第一話 雪降る朝
寒い雪の中、私は歩く。
北海道の積雪は何とも厭らしい。
朝に除雪車が道路の雪をかき分けたと言うのにも関わらず、もうすでに白銀の雪が黒い道路を覆い隠している。
吐く息は白く、見上げる空は曇天だ。
そんな天気に、今日の工事をどう進めるか考えながら、私はただ歩く。
遠くで元気な小学生の声が聞こえる。元気な声に思わず羨ましいものだと思ったが、それを考えたこと自体に苦笑が漏れ、自嘲気味に笑った。
そんな時、私の前を赤いランドセルを背負った小学生が、角から飛び出していた。
子供らしい元気いっぱいの勢いで、白状の道路を横切る。それは、雪の白でもあり、横断歩道の白でもあった。
だが、私の目にはしっかりと映ってしまう。目の前から軽トラックが迫ってきている事に……。
軽トラックのハンドルを握っている人の表情。
ガラスによって光が反射され見づらいのにも関わらず、見えてしまったのだ。
その焦った表情と固まった視線。思いっきりブレーキを踏み込む姿勢が……。
急激なブレーキに軽トラックのタイヤは空転し、タイヤが止まっているのにも関わらず、車体自体が止まる事は無い。
このまま……もしもこのままいけば、確実に軽トラックと少女が激突する。大人でも死ぬような交通事故。もしもそれが子供だったら、確実に死ぬだろう。
私の冷静な部分が、そう理解するよりも先に、私の体は前へと飛び出していた。
しかし、私の体は、自分が想像しているようには動かずに、足が縺れる。下の雪で足が滑り、体が前に投げ出されるが、それが功をそうしたようだ。
身長が高かったおかげで、私の伸ばした右手が少女のランドセルを前へと押していた。
私には少女が車を避けられたのかは分からない。だが、確かに押した感触は右手を通して伝わってきた。
しかし、私が少女を見るよりも、地面に接した鈍痛よりも先に、私の体は途轍もない衝撃によって飛ばされていた。
宙を舞う。まさに、人生でその言葉を体現する日が来るとは思ってもみなかった。
体から重力が抜け、視界が何回も空転する。しかし、次の瞬間には重力によって体が下へと引き付けられ、私の体は地面を叩いて……止まる。
奇しくもそれは、軽トラックが完全に停止した時と同じであった。
しかし、私の視界には白い雪と徐々に赤に染まりゆく世界だけが見えていた。
遠くで悲鳴が聞こえる。遠くでクラクションの音が聞こえる。しかし、遠くなった意識では、現状がどうなったのかを教えてはくれない。
だが、今の私には、あの赤いランドセルを背負った娘が無事なのかだけが気になっていた。
……体が、揺すられている。私の体が天を向いた。
そして、私の瞳に移ったのは、雪の薄暗い雲空色と少女らしき人影だけだった。
……視界が、掠れている。思考が、霞んでいる。
体は冷たく、先ほどまで遠くに聞こえていた音も……もう聞こえない。
ああ、きっと私はここで死ぬのだろう。
そう、悟った瞬間、私の中には一つの情景だけが浮かんでいた。
それは、この日のように雪の降る曇天の空。
結局、私はこの広く狭い大地と島から一度として出る事は無かった。
結局、私の人生はなんのためにあったのだろうか?
そんな哲学的で、万人が考えてきたような無駄な思考。それすらも、もはやまともに纏まらない。
私の人生。私の意味。私自身も虚無となって消えて行くのだろう。
だが、生きていくだけでもつらい人生。まさに生き地獄に比べれば、それでいいのかもしれない。
いや……違う。
生き地獄、なんて言葉で片付けるには、私の人生にも意味はあった。
嬉しい事も、悲しい事も、辛い事も、痛い事も……。
すべてに意味があった。そうでなければ、あまりにも空しすぎる。
次第に、景色が溶けていく。
白と黒の境目が曖昧になり、音は遠く、水の底のように歪んでいく。
思考も、記憶も、感情も。
すべてが、同じ深さへ沈んでいく。
怖さも、後悔も、執着も。
今となっては、どれも汚泥のように私の心を沼底へと引きずり込んでいった。
ああ、……これが、終わりなのだろう。
そう理解した瞬間、世界は、静かに、完全な闇へと沈んだ。




