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65 いっそ底まで溺れてしまえば


 質素な部屋の中で、ノルの過去について静かにイヴルージュは語り、リグレットはそれをただじっと聞いていた。

 正確には、絶句したまま、ただ話を聞いている事しか出来なかったのだけれど。

 外の雨が少し落ち着いてきたのか、それとも緊張した空気のせいか、部屋の中には煩く響いてくる事はなく、それ故に、時折訪れる沈黙がやけにしんと感じられている。


「なあ、リグレット」


 呼びかけに、リグレットはぼんやりと顔を上げた。


「もし、お前がノルを助けられるとしたら、どうする?」

「……え?」


 イヴルージュの言葉を反芻し、意味を噛み砕こうとしていると、彼女は緩やかに瞬きを繰り返して、何処か諦めたような、苦しげな笑みを浮かべている。


「お前の父親……アレクスヴニール様と同じように、ノルを助ける力がお前にあるとしたなら、どうする?」

「イヴ!!」


 突然響いた厳しい声に驚いたリグレットが思わず身体を縮こませると、目の前を遮るようにグレイペコーの背中があった。

 長い三つ編みが揺れる背中越しに、イブルージュの赤い瞳が真っ直ぐにグレイペコーを見つめている。


「一体、何を考えているの」

「こういう時、真っ先にリグレットを庇おうとするのがお前らしいな」


 てっきり殴られるくらいは覚悟していたんだが、と苦笑いを浮かべるイヴルージュに、グレイペコーはぎりと奥歯を噛み締めて睨みつけた。


「っ、いいから質問に答えて!」


 リグレットに何をさせようとしているの、と問いかける声も、庇うようにして向けられた背中も、白くなった指先もみんな、震えている。

 手で押さえていた胸はばくばくと拍動し、空気が張り詰めているのが分かるけれど、グレイペコーが庇っている姿を見て、却ってリグレットは自らが冷静さを取り戻していくのを感じていた。


「私がノルを助けられるなら、助けたいよ」

「リグレット!」


 焦ったように振り返るグレイペコーに、リグレットは不安にさせないよう、柔らかに笑った。

 イヴルージュが突然告げた事に、疑問や気がかりに感じないわけではないけれど、先の彼女の表情は、ある一定の時にしか見せないものだ、とリグレットは気づいていたのだ。

 そう、父や母について話をする時と、同じ顔。

 リグレットは「だけど」と付け足して、緩やかに瞬きを繰り返してイヴルージュを見る。


「それが、お父さんの事と関係があるのなら、ちゃんと全部教えて」


 部屋の中は静かな雨の音だけが響いていて、痛いくらいの沈黙が広がっている。

 イヴルージュは緩く唇を噛み、暫く視線を俯かせて足元を見つめていたが、やがて観念したように息を吐き出すと、口を開いた。


「先の話の通り、ノルは元々抗体持ちじゃない。今のあの状態は、研究所でノルを見つけた時の症状によく似ている」


 研究所で助け出した後のノルは、被験体してブルーブロッサムの毒素を長期間身体に取り込まされていて、その後遺症で重体になっていたらしい。

 リグレットの母親であるプレセアは、元々それらの症状を治す為の研究をしていた事もあって、ノルを助ける為に新たな薬を作り出そうと奔走していた。

 そして、その過程である発見をしたのだと、イヴルージュは言う。


「この国の王族は、ブルーブロッサムの抗体値が高い傾向があったんだ」


 二人の視線が自然と向いているのを感じて、リグレットはぱっと俯くと、胸元を握り締める。

 抗体値がとても高いと言われてきていたけれど、それが、自身の出生と関わっているとは思わなかった。

 そうリグレットが思っていると、落ち着きを取り戻したらしいグレイペコーは、納得したように頷いている。


「だから、その血が流れているリグレットも抗体値が高いんだ」

「まあ、リグレットはその中でも飛び抜けて高いみたいだけどな」


 三区へ行った時も平気だったのはそのせいか、と呟いて、グレイペコーははたと顔を上げた。


「ちょっと待って。それってつまり、王族は全員抗体持ちって事なんじゃないの?」


 その指摘に、先の言葉をよくよく思い出してみて、リグレットはぱちぱちと眼を瞬かせて二人を交互に見る。


「ああ、そうだ」

「はあ? 自分達が抗体持ちなのに、自分は安全な場所にいながら、国民にはこんな危険な仕事を押し付けているの?」


 グレイペコーの非難に、いつもならば軽口を叩いてやり過ごすイヴルージュも、それには返す言葉を見つけられないのだろう。苦笑いを浮かべて、曖昧に頷いている。

 彼女を責めた所でそれが覆されないと理解したのか、グレイペコーもやるせない表情をしていたが、それ以上の追求は出来ずに黙り込んでいる。

 その様子にイヴルージュは困ったように笑うと、話を戻すぞ、と言って再び話し出した。


 高い抗体値を持つ血液を調べる事で得られるものがあるかもしれない、と研究を進めていたプレセアは、その後すぐに薬を完成させてしまったという。

 だが、その薬には予期せぬ事態が多く発生した。


「まず、その薬を服用すると、抗体を持たない人間が抗体を獲得出来るという事。それに加えて、毒素に侵された身体機能を正常に保つ働きもある」


 イヴルージュは、指を使って一つ一つ説明していく。


「そして、その薬には、抗体値が高い血……王族の血が必要だという事」

「王族の血?」


 呟いたグレイペコーが、不安げにリグレットを見てから、イヴルージュへと視線を移している。

 血、と聞いて、リグレットは先の言葉を思い出して、漸く納得がいった。

 ノルを助ける為には薬が必要で、その薬を作る為には王族の血が必要だという事。だからこそ自分に、助けたいか、と問いかけたのだろう、と。


「それ以上に、その薬を作るには更に大きな問題がある。重症の患者を救うには、その分、多くの血液が必要になるんだ」


 成人一人で採れる量としてもかなり多く、子供では耐えられない。

 数人から少しずつ採れるのならばいいけれど、そう簡単な話ではなかったのだ、とイヴルージュは言う。


「薬の対象になる血液を持っていたのは陛下と殿下達だけだ。だが、王族相手に血を提供してくれとはそう簡単には言えんだろう。必要な血液の量も多いと知れば、誰も素直に首を縦には振らない」


 その言葉に、グレイペコーは心底軽蔑したような表情を浮かべていた。

 先程の話から続いて、決して協力的とは言えない彼らに、どうしても納得がいかないのだろう。


「自国の民が苦しんでるっていうのに?」

「これまでも、ノルの症状が悪化した時の為に最低限の量は分けて下さっているんだ、そう言うな。それに、陛下が倒れればこの国はどうなる? 殿下達だって、その当時はまだ幼かった。無理を言える筈はない」


 イヴルージュは彼らを庇っているようにも思えるし、それ以上に、其処へ過度に期待を持たないようにしているのかも知れないと、リグレットには思えた。

 そうなるまでに、彼女なりに足掻いた結果なのかもしれないが。


「だからこそ、あの時、アレクスヴニール様は血の提供を申し出て下さったんだ」


 アレクスヴニールが血を提供し、それを元にプレセアが薬を作る。

 その薬を投与されたノルは、一命を取り留める。

 そうして全ては解決する筈だった。

 イヴルージュはそう言って、足を組み直すと、視線を床へと落として唇を緩く噛み締めた。


「……それなのに、プレセアがその薬を作れると何処からか情報が漏れたことで、彼女は狙われるようになったんだよ」


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