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74 甘いお菓子があるから大丈夫


「テッサさん、ようやく配達初挑戦だそうですね!」


 おめでとうございます、と言って、アルティは満面の笑顔を浮かべた。

 三区の特殊配達員達だけが入れる青い扉で閉ざされた業務室の、一番奥に設置された机に座るフィスカスのその更に奥。椅子の背もたれの裏側に潜むのは、長身を屈めてじっと伺うような視線を向けているテッサで、その姿を見たアルティは、ぱちぱちと緑の眼を瞬かせてから、ことりと首を傾ける。動作に合わせて、ふわふわの柔らかな茶髪が揺れていた。

 テッサと会うのはまだ数回目だけれど、顔を合わす度に彼はぴゃっと犬猫のように肩を跳ね上げて、物陰に隠れてしまう。

 野良猫だってもう少しくらいは懐いてくれるでしょうに、と困ったように眉を下げたアルティは、彼との間の壁になっているフィスカスへと視線を向けた。

 フィスカスはいつも通りにこにことにやにやを絶妙に混ぜ合わせたような笑顔を浮かべていて、背後にいるテッサをほんの僅かも気にしていないようだった。


「もしかして、アルティ嫌われちゃってます?」

「いや、元々警戒心が強いだけだから気にしなくていいよ。俺と初めて会った時もこんな感じだったし」


 フィスカスは軽い様子でそう言うけれど、その背に隠れている所を見るに、テッサにとって彼は安心出来る人物なのだろう。

 テッサの面倒を見ているのはヴァニラと聞いたけれど、彼は一体何をどうやってここまでの信頼を勝ち取っていったのだろうか。

 アルティは密かに関心しつつ、先程淹れたばかりの紅茶が入ったカップを持ち上げた。湯気と共に、柑橘類の瑞々しい甘さを纏う香りが立ち上っている。


「アルティもジルバに連れて来られた時は同じだったろ?」


 フィスカスは噂好きの女好きで、人のパーソナルスペースに無遠慮に入り込むと聞いてはいたが、アルティには一定の距離を置いて接してくれている。

 それは、ジルバの人となりを知っているからかもしれないし、アルティが伝言局に連れて来られるまでの経緯を知っているから、かもしれない。

 いつどうやってその情報を手に入れたかは知らないが、別段隠している事でもないので、アルティは苦笑いを浮かべてみせた。

 アルティは、三区ではそれなりに名の知れた貴族の生まれだ。

 尤も、そこの娘として知られているのは、妹だけ、だろうけれど。

 ふと思い出した過去の残骸に、アルティは一瞬だけ表情を消し、すぐさまいつもの笑顔に変えた。

 テッサの事情は詳しく聞かされてはいないが、頬や手足には消えないような傷が幾つもあり、清潔そうなガーゼや包帯でそれらを優しく覆ってある。

 それだけで、アルティにもある程度、彼の境遇を察する事が出来ていた。


「テッサさん、アルティも同じですよ。伝言局の人達はみんな仲間です。優しい人ばかりですから、安心して下さいね!」


 ほら、こっちで一緒にお菓子食べましょうよ!

 そう言って、アルティはマドレーヌを手に取って、彼に差し出した。

 綺麗な黄金色をしたマドレーヌはよくある貝を模した型で焼かれたものではなく、綺麗な丸い形をしていて、サイズも大きめで重さもずっしりとしている。

 食べ盛りの少年の為に、と置かれたものなのかもしれない。

 アルティがにこりと笑顔を浮かべて返事を待つも、テッサはフィスカスの後ろから出てくる事はなく、困ったように眉を寄せている。


「……おかし、一日は一つ。食べたいが時、ヴァニラに言う」


 知ってる単語を雑多に並べただけのような辿々しい言葉は、彼と会話し慣れていないアルティにはさっぱり意味が理解出来ない。

 アルティが首を傾けていると、見かねたフィスカスが苦笑いを浮かべて教えてくれる。


「テッサは副局長と同じでちょっと不便な体質持ちでね。ヴァニラちゃんが体調管理をしてて、お菓子も一日一個って決めてるんだ。それ以上食べたい時はヴァニラちゃんに聞いて、オッケー出たら食べられるわけ」


 フィスカスの説明に、なるほど、とアルティは頷いた。

 過保護と思えなくもないが、たくさんの弟妹がいるというヴァニラだからこそ、そういった細やかな部分まで面倒を見ているのかもしれない。


「ヴァニラさんってやっぱりお姉ちゃんなんですねえ」

「だよねえ。仕事が滞ってるとすぐに教えてくれるし、甲斐甲斐しいよねえ」

「それはフィスカスさんがちゃんとお仕事しないせいだとアルティは思います!」

「ははは」


 その軽薄な笑い声を聞き、ヴァニラの苦労を垣間見た気がして、アルティは苦笑いを紅茶と共に喉の奥へと流し込んでおいた。

 ちらりと視線を向けると、テッサは狼のように鼻をひくひくと動かし、テーブルの上に置かれたマドレーヌをじっと見つめている。

 それはあの忌まわしい家から助け出された後の日々を思い出させていて、アルティは小さく笑みを零してしまう。

 あの人が手を差し伸べてくれた瞬間を、今でもアルティは忘れていない。

 何を犠牲にしたとしても、それだけは絶対に忘れない、と誓っている。


「アルティが小さい時、師匠も同じようにしてくれてました。きっとそれだけテッサさんが心配で、大切なんですね」


 家を出て伝言局に入るまで、それ以降だって、ジルバはアルティの境遇に心を痛めて、親身になってくれていた。

 そんな事を思い出しながら話していると、テッサは不思議そうに首を傾げていて。


「フィスカス、ししょー、何?」


 こそこそとテッサが問いかけると、フィスカスは少し首をのけぞるようにして答えている。


「ジルバ……って言っても知らないか。二区にいるまとめ役で、速達担当だよ」

「とっても強くて優しい人ですよ!」


 アルティが元気よくそう言うと、声の大きさに驚いたのか、テッサはまたフィスカスが座る椅子の背の裏側に隠れてしまっていた。

 あーあ、とアルティが困ったような顔を向ければ、フィスカスはにこにことにやにやの絶妙な間を取ったような笑みを浮かべたまま肩を竦めている。


「そく、たつ……走るが速い、カード届ける、ひと?」

「そうそう」


 背後に隠れるテッサの疑問にフィスカスは頷いて、よく覚えてたなあ偉い偉いと褒めていて、その事に気を良くしたのか、テッサはひょこっと顔を出すと表情をぱあっと明るくさせていた。


「テッサさんは確か速達候補なんですよね? 師匠の所には来ないんです?」


 一緒に訓練しましょうよ、とアルティが言えば、テッサはじっと灰青の眼で見つめてくる。

 通常、抗体持ちで身体能力が秀でている、もしくは育てて伸びる素質がある、と分かれば速達担当として訓練を行うので、テッサも同様の訓練を行う筈だ。

 グレイペコーやフィスカスも同じくジルバの指導を受けているし、アルティもいずれは速達担当の配達員になるべく毎日の鍛錬を欠かしていない。


「テッサはヴァニラちゃんに一番懐いてるし、研修に代わる教育も彼女がやっているからね。体質の事もあって、そっちの訓練は俺が面倒見ろって伝言局の女王様から命令されてるんだよ」


 伝言局の女王様、とはイヴルージュの事だろう。誰にも靡かず我が道を突き進む彼女の破天荒ぶりを考えると、似合いの呼び名だとアルティも思う。

 だが勿論、それが彼女にバレた日にはフィスカスの軽薄そうな顔は容赦なく引っ叩かれるに決まっているだろうけれども。

 その彼女がわざわざフィスカスを指定する、というのだから、仕事の上では彼を信頼しているのだろう。

 アルティの先輩に当たるグレイペコーに至っても、彼の事は仕事は出来るクズと称していた程だ。


「えー? フィスカスさんが、ですかあ?」


 アルティが茶化した態度でそう言って見せると、フィスカスはほんの僅かも気を悪くした様子はなく、それどころかけらけらと笑っている。


「ははは、伝言局での俺の扱い雑すぎない?」

「日頃の行いだって先輩が言ってましたけど?」

「あっははは!」


 少しばかり棘のある返答に、フィスカスは腹を抱えて笑い出しているので、アルティは呆れて頬杖をついた。

 フィスカスの後ろでは、テッサが不思議そうに首を傾げて彼を見つめている。

 少し慣れてきたのか、それとも、フィスカスの様子を見て警戒を緩めたのか、アルティがじっと見つめていても、テッサはもう椅子の裏側に姿を隠したり、目を逸らす事はない。

 いつかの自分と同じく、彼も安心してこの場所にいられるようになるに違いない、とアルティは静かに思う。

 その為に、もっともっと、強く在らなければ、と、自らの武器である、腰から下げた二つの手斧にそっと指先で触れた。


「テッサさん、アルティも師匠に鍛えられて強くなってるので、今度手合わせしましょうね!」

「あー、いいけどヴァニラちゃんの許可は取ってね」


 俺が怒られちゃうからさあ、と珍しく困ったような顔でフィスカスが言うので、アルティはにかりと笑って、カップに残っていた紅茶を綺麗に飲み干していた。


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