48.王宮を便利屋にする女
「とりあえず、侯爵家の方は後回しにしますわ。急ぐ必要はないでしょうからね。アントネッラ様は追放済みで、全てが終わってしまった後だもの。それに……」
そう言って、マリアローザは動く馬車の窓から外へと目をやった。
「何だか、嫌な予感がしますのよ。」
貴族の勘……というか感覚が、この話に何か嫌な気配を感じ取っている。
婿養子が妻を追い出した、というのはつまり――…家の乗っ取りだ。しかもその婿養子は偶然にも、家督を継いだばかりと来ている。これを不穏と言わず、何と言おうか。
しかし、相手は曲がりなりにも侯爵家。その上こちらは、完全な部外者である。事は、慎重に運ばなければ……。
「ですからね、リノ。貴方にはまず、孤児院の方から探って貰います。あの院長をね。」
「身辺調査、って事です??」
「ええ、そうよ。彼女は脇が甘そうですもの。きっと簡単にボロが出るはず……。手始めに、その行動から調べて頂戴。あんなに派手な格好をして、昼間からどこへ行っているのか……とかね。」
ろくな所へ行っていないのは確かだろう。だが、正確な情報が欲しい。いずれ糾弾する時のための、ネタ集めとして――。
ただ、これはまだ疑いの段階で、院長が潔白である可能性も無くはない。
結果的に、もしその事が証明されたとしても、それはそれでいいではないか。むしろ、そうであってくれとさえ願う。
何事も、平和が一番なのだから。
「――…さて。その間、わたくしは――」
“あそこ”へ行こう、とマリアローザは考えていた。
そして、後日。
やって来たのはここ、王宮である。
「あら?エレナ様。今日、シルヴィオ殿下は??」
明るく開放的な、王族専用のリビングの中。マリアローザは、真っ白なテーブルの対面に座っている親友へと尋ねた。
すると彼女は大袈裟な振りをして、ショックを受けたような顔をする。
「まあ!マリア様ったら…もしや、彼に会いにいらしたの⁇……わたくしというものがありながら……!!」
そう言って、王太子の婚約者・エレナは、ハンカチを噛む真似をしてみせた。
マリアローザは、やれやれと言うように軽い溜息を吐く。
「そう妬かないでくださいまし。わたくしの最愛は、貴女だけですわ。殿下は……そうね。場に添える、花のようなものかしら。アクセントがあった方が、見栄えが華やかになるでしょう?」
いくら、元王太子の元婚約者であったとはいえ……。こんな所で現王太子をお飾り呼ばわりするとは、怖いもの知らずである。
上目遣いの潤ませた瞳で、エレナは遠慮がちに返す。
「…………甘い物を食べている時に欲しくなる、塩味のような……?」
「ええ、そう。言うなれば、殿下は塩です。胸焼けを押さえてくれる、塩。」
そこで顔を見合わせた二人は、同時に「プッ」と噴き出した。
「さあ、即興芝居はここまでにして……。殿下は今、ご公務中ですわ。」
少し遊んで、満足したようだ。笑って滲んだ涙を軽く拭きながら、エレナはさっきの質問に答えた。
「深刻な人材不足で、相変わらず忙しくて。一応お誘いしてみたのですけれど、断られてしまいましたの。」
「それは素晴らしいですわね。王太子なら、公務の方を優先させて然るべきですから。」
「ふふ、マリア様らしいご意見です。ところで……わたくしだけで、本当によろしかったのかしら??何か、ご用がおありだったのでは。」
彼女は、今度は本気で心配そうな顔をした。
マリアローザが、わざわざここまでやって来たという事は――…。ただ単に茶をしに来たわけでは無いのだろう。王宮でなければならない、何か重要な話があるはずなのだ。
「ええ。けれど、エレナ様だけでも十分ですわ。どうせ、後で殿下のお耳にも入るのでしょうから。」
「それはもちろん。情報は、共有いたしませんとね。」
「ならば結構。では――」
少々油を売ってしまったが、マリアローザはようやく本題へと入った。
“本題”とは、孤児院での一件についての、告げ口である。
――院長の言動には不審な点があり、不正が行われている可能性がある事。そこで、お払い箱にされた元侯爵令嬢……もとい、元侯爵夫人が働かされていた事――。
それら全ての怪しい事柄を、余す事無く王太子の婚約者に対して話して聞かせた。
「まあ……!そんな事が??それは確かに、問題ですわね……。」
お茶を飲みながら聞いていたエレナは、かちゃりとカップを置いた。少し前まではふざけていた彼女も、今は真面目な顔で考え込んでいる。
「孤児院の事もそうですけれど、あのアントネッラ様がそんな事になっていらしたなんて……」
エレナももちろん、アントネッラとは旧知の仲だった。というか――…。
彼女とマリアローザ、そしてアントネッラはみな同年代で、共に高位貴族の娘として、王子たちの婚約者候補に挙がっていた間柄である。
……しかしアントネッラは、王子妃には選ばれなかった。彼女の実家、プレスティア侯爵家が名ばかりの没落状態である事が、最も大きな理由ではあったが――
「けれどほら。アントネッラ様は、あの調子でしょう?……正直、現状についてはあまり深く考えていらっしゃらないご様子で……」
「ああ……昔から、とても大らかでいらっしゃいますものね。ご家族揃って。」
「ホホホ……」
物は言いようである。「大らか」と言えば聞こえはいいが……彼女の場合、ポケッとしているというか、非常にマイペースでちょっとズレている。今回の件だって、普通ならもっと抵抗するところをポカンとしていて、気付けばあんな状況にまで流されていたというのが目に浮かぶ。
同じ令嬢から見ても、何となく浮世離れしている――それが、アントネッラという人物だった。
――そんなわけで。王子妃には相応しくないと、候補からは早々に脱落する事になったのである。(そしてそれを、本人は何とも思っていない)
「確かに、お気の毒ではありますけれど。ご本人がお困りでないなら、そっとしておいて差し上げるのがよろしいのでは?相談をされたのなら、ともかく……」
そう言って、エレナはふと思い出した。
「相談と言えば。最近は、助けを求めていらっしゃる方がずいぶん減ったそうですわね?」
「ええ。鬱憤をネタとして買い取ってくれる所が出来ましたから。」
「マリア様が出資されている、新興の出版社でしょう?老いも若きも、ご婦人方が体験談を話しに殺到しているのだとか。」
「そのようですわ。おかげで、手紙の山に埋もれる事も無くなりました。」
そうなのだ。以前助けた令嬢たちの興した事業は、マリアローザにとって望外の喜びをもたらす事になっていた。
あんなに来ていた「話を聞いて欲しい」という手紙の数が、明らかに減ったのである。特に、深刻度の低い、よくある愚痴の類いの内容についてだ。
これまでは、目を通すだけでも一苦労な毎日……。それがここ最近、日に何通という量にまで減少しているではないか!これは想定外の収穫だった。
「せっかく、またのんびりと出来る余裕が生まれたのですもの。面倒事には、首を突っ込まれない方がいいのではないかしら。」
確かにそれはある。頼まれてもいない今回は、完全なるお節介でしかないのだ。
だから、見なかった事にすればいい。何もせず、日がな一日をダラダラごろごろと過ごすのが、念願だったではないか――。
「……わたくしの執事にも、似たような事を言われました。けれど、どうにも気になって……。このままでは、気持ちが悪いのです。それに。ご多忙な王太子殿下のご婚約者様の前では、のんびりと過ごしたいだなんて口に出来ませんわ。」
「ふふ。あらわたくし、プレッシャーを与えてしまったのかしら??」
わざとらしく、エレナは小首を傾げてみせる。――こういう強かさがアントネッラにあれば、きっと何かが違っていただろうに……。
ふと、マリアローザはそう思った。
「――…ふぅむ、なるほど。マリア様がこちらへいらしたのは、つまり……プレスティア侯爵家について、王宮はどんな処理をしたのか。それをお知りになりたかったからですわね?」
不意に、エレナは核心を突いて来る。
「さすが、お話が早くて助かりますわ。先ほどのご様子だと、エレナ様も今までご存知なかったようですわね?」
「ええ。恐らくは、シルヴィオ殿下も。貴族籍の扱いに関しては、国王陛下に裁量権がありますから。それは、マリア様もご存知のはず。」
「もちろんです。」
ポンポンと大量に押される国王の承認印の中には、貴族の結婚や離縁、死亡に関する書類といったものも数多くある。いつもの事なら、きっと機械的に処理され判が押されたに違いない。
だが、めでたい結婚ならまだしも、穏やかではない『離縁』に関しては、もう少し精査されても良かったのではないか?とマリアローザは思ったのだ。
「結婚にしろ離縁にしろ、陛下がいちいち教えてくださる事はありませんからね。わたくしも、その手の話は社交界の噂で知る事がほとんどでしたわ。――…けれど……」
「……“けれど”??」
今度は本当に分かっていない顔で、エレナは首を傾げる。
「知っているのなら……こちらから調べる事は、出来ますわよねえ?」
にーっこりと、マリアローザは微笑む。これには、さすがのエレナも引きつった。
「…………マリア様ったら……。わたくしに、探って来いと仰せなのね??」
そう言うと、彼女は席を立つ。
「マリア様。今日はこの後、お時間ございまして?」
「ええ。何せ、暇を持て余した傷物ですから。」
「でしたら、こちらでしばらくお待ちくださいな。今から資料を漁って来ます。ふふふ……。何だか潜入捜査みたいで、楽しくなって来ましたわ!」
呆れられたのかと思いきや……。エレナはるんるんとしながら、王宮の奥へと去って行ったのだった。
いつもの事ながら、現王太子の婚約者は乗りが良い。
――さて、その間。
元王太子の元婚約者は暫し、この場所で初めての、ぼんやりとした時間を過ごす事となったのである。
王宮にいた頃は、こんな時が来るだなんて思ってもみなかった。毎日が目まぐるしく過ぎていたからだ。
幼い頃は勉強・作法にまた勉強。成長すれば、公務に政務に王太子の尻拭いと、寝る間や食べる間も惜しむ始末。ゆっくりと出来る暇など皆無だった。
それが、どうだ?全てから解き放たれた今は、暇しかない。
人を待つ時間は永遠のように長く、ただただ無為に流れて行っている。
目の前のテーブルに置かれた菓子たちは、どれもこれもが一級品で、出されたお茶もこの上なく美味い。それを好きなだけ飲み食いしているだけ、だなんて――
ああ、何て贅沢なのだろう。
……なんて事をぼんやりと考えている内に時は過ぎ、向こうの方からエレナの姿が見えて来た。
戻って来た彼女は、何かを抱えている。どうやら紙の束のようだ。
そしてテーブルに着く直前、それをバラバラと床に落とした。
「ああっ!いっけな~い。」
物凄く、わざとらしいセリフ回し。それと同時に、マリアローザの足元にも数枚が飛んで来る。
仕方なく席から立つと、彼女はその紙を拾った。
その途中、マリアローザは一瞬ピクリと手を止める。それから何事も無かったかのようにして、笑顔でエレナへと渡した。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう!わたくしったら、ドジね。ところで――…今、何か見まして?」
間近でマリアローザの目をじっと見ながら、エレナが尋ねて来る。
「……いいえ?」
「そう。それなら良かった。わたくし間違えて、極秘の資料を持って来てしまったみたいだから。本当に、うっかりさん。」
そう言って、己の頭をコツンと軽く叩く。実にわざとらしく、彼女らしくない言動である。
――…今の資料にあったのは、アントネッラの離縁と侯爵家からの離籍について。その日付と理由が記されていた。そして――…
前プレスティア侯爵夫妻の事故について、密かに再調査が行われていた事が、書かれていたのだった。




