79 知らない痣が増えていても、
「で、鉢合わせた結果、皆で此処まで来た、って事か」
「すみません……」
申し訳なさに縮こまったヴァニラが謝ると、局長室の一番奥、執務机に座るイヴルージュはひらひらと片手を振ってみせる。
彼女の真向かいに立つのはグレイペコーで、その両側にはノルとヴァニラ。
ノルの隣からリグレットが覗き込むと、ヴァニラの隣にいるテッサは居心地悪そうにそわそわしていた。その小動物のような仕草が、何だか微笑ましい、とリグレットは思う。
その様子を見てか、イヴルージュは椅子の背もたれに深く身体を預けると、困ったように笑っていた。
「まあいいさ、どのみちうちの子達にも話を聞かせないといけなかったからね」
うちの子というのにはノルも入っているのだろうな、とリグレットがそっと顔を見やると、ノルは複雑そうな顔をして溜息を吐き出している。
「話をする前に、ちょっとだけいい?」
「うん? どうした?」
リグレットが軽く手を上げて切り出すと、イヴルージュはことりと首を傾けた。
グレイペコーとノルは何か言いたげだけれど、反対はしていないようなので、リグレットは呼吸を整えてから、テッサの方へ向き直る。
「さっき、テッサは私に何か言いたい事があったんだよね?」
リグレットが首を傾けて問いかけると、テッサはこくりと頷いて、リグレットの髪を見た。
変化した髪色に似た色合いのリボンを編み込んで隠しているし、まじまじと見られていないので気付かれてはいない筈だけれど、どうしても、ぎく、と身体が強張ってしまう。
「リグレット、加護、使うしてる。髪、青い」
単語を繋ぎ合わせたようなテッサの辿々しい言葉に、え、とヴァニラが声を零し、どういう事、とグレイペコーは顔を顰めて問い詰めている。
髪が青い、と聞いて咄嗟に髪に触れようとしたリグレットの手を止めたのはノルで、リグレットが怯えた気持ちを隠しきれず、縋るように見上げると、彼は緩やかに首を振っている。
髪が青くなっている事は、ノルを助けたあの薬の事を知っている者だけだ。
イヴルージュは深く長く息を吐き出すと、ヴァニラに顔を向けた。
「悪いが、此処で話した話については他言無用だ。いいな?」
「は、はい。勿論です」
慌てて何度も頷くヴァニラの隣で、要領を得ていないテッサは幼い子供のようにきょとんとした顔をしている。
見兼ねたらしいグレイペコーが「誰にも話すなって意味だよ」と声をかけると、テッサも意味が理解出来たらしい。神妙な面持ちで、こくこくと頷いている。
「加護、とか言ったか? それは一体どういうものなんだ?」
リグレットの髪については敢えて触れずに、イヴルージュは問いかける。
話しにくいのか、それとも、上手く言葉が見つからないのか。テッサは困ったように眉を下げ、何かを訴えるかのように、ヴァニラを見つめた。
ヴァニラは安心させるようにテッサに笑いかけると、前を向いて皆に説明してくれる。
「加護というのは、青い桜の森のお姫様が与えてくれる、不思議な力みたいなもの、なんだそうです」
「力?」
「何それ?」
皆が不思議そうにしたり、訝しげな表情をすると、その反応を予感していたように、ヴァニラは苦笑いを浮かべていた。
彼女がテッサから聞き出した事を要約すると、姫と呼ばれる人物の唇が額に触れると、加護と呼ばれる力を得るそうだ。
そして、加護の力はブルーブロッサムの抗体を得る効果があり、髪や眼が青く変化するという。
「よりにもよって、抗体持ちになれる力、か……」
とんでもないな、と苦々しく呟いたイヴルージュは額に手を当て、深く長く息を吐き出している。
まるで現実感がない話で、リグレットが周囲の様子を見れば、皆も同じように困惑したような表情を浮かべていた。
グレイペコーは口元に指を当てて考え込むと、ことりと首を傾けて、ねえ、と口を開いた。
「さっき聞いた話の通りなら、加護の力ってお姫様と直接会わないと貰えない筈だよね?」
その問いに、テッサがすぐに頷くので、グレイペコーは更に疑問を口にする。
「だとしたなら、リグレットはその人に会っていない筈なのに、力を使えるっていうのはおかしくない?」
加護を得られる条件が接触だとするならば、姫と呼ばれる人物に会わなければいけない。
その事に、皆は一様に悩み、考え込んでいる。
リグレットが姫と呼ばれるような人物と顔を合わせたのは、城で出会ったアムラキュリアだけだ。
それとも、自分自身が気づいていないだけで、どこかで接触していたのだろうか……。
考えて、リグレットはぼんやりと思考を沈めていく。
青い桜の森。
青い鳥居に囲まれた場所。
青い髪と、青い瞳の少女。
裾や袖が長い、独特な衣服。
あれは、城で見た風景に、よく似てやしないか。
それならば、彼女は──。
「…………あ、」
リグレットが声を零した瞬間、皆の視線がバッと集まっていた。
しまった、とリグレットが思い、口に手を当てた時にはもう遅く、グレイペコーとノルが眉を跳ね上げながら問い詰めてくる。
「あ、って今言ったよね?」
「何か思い当たる節があるんだな?」
「え、あの、えーっと……」
じりじりと追い詰められ、リグレットはしどろもどろになりながら、視線をあちこちへ向けた。
どうにか言い訳を考えたくとも、この状況下では上手く頭が働かない。
「リグレット」
名前を呼ばれ、びくりと肩を揺らすと、イヴルージュが心配そうに眉を下げて見つめている。
「心配をして欲しくないという気持ちはわかるが、家族なんだから、お前が何かを隠してるくらいとっくに気がついてるさ。お前がそう思う分、あたし達だってお前が心配なんだぞ。それはわかるだろう?」
優しく言い聞かせるようなイヴルージュの言葉に、もう逃げるわけにはいかなくなってしまい、リグレットは困り果てた顔で、胸元をぎゅうと握り締めた。
心配をかけさせたくないのは勿論、夢の話をこの場に持ち出すのはどうかとも思うが、今更隠しようもないので、おずおずと話し出す。
「で、でも、多分何の関係もないと思うよ? だって、ただの夢だし……」
「夢?」
ノルが訝しげに聞くので、リグレットはこくんと頷いた。
「うん。ブルーブロッサムの森でお母さんと別れた後、青い髪の女の子と会う夢。よく考えたら眼も青かったし、服装とかもお姫様みたいだったなあ、って思っただけ」
正直に全部話すと、居心地の悪さを感じて、リグレットは口先を尖らせながらノルを盗み見た。
鼻で笑われるのではないか、と内心警戒していたけれど、馬鹿にされるどころか、ノルの眉間の皺は増えている。
「その話、この間言っていた妙な構造物の話も関わっているんじゃないだろうな?」
「……う、」
その通りです、とリグレットが素直に白状すると、ヴァニラとテッサを除いた全員が、やっぱり、と言わんばかりに溜息を吐き出していた。
皆に心配をかけさせたくない、と黙っていた筈なのに、寧ろ自分が気付かないうちに心配させてしまったとは……と、リグレットはしょぼくれてしまう。
そんなリグレットの顔を覗き込みながら、グレイペコーはよしよしと頭を撫でてくれていて。
「リグレットは夢って言ってるけど、それって、リグレットが忘れてる記憶を思い出しているだけなんじゃない?」
「え?」
グレイペコーの言葉に、リグレットは驚いて顔を上げた。
同じように思っていたらしいノルとイヴルージュも、同意するように頷いている。
「お母さんと森で別れた時の事も朧げに覚えてる程度でしょう? だから、もしかしたら忘れてる事を突然思い出しただけなのかも」
そう言われて、リグレットは胸元を握り締めていた手に、ますます力を込めて握り込んでしまった。
てっきり夢の中の事だとばかり思っていたので、そんなふうに考えてもいなかったけれど、そういう可能性もなくはない。
だって、あれはあまりにも現実味のある夢だった、から。
(そういえば、確かにあの時は呼吸が苦しかったのに、いつの間にかそれがなくなってた……)
そう思って、リグレットは額にそっと手で触れる。
彼女の唇が触れた場所は凍える程に冷たくて、だけど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
それは、彼女が自分に加護を与えてくれた、という事なのだろうか。
だから、あの森を、怖くはない、と、誰かに見守られているように感じられる、と思っていたのだろうか。
てっきり母親との繋がりがあるから、とばかり思っていたけれど、と考えながらリグレットが顔を上げれば、じっと見つめていたらしいテッサの灰青の瞳と眼が合った。
森で対峙した時とは違う、真っ直ぐな、眼。
「髪が青い、は、加護、たくさん使う、した。それ、ずっとは、よくない。とても、疲れる」
リグレット、心配。
そう言って、見つめてくるテッサは、狼達のように耳や尻尾でもついていたなら、ぺたんと垂れ下がっていただろう。心配してくれている気持ちが伝わってきて、リグレットは息を吐き出して、小さく笑みを浮かべた。
先程会ったばかりの時は、突然だったので驚いたけれど、今こうして話をしていても、全く怖くは感じられない。
それどころか、自分と同じ力を持っている、という共通点があるのだ。
ふと思いついて、リグレットは、ねえ、とテッサに問いかける。
「テッサも、あの森に入るのは怖い、って思う?」
同じ力を持っているのなら、もしかしたら自分と同じように思っているのかも、と期待してしまったのだ。
けれど、テッサは首を傾げると、ぎゅうと眉を寄せて、困ったような顔をしている。
「こわい、は、ちがう。けど、すこし、ぞわぞわ、なる」
「そっか……」
テッサが両手で腕をさする動作をするので、リグレットは淋しい気持ちになって、俯いてしまっていた。
リグレットが落ち込んだのを見て、テッサはおろおろと周囲を見回したり両手を上げ下げしていたけれど、眉を下げておずおずと口を開いていて。
「え、と……、加護、たくさん使う、は、よくない。無理、しない」
彼なりに何とか励まそうとしたのだろう、言い聞かせるように小さく何度も頷いて、両手をグッと握り締めている。
その一生懸命さに、リグレットはほっとして、頬を緩めてしまっていた。




