第14話 わたくしは犬じゃございませんッ!
イエーロ様とコンスタンツェ様が婚約破棄。
しかもここは食堂のど真ん中。この現場を、多くの者たちが目撃している。
暴力を振るったことを抜きにしたとしても、誰がどう見ても非はイエーロ様にある。
このままではイエーロ様の評判が地に落ちるどころか、夢である騎士としても入団を許可されないのではないだろうか。騎士団……特に王族を守る騎士団はただの武装集団ではない。治安と秩序を守る民草に頼られるための存在だ。武力と暴力を履き違えた愚か者だと噂されるような人物に務まるはずもない。
――一時の『ヤンデレ』なんかで捨てられる未来じゃなくってよ!
彼がずっと騎士を目指して努力してきたことは、レッドモンド殿下から聞いたことがある。そして、殿下が彼の出世を密かに楽しみにしていたことも。
どうするかと視線を巡らせた時、場の空気を読んで遠巻きに控えていたシルバーが目に入る。わたくしは慌てて彼に駆け寄り、耳打ちした。
「今すぐわたくしを殴りなさい」
「は……?」
「勿論フリだけでいいのです! こう……殿方が女性を殴ることなんて大したことないのよ、みたいな……」
「なるほど? とりあえずこの場をどうにか誤魔化せばよいのですね」
「まぁ、そういうことなんだけど――」
「承知いたしました」
何故だろう。ニヤリと口角をあげたシルバーの顔が怖い。
だけど、そんな恐怖に慄く暇はなかった。
わたくしのすぐそばで、パンッと弾けたような大きな音が鳴る。途端、わたくしは足を払われて。こっそりシルバーが腕を引いてくれたから怪我も痛みもないけれど、わたくしはその場に尻餅をついていた。
シルバーが恍惚とした笑みで見下ろしてくる。
「あぁ、お嬢様。こんな場所でわがままはおよしになってください。俺に踏まれたいなど……ここは皆さんで楽しく食事をする場ですよ。こういうことは、二人っきりになってからといつも言っているでしょう?」
「??????」
あまりの発言に、オノマトペすら出てこなかった。
――わたくしが……シルバーに踏まれたいですって……?
そんなこと言ったこともないし、思いついたこともない。
それなのに、シルバーの目は楽しげに細まるのみ。
「待て、はできますね?」
その手は、まるでわたくしを助け起こすように差し出されたから。
思わず乗せたのに、彼は手を引っ張り上げてはくれない。代わりに彼は声に出さず口を動かしている。その動きは――
「わん……?」
その瞬間、まわりから黄色い悲鳴があがった。
――えっ、一体何が起こりましたの⁉
ようやく引き上げてもらったわたくしが周囲を見渡すと……女子生徒らがこぞって顔を赤くしている。中には顔を押さえていたり、従者に目を塞がれていたりする令嬢も。男子生徒らも皆揃って目を見開いており……それはイエーロ様やコンスタンツェ様も同様らしい。コンスタンツェ様に至っては「失礼しましたっ!」とこの場から逃げ出してしまったくらいだ。
そんな中、イエーロ様が震えながら指してくる。
「リュミエール殿……キミにはそういう趣味があったのか?」
――こ、この状況は何なんですの~~ッ⁉
――そういう趣味って、どんな趣味のことですか⁉
そう問いただしたいものの、まともな言葉をイエーロ様の前で口にしようものなら、『設定』がブレてしまう。
わたくしは「ぺこりっ」と頭を下げてから、慌ててシルバーの手を引いてその場から逃げた。
そして、人気のない場所に連れてきてから。
わたくしは唾が飛ぶのも厭わず、思いっきりシルバーに詰め寄った。
「さっ、先のあれは何だったんですの⁉」
「俺はお嬢様の言いつけに従ったまでですよ? あの場は丸く収まったでしょう?」
「丸くって……」
わたくしの動揺を「ははっ」笑い飛ばすシルバーは、いつも通り胡散臭い笑みを浮かべる。
「この国のトップに近しい公爵家の令嬢が、従者とSMプレイを楽しんでいる……これ以上ないスキャンダラスになると思いませんか?」
「えすえむ……すきゃんだ……」
「あ、すみません。被虐遊びと噂話のことです」
「ひぎゃく⁉」
被虐とは、他人から虐げられることである。
勿論、わたくしは即座に否定した。
「わ、わたくしにそのような趣味はございませんわッ!」
「そうですかね。俺はお似合いだと思いますよ?」
「なっ……」
「でも俺以外の男に襲われそうになった場合、容赦なく相手の目と股間を狙って攻撃してくださいね。蹴っても殴っても構いません。いいですか、股間ですよ。股間」
「何度も連呼しないでちょうだいッ!」
さっきから言葉を詰まらせてばかりのわたくしですが……さっきまで不愛想だったくせに、いきなり何なんですの⁉ そんなにわたくしを虐げることが楽しいですか?
そう問おうとするも――わたくしは口を閉ざす。だって『全力で楽しいですよ』とか、平然と言われようものなら、さすがに返す言葉が思いつかないもの。
知らぬが女神。聞かぬが花。
ただただ胸の内で葛藤していると、都合よく予鈴の鐘が鳴る。
「あ、もう授業が始まりますね。教室まで送ります」
思わず顔にしわを寄せっぱなしのわたくしに対して、シルバーはとても晴れやかな笑みを浮かべていた。





