第12話 拗ねてなどいませんわッ!
――どうして、こんなに胸が苦しいのかしら?
だって、シルバーはわたくしの従者にすぎないのだ。
当然、彼だっていつか妻子を得るだろう。ラムネリア家の執事なんて、かなり名誉ある仕事である。たとえ彼自身に爵位がなくても、婿として迎え入れたい貴族はやまほどいるはず。それが容姿端麗で若くして有能ならば、尚のこと。
それにどことなく言動が軽い男である。仕事以外で女性関係があったって、何もおかしくはない。そう――彼の主ならば、業務に支障がない以上関与してはならないのだ。
主には主の。
従者には従者の人生があるのだから。
「もうお嬢様、どうして一人で戻ってきてしまったんですか⁉」
「別に、用が終わったのにいないあなたが悪いんじゃない。どうしてわざわざ、わたくしがあなたを探さねばならないの?」
あれからわたくしは、知り合いの馬車に相乗りさせてもらって寮まで戻った。
シルバーには「友達がいない」とかよくからかわれるけど、そのくらい頼める知人ならいる。仮にも公爵家の令嬢だ。同年代との交流だって仕事の一部。
ただ心を開ける相手がいないだけ。
「……お嬢様、なんか拗ねてます?」
「別に何も」
「ぜ~ったい拗ねてるでしょ」
「しつこいですわよ」
シルバーはわたくしが先に戻ったことに気付くやいなや、慌てて戻ってきたらしい。
いつもよりも髪が乱れ、ネクタイを外した襟元から赤い首輪が見えている。
――飼い犬なら、飼い犬らしくわたくしにだけ尻尾を振っていればいいのに。
そんな心の狭いこと、わたくしには言えないけれど。
代わりに「そんなことより」と別行動していた間の報告だけする。
ブルーノ様が『二番手』であることに大きなストレスを抱えていたこと。
それを簡単に励ましたら一瞬正気に戻ったようだったが、すぐまた『ヤンデレ化』してしまったこと。
そしてレッドモンド殿下と合流し、二人は王城までわたくしの呪いを解く方法を調べに行ってしまわれたこと。
一通りの報告を黙って聞いていたシルバーは、お茶を淹れながら眉根を寄せた。
「その間、お嬢様はボロは出さなかったんですか?」
「……えぇ。全部『きゅるるん♡』的なあれで乗り切りましたけど」
時間にして三時間くらいの出来事だったかと思うが、その間一切オノマトペ以外を口にした覚えはない。それを告げると、シルバーはとても真剣な顔で頭を下げてきた。
「俺、心底お嬢様を尊敬します」
「なんで⁉」
思いがけない敬服に疑問符を返せば、シルバーが詰め寄る勢いで賞賛してくる。
「いやぁ、普通無理ですって! あんなオノマトペだけを貫くの、ぜーったいどこかでボロでちゃいますから!」
「あなたはわたくしを馬鹿にしているの?」
「いえ、だから褒めてます。頭の回転の速さの無駄遣いがすごい!」
「まったく褒められている気がしないわッ!」
これでも一応、王太子妃候補。馬鹿じゃ務まらない立場ですから。
それなのに目をキラキラさせて罵倒してくるシルバーに、わたくしは嘆息した。
「……そんなことより、訊きたいことがあるんだけど」
「あ。アイリーン嬢のことならすでに手を打ちましたのでご安心を、と言いたいのですが……」
――言い淀むなんて珍しい。
どちらかと言えば、彼は自信過剰な青年である。
「思いのほか……いや、思っていた通り面倒な相手でした。忠告はしっかりとしてきましたが……今後あいつがどう出るのか、俺でも予想できません」
――あいつ?
まるで親しい者のような言い回しが引っかかるものの……思い浮かぶのは、校舎裏の壁際でシルバーがアイリーンさんに詰め寄っていた時の光景。
わたくしの口から出てくるのは嘲笑だった。
「ずいぶんと親し気に呼ぶのね」
「え?」
「まぁいいわ。今日はもう出て行ってちょうだい。疲れているの」
顔を背けたわたくしに、淹れたお茶をサイドテーブルに置いたシルバーが提案してくる。
「それではマッサージでもしましょうか?」
「結構よ」
わたくしはその申し出を一蹴して――命じた。
「早く出て行って。あなたの顔を見たくないの」
その我ながら低い声音に、
「承知いたしました」
彼は一瞬目を見開いてから、恭しくお辞儀をした。
イエーロ=フォン=スルメロ。
彼は騎士団長の一人息子である。父親を超えることを目標にしており、毎日学業に励みながらも身体を鍛える訓練も欠かさない、とてもストイックな青年だ。
「この剣に代えても、今日のリュミエールの安全は必ずオレが守るから」
そう見せてくる剣は刃を潰してある模擬剣。当たり前である。平穏な学び舎で武器の所有が許されるはずがない。この模擬剣だって、彼が入学時に色々と問題が起こったという噂だが……それは今は関係のない話だろう。
そう――今、何が問題があるかと言えば。
「ふにゅう……」
馬車を下りてから三歩目以降、イエーロ様に縦に抱っこされて歩かせてもらえないことである! 殿下が今学校から離れているとはいえ……恥ずかしい。せめて横抱きならまだロマンス思考で誤魔化すことができるかもしれないけれど、まるで幼子を抱きかかえるような縦抱きである。十六歳の人間として、人前で怪我もないのに抱っこされ続けるのはどうなのだろう。
周囲の視線から隠れるように顔を埋めると、自然とイエーロ様の肩に顔を寄せることになる。
それに、イエーロ様はますます気を良くされたのか嬉しそうに笑った。
「ははっ、キミを持つということはオレの訓練にも繋がるからな。遠慮せず甘えてくれ。キミが石にでも躓こうものなら大変だっ!」
そんな光景に、今日もシルバーがお腹を抱えて笑っているかと思いきや――
彼はただ粛々と、わたくしたちの後を着いてきているだけだった。
――気を損ねてしまったのかしら。
シルバーとの付き合いは長い。
わたくしが五歳くらいの時に、裏庭で倒れていた彼を拾ったのが出会いである。
我が家は仮にも公爵家。その本家は当然厳重な警備が施されているのに……どこから入り込んだのかはわからない。でも当時まだ子供だったわたくしは怪我した子犬を拾ったような感覚で、必死にこっそり看病したのだ。
勿論その看病は家の者にバレて、お父様に報告されたのだけど――お父様はシルバーと何か話した結果、なぜか彼は我が家の従者として家に置くことになった。
それから最低限の教育を受けさせればメキメキと頭角を現し……あっという間に従者のトップである執事まで上り詰め、なぜか学園まで無理やりついてきて、今に至るというわけである。
――思い返せば、知らないことばかりね。
なぜ、我が家で倒れていたのか。
なぜ、そんなに能力が高いのか。
なぜ、学園にまで着いてきたのか。
たまに「転生した」だの「女神様からのギフト」だの、冗談めいたことばかり言うけれど……彼は本当のことをわたくしに話してくれたことは一度もない。
――しょせん、その程度の間柄だったのよ。
ただわたくしが唯一心が開ける相手だと、一方的に思っていただけ。
彼はわたくしの知らない間に、恋人を作っていたのだから。
――まるで失恋したみたいね。
――本当の恋なんてしたことないくせに。
一丁前に落ち込んでいる暇もなく、教室に着く。
「さぁ、離れ離れは寂しいが……勉強は学生の義務だからな。オレらの輝かしい未来のために、今日も頑張ろう!」
さすが体育会系。ヤンデレの中でも爽やかなヤンデレである。
イエーロ様にそっと下ろしてもらい、わたくしはお礼代わりに「きゅるるん♡」をする。
すると「また昼に会えることを楽しみにしている」と白い歯を見せてくれるイエーロ様の後ろで、シルバーがどこか他人行儀に「それでは」と頭を下げるから。
わたくしも一人の従者に対して、「ご苦労」と労いの言葉だけをかけた。





