8-1
「撫山さん」
指定された店は奴のイメージとはほぼ遠い、机が6つほどしかない、小さな居酒屋だった。しかし人気がある店らしく、店内は満員御礼で人がひしめき合っていた。
ごった返す店内で違和感を放つ奴は俺を見ると軽く手を挙げた。何か余裕しゃくしゃくな様子で苛立ちが募る。
「池垣さんもビールでいいですよね?」
「あ?ああ」
親父みたいだなと思いながらも、頷く。奴は手を挙げるとビール二つくださいと大声で注文した。
妙な感じだ。まるっきり外見は外人なのに、本当日本人と同じ感性なんだ。
しかも、庶民的……。
「何か?」
「いや、普通の人だと思って」
「普通ですよ。あなたと違って遊ぶのは好きじゃないですし」
むかつく。
奴が、わざと俺を苛立たせようとしているのがわかった。
誘いに乗ってやるか。
この野郎。
「で、用件は?」
苛立つ気持ちを押さえて冷静に机の上に置かれたメニューを掴み、奴に視線を向ける。
「あなたに確認したいことがあります。私というか、眞有がですけどね」
「……なんだ?」
「あなたが眞有と別れた理由、それはあなたの実家のことですよね?」
「!」
なんで知ってるんだ?
「これを見てください。これはあなたの実家がある商店街ですよね?」
撫山は紙を広げ、俺に見せる。
それはローカル新聞のオンライン記事を印刷したもので、俺の実家のあたりの商店街の写真と、『失われる古き商店街』という言葉が目に入った。
「この宮本カンパニーというのは玲美さんのお父様の会社ですよね?」
「ああ」
ばれたことがいいことなのか、悪いことなのか俺には分からなかった。
周りで飲む奴らの喧騒の中、耳を澄ませて奴の次の言葉を待つ。
「玲美さんに脅されたんですか?結婚しないとこのまま商店街をつぶすと」
わかってるんだな。
全部。
「馬鹿ですね」
何も答えない俺に奴はさらっとそう言う。
「馬鹿とはなんだ!」
頭にきてそう怒鳴る。しかし、周りで騒ぐ声もあり、目立つことはなかった。
「どうして、眞有にそう説明しなかったんですか?」
奴は腕を組んで俺をじっと見つめる。その瞳は深海のように深い青色で彼の怒りが感じられた。
「言い訳はしたくなかった」
事情を話したところで別れることには変わりない。
下手に話すと余計傷つける気がした。
「……信じられない」
撫山は眉間に皺を寄せると大きな溜息をつく。
「眞有がどれだけ傷ついてるかわかりますか?」
「わかってる!」
そんなお前に言われなくてもわかってる。
ただ俺に気持ちがあることがわかると、駄目だと思った。
彼女が次にいけないと思った。
俺はもう彼女の傍にいられないから。
「はあ。本当、私はあなたのことが大嫌いです。でも、今だけは眞有のために我慢します」
奴は携帯電話を取り出し電話をかける。
「眞有と話してください。彼女に説明してあげてください」
ぐいっと渡された携帯電話を受け取る。
「もしもし?」
耳元に当てた電話から眞有の沈んだ声が聞こえた。
胸がつぶれるような思いがしたが、必死に声を出す。
「……俺だけど」
はっと声にならない声を感じ、彼女の驚きが伝わる。
自分が如何に彼女を傷つけたか、わかってる。何をどう伝えていいかわからなかった。
しかしまとまらない思考を集め、必死に言葉を探す。
「ごめん。本当に。でも、眞有を好きなのは本当だから。説明しなくてごめん。本当……」
結局言い訳のような、謝罪の言葉しか出てこなくて、口をつぐむ。
なんて言えばいいのか?
実家を捨てられない俺は眞有を選ぶことはできない。
すうっと息を吸う音がして眞有の震えた声が聞こえてきた。
「……武。私はあんたに振られてすごく傷ついた。でも……」
「眞有……」
ごめん。
眞有。俺はどうしていいかわからない。
俺達は黙りこくり、沈黙が流れる。
眞有の吐息が聞こえてきた。それは泣いているようにも感じられた。
「池垣さん、電話をかしてください」
沈黙を破ったのは撫山で、奴は俺から電話を奪うと話し始めた。
「眞有。このまま池垣さんが結婚するのは、私も納得がいきません。何か対策があるはずです。それを考えましょう」
俺にはわからないが、眞有は多分頷いたはずだ。
対策、あるのか。そんなものが。
奴の言葉に戸惑っていると、奴は鋭い視線を投げかけてきた。
「そうですよね、池垣さん。あなたもこのまま、結婚してもいいんですか?眞有へのあなたの気持ちはそんなものなんですか?」
奴の青い瞳は挑戦するように煌めいていた。
その瞳が俺の気持ちに火をつける。
あきらめられるわけがない。
「そんなことはない。俺は眞有が好きだ。あんたには負けない」
「なら、何か考えてみてください。じゃ、眞有。そういうことで、私の推測はあたりです。あなたはゆっくり休んでください。あとは私と彼が話し合うことですから」
奴はそう言うと電話を切った。
「本当はこのまま、あなたが玲美さんと結婚してくれれば、私には有利なんですけど。眞有の気持ちを考えるとできません。池垣さん、私に考えがあります」
奴の言葉と同時にジョッキに入った生ビールが二つ、ぱんっと机の上に置かれる。
「その前に、乾杯しましょう。眞有のために」
奴はジョッキを掲げる。
金色の髪が照明の下、キラキラと輝いていた。青い瞳は青空のようで、整った顔は美しく、完璧だった。
くそ、頭にくるが、敵わない。
「池垣さん?」
「ああ、乾杯しよう。眞有のために」
精一杯余裕なそぶりをみせて微笑むとジョッキを持つ。
そうして俺は憎い恋敵の手を借りることになった。




