↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/135

72 まるで長い夢を見ていたようだったから


 何度も頰をつついてくるしなやかな指先に、ノルは今までにない程に眉間に皺を寄せている。


「グレイペコー、嫌がらせはやめろ」


 医務室の隣にある小さな部屋で、ノルは体調が落ち着くまでもう数日は休んでいるよう言われている。

 部屋の外で人が通る気配はするものの、入ってくるのはグラウカか一区の特殊配達員達だけだ。

 おそらくは、イヴルージュが周囲にそう通達しているのだろう。


「ふーん? うちのかわいい子を泣かせたのは一体誰だったかなあ?」


 そう言って恨めしげな顔をしているグレイペコーに何度も指先で頰をつつかれ、ノルは苦々しい面持ちで口を噤み、視線を逸らした。

 昨日話をしていた際、リグレットは感情のままに泣き出してしまい、最終的には泣き疲れて眠ってしまったのだ。

 その後、この部屋を訪れたイヴルージュとグレイペコーに事情を説明して連れて帰って貰ったものの、目どころか頰まで腫れてしまっているらしく、周囲に心配されていたと聞いている。


「悪かった。悪かったから」


 許してくれ、と頭を下げると、例えどんな理由があろうと泣かせた相手がノルだろうと次は絶対に許さないからね、とグレイペコーは冷ややかな目を向け、低い声でそう言った。

 リグレットを心底可愛がっているグレイペコーだからこそ、また同じような事が起きた場合どうなるかはよくわかっているので、ノルは素直に頷くしかない。


「……リグレットは、もう大丈夫なのか?」


 気まずい面持ちでノルがそう問いかけると、グレイペコーは彼女の事を思い出したのだろう、口元を緩めて、ふ、と笑みを零した。


「昨日はあのまま寝ちゃったけど、今朝はいつも通りに起きて山盛りのご飯をしっかり食べていたから大丈夫」


 あの子はいつも通りご飯を食べられている間は大丈夫だから、と言われて、自分が起きるまではその状態ではなかったのだろう事が分かってしまい、ノルは申し訳なさを感じてしまう。


「本当に、二人は心配ばかりかけるんだから」


 仕様がない、とでも言いたげな呆れたような言葉は、けれど、安堵の響きをしていた。

 今回の件で、グレイペコーも緊張した日々を送っていたのだろう事が、それだけで理解出来てしまう。


「……自分が、」

「うん?」


 呟くと、グレイペコーは不思議そうな顔で首を傾けた。


「自分が生きていてもいい、と……そう、許されるとは、思っていなかった、から」


 うわ言のようにそう言って、ノルは見下ろした自分の手のひらをゆっくりと握り締める。

 ネムと再会したあの日、彼女に告げられた言葉はまるで、呪いのようだった。

 許されたいのでしょう、と。

 その言葉の通りに、あの日からずっと、自分は誰かに許して貰いたかったのだろう、とノルは思う。

 過去に起こしてしまった事、此処にいる事、この先を望んでもいいという事。

 それら全てを、きっと、許して欲しかった。

 自分が救われなくとも、此処にいてもいいと、ただそう言って貰いたかったのだ。ずっと。


「そんなの、誰かに許して貰う事じゃないでしょう」


 その言葉にノルが顔を上げれば、グレイペコーは悲しげに顔を歪めて小さく息を吐き出すと、指を組んだ両手をぎゅうと握り締めている。

 まるで祈りのような仕草に、ノルは金色の眼を僅かに細める。


「リグレットは素直な子だから、ノルを助けたのは純粋に、ノルがいなくなるのが嫌だったんだと思うよ」


 そのくらいノルだって知ってるでしょう、と言われて、ノルは小さく頷いた。

 普段はおおらかで健やかで甘えたがりなのに、リグレットはいつだって、相手の気持ちを慮って、危険な森の中に入る事も厭わないし、傷つけられても信じようとしてしまうし、普段ならば怖いと言って嫌がる事にさえ立ち向かえてしまう。

 自分が傷付く事より他の人間が傷つく事の方がずっと耐えられなくて、自分以外の誰かの為に、涙を流してしまう。

 幼い頃からノルが見てきたリグレットは、そういう少女だった。


「そうだな」


 そうだった、と、吐息を零して目蓋を開けば、ノルは微かに口元を緩めた。

 あんなふうに自分の為に涙を流してくれるのは、きっと、彼女以外にいないのだろう。


「それにさ、ノルがこの場所でしてきた事は、ちゃんと周りの人達にだって伝わっているし、ノルはノルが思っている以上に必要とされてるよ」


 君はただイヴの代わりをしてるだけだと思っているのかもしれないけど、と言って、グレイペコーは椅子の側に置いてあった大きいサイズの封筒を手に取って、ノルに差し出した。

 それはグレイペコーが部屋を訪れる時に抱えていたもので、不思議に思いながらも受け取ると、それなりの重量が感じられる。

 封を開けて中を見れば、たくさんの紙のようなものが入っていて、一つを手に取って見ると、それは特殊配達員達が毎日運んでいるメッセージカードだった。

 手のひらに乗る程の大きさで、青い桜のマークが入っているそのメッセージカードを、ノルは丁寧に一つ一つ、袋から取り出して並べていく。

 そこには、局員達が書いたのだろう、見舞いの言葉が綴られている。


「ボクは自分の価値を決めるのは自分であるべきだと思うけれど……、不安になったなら、自分の今までしてきた事に目を向けてみてもいいんじゃないのかな」


 そう言ったグレイペコーは、優しく赤眼を細めて笑った。

 イヴルージュがグレイと呼ばれていた子供に与えた名前には、価値や基準という意味があるというのは、以前ノルも聞いた事があった。

 半端者(グレイ)と名付けられた自分に、価値や基準を自分で選べるように、と、願いを込められたのが、グレイぺコーという今の自分の名前なのだ、と。

 だからこそ、グレイペコーの言葉はすとんとノルの胸に落ちていて。


「そうだな。そうしてみる」

「ふふ、君って案外素直だよね」


 そういう所は少しだけリグレットと似てる、と言われて、ノルは気恥ずかしさを覚えてしまい、顔を背けた。

 そうして袋に入ったメッセージカードをノルが一つ一つ手に取って、読み終えたものを丁寧にまとめていると、グレイペコーはふとサイドテーブルの方へ視線を向けていた。

 そこには、今朝グラウカが用意してくれた一日分の薬と、水差しやグラスが一緒に置かれている。


「ねえ、ノル。もしかして、大分調子良くなってる?」


 問いかけられ、ノルは作業を一旦止めて、顔を上げた。


「そうだな。あの薬のお陰か、今までで一番調子が良い」


 まるで自分の中身が自分ではない何かに作り変えられているような、そんな得体の知れない痛みと恐怖に襲われていた筈なのに、今ではすっかりとそれらが消え去っているかのように感じられている。

 起きた時に身体が痛まないのは普通の事だと初めて知った、とノルが言えば、グレイペコーは困ったような笑顔を浮かべている。


「それって、以前服用してたあの薬とは違うの?」


 見た感じ顔色も良いし、薬の量もかなり減ってる気がするけど、と赤い瞳がサイドテーブルの上に置かれた薬をもう一度確認すると、少し戸惑うようにグレイペコーは問いかけた。

 用意されている薬の量が、以前服用していたものより半分以上も減っているからだろう。

 リグレットの父親を始めとした王族の血を用いて作られた薬を服用していた際は、歪になった内側をどうにか押さえ込んでくれるような感覚であったけれど、リグレットの血を使用したという薬に至っては、全く違うようにノルには感じられていた。

 そう、言うならば、正常な身体に直された、ような。


「そう言われてみれば……そうだな」

「リグレットの抗体値は他の人よりずっと高いって聞いたけど、それと関係あるのかな?」

「どうだろうな。王族は比較的抗体値が高いらしいが、流石にそれを詳しく調べるような事は出来ないだろうから」

「まったく、こういう時くらい少しは協力してくれてもいいのに」


 はあ、と大袈裟に溜息を吐き出したグレイペコーに、ノルは微かに口元を緩める。

 リグレットと話をした後、イヴルージュから薬にまつわる全てを教えられていたが、これまでもノルが生きていけるだけの血を提供してくれたのは、他でもない王族の人々だと聞いている。

 だからこそ、ノルは彼らに感謝をしているけれど、グレイペコーの立場からしてみれば、それに対して不満を言いたいのだろう。そんな気持ちはわからないでもないが。


「テッサから聞き出したお姫様とかいう人も、本物の王族だったりしてね」


 そう冗談めかしてグレイペコーは言うけれど、ノルは笑う事も否定する事もしなかった。

 グレイペコーは、きっとノルが呆れたように返すと思っていたのだろう。勿論冗談だよ、と困惑した表情を浮かべて顔を覗き込んでいる。


「ネムが言っていたんだ。ネムは今まで森の中で過ごしていた、と。そのお姫様とやらに助けられたのだと」

「……は?」


 グレイペコーは幼い子供のように呆けた声を出すと、途端に眉を寄せてしまう。


「いくら何でも、そんなの流石に冗談でしょう」


 荒唐無稽な話だというのは、ノルもよく分かってはいた。

 けれど、冷静になった今、あの時のネムはやはり嘘を言っていたとは思えなかったのだ。


「いや、よく考えてみれば、王族やリグレットと同じように抗体値が異常に高い人物がいるとすれば、なくはない話かもしれない」


 ネムは「姫様に助けて頂いた」と言っていた。

 そして、「ノルも助けて貰ったのだろう」とも。

 それはつまり、彼女が自分と似通った方法で、姫と呼ばれる人物に助けられたに違いない。


「だとしても、例の薬の製法は知らない筈でしょう? その為にリグレットのお母さんは狙われてるんだし」

「確かに、そこだけはどうしても引っかかる所なんだが……、ネムは、リグレットの父親がどうして亡くなったかを知っていたんだ。だから、例の薬の事も知っている可能性も高い」

「だとしたら、普通は母親よりリグレットの方を狙わない?」


 前回襲われた事も、その為だとするなら辻褄も合う。

 グレイペコーの指摘に、ノルは静かに呼吸を繰り返してから、ゆっくりと口を開いた。


「ネムはリグレットの事を、姫様の(・・・)プリムヴェリーナ(・・・・・・・・・)だと言っていた」


 ノルの言葉に、グレイペコーは弾かれるように顔を上げている。


「おそらくだが、その姫様とやらにとって、リグレットは特別な存在なんじゃないか?」


 隠された王弟である父親と、優秀な薬学の研究者の母親を持ち、高い抗体値を保つ、青い桜の森を決して怖がらない少女、リグレット。

 リグレットの特異性は、あの青い桜の森と、それらに纏わるものに繋がっているのではないのか。

 そう考えるノルに、グレイペコーは不安げに問いかける。


「だから、リグレットは狙われない。……そういう事?」

「ああ」


 ノルが頷くと、グレイペコーは口元に手を当て、顔を顰めた。


「リグレットとお姫様との繋がりはともかくとして……、あの森の中で暮らすなんて普通は無理じゃないかな」


 通常、毒の霧に満たされた森の中で生物は活動出来ず、森の解放期間中でさえ、常時軍の兵士が巡回している。

 森の中央付近であれば可能かもしれないが、中央に近付けば近付く程に、毒素はより濃くなっていく。

 鳥や虫ですら近づかない森の中で暮らすというのは、常識的に考えて、無理な話だ。


「衣食住の問題もあるんだし、それに、森の中に入る事だって──、」


 言いながら、グレイペコーは顔を上げてノルを見た。


「ねえ、ノル。もしかして……」


 頭に浮かんだ考えをどうにか否定したいのだろう気持ちが、揺れる赤眼から見て取れる。


「お前も勘付いているのだろうが……、内部に協力者がいるんだろう」


 周囲に疑われる事なく、深く潜り込める人物がいるとしたなら、それ以外考えられない。

 そして、その人物は慎重で狡猾で、疑いを持たれないよう振る舞える人物であり、また、それが一人とは言えないだろう。


「この件、イヴは知ってるの?」

「知っているとしたら、あまり考えたくはない相手なのかもしれないな」


 言えない、ではなく、言いたくない、というのなら。


「あの人は、身内に甘いから」


 同じ痛みを共有しているからこそ、ノルはイヴルージュのそうした所を理解出来てしまうし、責める事は出来ない。

 双子の姉であるネムは、きっと、その者達と繋がっているのだから。

 考えて、ノルは手を強く握り締める。

 もしも、リグレットが言うように、ネムが自分を追い詰めて命の危険を脅かしたとしても、何か事情があったとしたなら。

 それなら、ネムはまだ引き返してくれるだろうか。

 そう、考えても仕様が無い事を考えてしまう。

 グレイペコーは深々と溜息を吐き出して、だからあんなふうに態と嫌わられるような、人を遠ざけようとする事ばかりしていたのか、と呟いた。


「ノルもイヴも、何でもかんでも抱え過ぎ」

「反省してる」

「どうかな。リグレットをあんなに泣かせたくせに」


 再び棘を刺してくるグレイペコーに、ノルは気まずい気持ちで顔を背けようとして、止めた。

 目の前には何枚ものメッセージカードがあって、その中には三区や二区のメンバーの名前が書かれたものもある。

 こうして自分の為に言葉を伝えようとしてくれる人がいるのだと、リグレットがあんなにも涙を流して気持ちを伝えようとしてくれなければ、きちんと理解出来ていなかったろう、とノルは思う。

 これまでは、未来に繋がる事を、望んでいなかったから。

 だからこそ、今、そうして遠ざけていたものを大切にしていきたい、と思えるようになったのだろう、と。


「もう絶対に泣かせたりしない」


 ノルの言葉に、グレイペコーはぱちぱちと瞬きを繰り返して、その赤眼を優しく細めた。


「約束、嫌いだったのにね」


 ふふ、と吐息混じりに笑って、グレイペコーはドアの方へと顔を向けている。

 部屋の外から、ぱたぱたと走る足音が聞こえてきたからだろう。

 きっと、いつものように健やかな笑顔で、この部屋に入ってくるに違いない。

 そうだな、と、呟いたノルは、自分で思うよりもずっと、柔らかい吐息を零して口元を緩めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。