグレットが襲われた件を考えれば、警戒をするべき相手なのだろうけれども、絶えず送られてくる謝罪のメッセージカードや、テッサ本人の言動、それに加えてヴァニラの甲斐甲斐しい様子を見ていると、どうも気を張り続けているのは躊躇われたものだ。

 テッサはノルとヴァニラを交互に見ていたけれど、二人の会話が終わるや否や、ノルに向かって口を開いていた。


「お前が一緒、(ルプス)、知ってる」


 テッサの言葉に、ノルは静かに瞬きを繰り返した。

 ヴァニラの報告からは、姫と呼ばれる人物の側には、特別な(ルプス)と呼ばれる黒髪金眼の女性がいる、と聞いている。

 ヴァニラは慌てて頭を下げると、テッサにも同じように頭を下げるよう小声で注意を促していた。


「テッサ、お前なんて言っちゃダメだよ。副局長、って言うの」

「え、と……ふう、きょお……?」


 ヴァニラが聞き取りやすいようにゆっくりと話して教えているけれど、未だ慣れない言葉を覚えている最中で、複雑な発音はどうしても難しいのだろう。

 見かねたノルが、


「ノルでいい」


 と言うと、テッサはぱあっと笑顔を浮かべて頷いている。

 ヴァニラは終始申し訳なさそうな面持ちでおろおろとテッサとノルを交互に見ていたが、ノルがそれ以上の発言をしなかった為に、唇を引き結んで二人のやり取りを見守っていた。


「お姫さまの、トクベツの(ルプス)、ノルが一緒。オレ、助けてくれた」


 テッサはそう言うなり、ノルの右耳──イヤーカフを指差したので、テッサが言っているのは、間違いなくネムの事だろう、と理解したノルは、僅かに眼を細めた。

 彼女は姫と呼ばれる人物のすぐ側にいて、テッサを助けた事があるのだろう。

 ただの気紛れだったのか、それとも、テッサの境遇に自らの過去を重ねたからか……、わからないけれど、それは、ノルの知る姉としてのネムを思い出させていた。

 世界の果てのようなあの小さな部屋の中で、ずっと、自分を守り続けてくれていた姉、ネム。


(ルプス)、お姫さまと、いる」


 テッサはゆっくりと瞬きを繰り返して、真っ直ぐにノルを見た。


「ずっと、さみしい顔、してた」


 呟いた言葉が、まるで自分の中に沈み込んでいくようで、ノルは手のひらを強く握り締め、視線を地面へと向けていた。


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