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78 流星群なら捕まえてあげるのに


 五つの鍵を解錠し、再びかけ直して、ノルは森に続く背の高い門を眺め見た。

 金属柵の向こうに見える桜は花弁を鮮やかな青で染め上げ、黒い木々がひしめくように並ぶ向こう側は白い毒素の霧でぼんやりと覆われている。

 其処が先程まで歩いていた場所だとは、到底思えない。

 そんな事を考えていると、足元に白い毛並みの狼が頭を擦り寄せていて、その健やかさにノルはほっと息を吐き出して、狼の頭を優しく撫でた。

 いつの間にやらミゾレと名付けられていた狼は、甘えたがりですぐこうしてじゃれついてくるのだけれど、やはり厳しい訓練を受けた狼であり、数年ぶりの配達業務を行なったノルをきちんとサポートしてくれていた。

 息苦しさや眩暈もなく、身体の痛みも全くない。

 それが不思議でならなくて、暫く緩やかに瞬きを繰り返して自身の体調を確認していると、不意にミゾレが耳をぴんと立てて、鼻先を伝言局の裏口へと向けた。

 扉を開けて出てきたのはグレイペコーで、姿が確認出来るや否や、ミゾレはグレイペコーに向かって飛びかかりそうな勢いで駆け寄っている。

 嬉しそうに尻尾を振り、足元でくるくると回っているミゾレを撫でて宥めていたグレイペコーは、ノルに顔を向けて笑ってみせた。


「流石、時間通りだね」


 グレイペコーが手にしている金の懐中時計を見れば、ノルが報告していた到着予定時刻とほぼ同刻を示している。

 そういえば以前リグレットは何故あれだけ時間がかかっていたのだろうかと内心で呆れつつ、ノルは小さく頷いた。


「体調は大丈夫?」

「ああ」


 リグレットの血を使用した薬を投与されてから、ノルの身体を長年苦しめていた痛みや不調は全くと言っていいほど出ていない。

 その事についてはグレイペコーも知ってはいるけれど、幼い頃からの習慣もあり、どうしても心配の言葉が出てくるのだろう。眉を寄せながら顔を覗き込んで問いかけてくる。


「それにしても、どうして急に配達業務に行くなんて言い出したの?」

「局長とグラウカ先生には許可を取っている」

「そういう事を言ってるんじゃあないんだよ」


 リグレットだって心配してる、と言われて、彼女の泣き顔を思い出してしまい、ノルは申し訳なさが込み上げてくるのを感じていた。


「分かっている。少し確かめたい事があっただけだ。無理はしていないし、配達業務もリグレット一人に任せて、また何かあっても困るだろう」

「それは……、そうだけど」


 そうは言いながらも、納得いかない顔をして、グレイペコーは溜息を吐き出した。

 リグレットが配達業務を再開してからも、彼女は被害を受けてはいない。

 当たり前のような日常を取り戻している状況は、以前グレイペコーと話していた通り、彼女に手出ししないよう徹底されている事を、はっきりと証明しているかのようだった。

 ノルが考え込んでいると、グレイペコーはことりと首を傾けている。


「もしかして、この間リグレットが言い出した妙な事と関係ある?」


 先の騒動からようやくリグレットも通常通りに配達へと出れるようになっていたのだが、その矢先に彼女は突然、森の中に大きな構造物がないかなどと尋ねてきたのだ。

 血液を多く採った影響か、それとも、無断で森の中央へと入り込んでいるのか……、わからないけれど、それがあまり良い傾向でないのは、ノルもグレイペコーも理解はしていた。

 だが、リグレットを問い詰めた所で、また反発して無茶をしかねない。だからこそ、折を見て話を聞き出すまでは、様子を見守っているよう決めていたのだ。

 ノルは、いや、と首を振り、グレイペコーの言葉をやんわり否定すると、小さく息を吐き出した。


「それも気にはなるが、流石に中央まで入るわけに行かないだろう」

「まあ、そもそもボク達じゃ入りたくても入れないものね」


 苦笑いを浮かべているグレイペコーの言葉に、ノルは頷く。

 喉に手を当て、静かに呼吸を繰り返す自身の身体を、まだ本当に自分のものではないように思えて仕方がない。そう考えながら、ノルは振り返って青い桜の森を見つめる。

 高い抗体値を保持するリグレットなら、中央へ辿り着く事も可能なのだろうか。もしそうならば、中央には、一体、誰が、何が、居るのだろうか……。


「ノル?」

「何でもない」


 名前を呼ばれた事で、深く沈み込んだ思考を浮上させたノルは、小さく息を吐き出して、首を振った。

 今はそれを考えている場合ではないだろう、とすぐに頭を切り替える。

 そもそも、彼女を危険に晒すような真似は絶対にしたくはないのだし。

 それより、と話し出して、ノルはグレイペコーを伴って裏口へと足を向けた。



 ***



「ペコー、ノル」


 中庭で話している二人を見かけたリグレットが、何してるの、と声をかけて駆け寄ると、キナコがぱたぱたと尻尾を振って駆け寄っていた。

 日向ぼっこをしていたのか、薄茶色の毛並みはあたたかく、ふかふかでふわふわだ。

 思わずしゃがみ込んで抱き締めると、キナコは頬に鼻先を擦り寄せてくる。

 顔を上げて二人を見れば、グレイペコーは優しく赤眼を細めて笑っている。


「ちょっとね、仕事の話」


 ノルの方はと言えば、眼を合わせるなり、何故か顔を顰めている。


「お前こそ、サボっていたんじゃないのか」

「サボってないもん。備品の補充に行ってたの!」


 むっとして頬を膨らませると、グレイペコーが面白がって頬をつつくので、リグレットはますます頬をぷくと膨らませた。

 少し前まではあんなに優しかったのに、と思ったものの、グレイペコーが注意をしない所を見るに、何か聞かれたくない話をしていたのかもしれない。考えて、リグレットは頬から空気を抜いた。

 少し前に夢の中に出てきた鳥居について話をした時、いつもならもっと踏み込んできただろう二人は、あの後も何も聞かずにいてくれたのだ。

 きっと、リグレットが暴走してしまわないよう、敢えてそうしてくれたのだろう。

 そう思うと、その事についても、それを誤魔化そうとする二人を咎められず、リグレットは小さく息を吐き出して、そっとノルを見上げた。

 目が合うと、ふいとノルが顔を背けるので、リグレットは思わずむっとしてしまう。

 ムキになってそれを追いかけようとした瞬間、ぐいと腕を引っ張られた──と、思った時にはノルに抱き寄せられていた。

 すっぽりと抱えられた腕の中、布越しに彼の心臓の音さえ聞こえそうで、リグレットは思わず、ひえ、と上擦った声を零してしまう。

 突然の事に、頭が全く働かない。

 苦い消毒液と、石鹸の匂いがする。彼の吐息で、前髪が微かに揺れている。


「え、あ、あの……、なに?」


 何が起きてるの、と狼狽えていると、視界の隅で長い三つ編みが揺れていて、リグレットは慌ててそちらへと顔を向けた。

 ノルの前には、グレイペコーが背に庇うようにして、誰かと対峙している。

 明るい橙の髪に、灰青の瞳。

 自分と同じくらいの年頃の少年は、何処か既視感があって、どく、とリグレットの心臓が跳ねる。

 思わずぎゅうとノルの腕を握り締めると、彼の腕の力も少し、強くなっていた。


「リグレット……、加護、使うしてる?」


 そう呟いた少年の眼は、グレイペコーでも、ノルでもない、リグレットに向けられている。


「リーノ、行って!」


 緊張が走る中、突然、厳しくも幼い声がした。

 かと思えば、亜麻色の毛並みの狼が少年の腰目掛けて突進している。

 どん、と狼がぶつかると、重心を崩してよろめいた少年が慌てて振り返る。

 其処には、ぜいぜいと息を切らせたヴァニラがいた。


「テッサ! 駄目でしょう、急に走り出したら!」


 子どものような姿をしていながら、姉が弟を叱るように、ヴァニラはテッサを注意している。

 亜麻色の毛並みをした狼のリーノは、そんな二人を交互に眺めてから、呑気にぱたぱたと尻尾を振ってリグレット達の方へと近付いていた。

 甘えたようにグレイペコーの足に擦り寄ってくるリーノを見咎めて、わらわらと集まってきたのは他の狼達だ。

 撫でて撫でてと言いたげに集まってきた狼達に収集がつかなくなってきて、その様子に一気に力が抜けたのだろう、はあ、と深く長い溜息を吐き出して、グレイペコーはリーノから順番に狼達の頭を撫でている。


 リグレットがテッサの姿を見るのはあの事件以来で、メッセージカードでのやり取りをしていたものの、彼が伝言局に入局してから顔を合わせるのはこれが初めての事だ。

 よく見れば、以前のように首に嵌められた首輪はなく、ボサボサだった髪も綺麗に整えられているし、何より、顔付きが全然違う。

 ヴァニラと話すテッサは、どこにでもいる少年と変わりない。

 緊張がほろほろと解けてきて、リグレットはそっと息を吐き出した。

 その様子を見てか、ノルも腕の力を緩めて顔を覗き込んでくる。


「ノル、大丈夫だよ」

「ああ」


 それでも側から離れないよう言われて、彼の腕から解放されたリグレットは顔を赤らめたまま、小さく頷いた。

 以前襲われた事を考慮して警戒しているのだろうけれど、特別にそうしてくれたようにも思えて、恥ずかしさと嬉しさが一斉に押し寄せてくる。

 もしも狼達のように甘えたら、もう一度抱き締めてくれるのだろうか……、などと考えてしまい、リグレットは慌てて首を振った。

 ただ単に、ノルは咄嗟に身体が動いただけ。そうに決まってる。言い聞かせながら、リグレットは胸元をぎゅうと握り締めた。

 盗み見たノルは平然とした顔をしていて、こっちはこれだけ振り回されてるのに、とリグレットは思わずむくれた顔をするけれど、少し考え込んで、彼の服の袖をそっと握り締める。

 ノルの視線を感じるけれど、リグレットはそれを気付かないふりをしてやり過ごして、ヴァニラ達の方へと顔を向けた。


 ヴァニラ達はイヴルージュから頼まれていた事があり、配達を兼ねてその件について話をしにきたという。

 テッサは先の事件以降、リグレットと鉢合わせしないよう徹底していたが、今後配達業務を行う事も考慮して、ヴァニラが監督役として側につき、様子を見るようにしたらしい。


「ごめんなさい、実際にテッサと話をして聞いて貰った方がいいと思って……」


 私の監督不行き届きです、すみません、と謝罪をして頭を下げるヴァニラを見て、テッサも申し訳なさそうに頭を下げている。

 二つの頭を見下ろしているグレイペコーとノルは顔を見合わせていて、リグレットは慌ててグレイペコーの服の袖を引きながら、首を振った。


「私なら大丈夫だよ。テッサとはずっとメッセージカードでやり取りしてるし、実際に話してみたいと思ってたから」


 その言葉を聞いたテッサは顔を上げ、ぱあっと嬉しそうな表情を浮かべている。

 グレイペコーとノルは少し考え込んでいたけれど、ノルが静かに頷くので、それを見たグレイペコーは盛大に溜息を吐き出していた。


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