76 痛いの痛いの、溶けていって
「二人とも、よく来てくれましたね」
華美な調度品に囲まれた室内に通されたリグレットは、先にいるイヴルージュに倣って、おずおずと頭を下げた。
前回のように突然連行されたわけでなく、先日のお茶会の誘いを受けるという形で城へと訪れたのだけれど、未だに緊張してしまうのは致し方ない事だろう。
淡い水色に柔らかな緑を混ぜたような不思議な色合いの髪を優雅に結い上げ、裾と袖が長い豪奢なドレスに身を包んだシュレルジーナは、それはそれは嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。
リグレットにとっては伯母に当たる人ではあるが、彼女はあくまでも王妃という高貴な身分であり、リグレットは平民だ。あまりの身分差に萎縮してしまうけれど、こうして心から歓迎されるのはやはり嬉しく思えて、リグレットは頬を緩めてしまう。
彼女の後ろからは、鮮やかな青髪の子供達──勝気そうでつんとすました少年クラエディアムと、おどおどとして気弱そうな少女アムラキュリアが、リグレットの顔をそっと覗き込んでいた。
初めて顔を合わせた時は尊大な態度を取っていた事もあったが、血縁関係と知ってからは安心したのか二人も懐いてくれたようで、今もどこか嬉しそうな顔をしている。
シュレルジーナは子供達を慈しみを持った眼で見つめると、リグレットの手を取って、部屋の奥へと促した。
「そうそう、貴方に似合いそうなドレスを用意したのですよ。是非着てみて下さいな」
「へ? ちょ、ちょっと待って下さ……」
ただお茶会に呼ばれて話をするだけだとばかりの思っていたので、寝耳に水だ。あまりに突然の事に慌てふためくリグレットに、シュレルジーナはこそりと耳打ちする。
「髪の事はイヴルージュから聞いていますわ。私の信頼出来る侍女に着付けさせますので、心配なさらないで」
幼い頃からイヴルージュの趣味でたくさんの洋服に着せ替えられるのには慣れてはいるけれど、それはいつもグレイペコーと揃えた服だった事もあり、流石に自分一人が飾り立てられるという状況は初めてだ。
そういう問題じゃないんですけど、と泣きべそをかきながら側にいた筈のイヴルージュに助けを求めるが、彼女はリグレットにかわいい格好をさせられると知るや否や、赤眼をきらきらと輝かせている。
彼女は既にシュレルジーナの味方と成り果てたのだ、と知ったリグレットに、最早逃げ場などない。
気持ちの整理が終わらない間にも、王城の優秀な侍女達は戸惑うリグレットに素早くドレスを着せ替え、髪を整えて、それから簡単な化粧まで施してくれていた。
あまりの早業に唖然としたまま皆の前へと放り出されると、シュレルジーナはぱあっと顔を輝かせている。
「まあ! とても似合っていますわ!」
そう言ったシュレルジーナが用意してくれたのは、袖や裾がふわふわのレースやフリルで出来た、白いミニドレスだ。
所々に鮮やかな青のリボンがあしらわれていて、スカート部分は後ろが魚の尾びれのような長いフィッシュテールになっており、動く度にひらひらと揺れている。
髪も同じ青のリボンで結っていて、青くなった髪が目立たないように工夫してくれたらしい。
足元は普段履かない華奢なヒールの靴で、高さもあるので上手くバランスが取りづらい。
転ばないよう気をつけてはいるものの、どうにも危なっかしい足取りを不安に思ったらしいクラエディアムとアムラキュリアが両側から手を握って支えてくれていて、王子様とお姫様にこんな事をして貰って縛り首にでもされやしないか、と内心リグレットはひやひやだ。
そんなリグレットを見たイヴルージュは両手を握り締めて、ふにゃふにゃの笑顔を向けている。
「うんうん、かわいいかわいい! 世界一かわいいあたしのお姫様!」
イヴルージュが人目も憚らず賛辞の言葉をかけてくるので、リグレットは堪らず顔を真っ赤にして困った顔をしてしまうが、それがまたかわいらしいと大人二人は微笑ましげに話し始めている。
今度は真っ赤なドレス作ろうだとか、もっとフリルが何重になっているものもいいだとか、プリンセスラインやベルラインのものがいいだとか、アムラキュリアまでもを含めた女性陣ははしゃいだ様子で話し合っている、始末。
クラエディアムだけが、「何というか、女性は大変なのだな……」と労りを持った言葉をかけてくれていて、ぐったりとしたリグレットは溜息混じりに頷いていた。
*
そうして騒ぎに騒いだ女性陣が落ち着いてから、リグレット達はシュレルジーナに連れられて、城の中にある庭園へと向かった。
散歩をするというにはあまりにも大き過ぎる、広大な庭園を抜けた先にあるのは、城の裏手に当たる場所で、園路の敷石もそれまでのものとは違い、うっすらと青みがかった特別な物らしい。
白い小花の咲く長いアーチをくぐって更にその先へと辿り着くと、そこには森で見た青い鳥居が、先程のアーチのように揃って幾つも並んでいた。
「これが、その……鳥居、ですか?」
「ええ」
リグレットは思わず呆けた顔で、それをじっと眺めた。
夢の中で観た構造物と確かに似ているけれど、大きさが大分違う。
夢で見た鳥居はリグレットの背よりずっとずっと高くて、家と変わらない程の大きさだったけれど、今目の前にあるのは、リグレットでも少し背の高い踏み台でもあれば手が届きそうだ。背の高いノルなら、手を伸ばしただけでも簡単に触れられるだろう。
小さくなっているからか、森にあった時とは印象も大分違って可愛らしい。
それに、あの場所ではこんな風に揃えて並べられてはおらず、不規則に等間隔で並べられていたのだ。
どうしてなのだろう、と不思議に思いながらも、シュレルジーナに促されて、リグレットは鳥居をくぐり、その奥へと足を踏み入れた。
「此処は、建国当時からその数十年後の間に建てられた場所だと聞いています。鳥居はこの先にある神を祀る場所の門であるとか、神聖な場所を守る為の結界のようなものと言い伝えられておりますわ」
最後の鳥居をくぐり抜けて開けた場所へと辿り着くと、そこには木組みで出来た小屋のようなもの──とはいえ、細部には繊細な彫刻が彫られていたり、金で装飾された柱で出来ている豪奢なものだ──が建っていて、その両端には色鮮やかな花々がたくさん供えられている。
「あの奥にあるのが社と呼ばれる、神殿の役割をしている場所なのですよ。伝え聞く限りでは、建国当初に亡くなった尊い方々や、戦などで非業の死を遂げた方々の魂を神格化して祀られていたとか」
「えっ、と……?」
流石に話が難しくなってきて困り果てたリグレットが視線を向けると、イヴルージュは小さく笑ってリグレットに教えてくれる。
「つまり、この国のうんと偉い人や、戦争とかで大変な思いをして亡くなった人達を神様として崇めてた、って事だ」
「かみさま……」
そんなふうには見えなかったけど、と口内で呟いて、リグレットは緩やかに瞬きを繰り返した。
神聖な、と言われれば、そうかもしれない。
けれど、あの森で出会った少女の静かにたおやかに笑う姿は、どちらかといえばシュレルジーナ達のような高貴な生まれには見えたけれど、信仰の対象になるような、人智を超越した存在ではないと思えたのだ。
そもそも、夢の中ではあるけれど彼女には触れられていたのだし、話す事も出来ていたのだから、当然ではあるのだけれど。
だとしたなら、彼女とこの場所は関連が無いのだろうか。
リグレットがぼんやりと考え込んでいると、シュレルジーナは僅かに俯き、話を続けた。
動作に合わせて、しゃらしゃらと髪飾りが揺れている。
「時代と共にそれらの風習は少しずつ薄れてしまい、このように城の裏手へと移されてしまったそうです。ですが、私達は毎日欠かさず祈りを捧げる為、此処を訪れているのですよ」
シュレルジーナの言葉の通りなら、この場所は祈り、悼む場所でもあるのだろう。
夢の中の少女についてはわからなかったけれど、此処は本来、父親との繋がりのある場所だ。
リグレットはぱっと顔を上げて、シュレルジーナに問いかけた。
「あの、私もお祈りをしてもいいですか?」
「ええ、勿論ですわ」
どうぞ、と促され、リグレットが社の前へとおずおず歩いていくと、子供達が側に駆け寄ってきて、顔を覗き込んでいる。
シュレルジーナが言ったように、彼らも毎日此処へ足を運んでいるので慣れているのだろう。
「プリムお姉様、私達がお祈りの仕方を教えて差し上げます」
アムラキュリアが言い、クラエディアムが得意げに両方の手のひらを合わせて見せた。
「こうやって頭を下げて、手を合わせてから祈るのだ」
教えてくれてありがとうございます、と笑って二人にお礼を言い、リグレットは早速彼らがやっていたのと同じようにして、頭を下げる。
そっと手を合わせて眼を瞑ると、心がしんと静かになるような、落ち着いた気持ちになって、それが、何処かで感じたものに似ている、とリグレットは思って、すう、と息を吸い込んだ。
──そう、これはまるで、あの森の中にいるような。
その瞬間、ちりん、と鈴の音がしたような気がして、リグレットは顔を上げて振り返った。
視線の先には、青い桜の森が広がっている。




