41.傷物令嬢の個人レッスン
『困りましたわね……』
市井で人気の、洒落たカフェのテーブル席。そこに座るマリアローザは、目の前にいるダミアーノという怪物を前に、文字通り頭を抱えている。はしたなくも、テーブルの上に両肘を突きながら……。
ただしここは、平民が多く訪れる場所。図らずも、それはむしろこの風景に溶け込む仕草となっていた。
それはともかくとして。
この怪物に会いに来たのは、単なる興味本位によるものだったわけではない。彼に直接確かめ、その反応を見たかったからである。
最初に「忠告」と言ったが、あれは正確には「最後通告」だ。自分の過ちに気付きなさい、という……。そうすれば、引き返す道はまだ残されている。
とは言え。水はすでに、盆からこぼれ落ちた後なのだ。
残されているのは、穏便な道。己の行いを顧みて反省するのであれば、和解に手を貸してもいい――。
そう、伝えたかった。
『……なのに……。そもそも話が一つも通じないだなんて、一体どうしたらいいというの!?』
自分は一体、何と話しているのだろうか。
同じ大陸にある近隣の国々は、この国とほぼ変わらない言葉を使う。言語が異なるのは、別大陸だ。しかしこれまでには、それらの国の人々とも、難なくコミュニケーションを取って来た。
なのに!あれは!一体、何なのだ⁇――同じ国の“人間”ではなかったのかっ!?
じゃあ何だ、異世界人か?未確認生物か??あぁいや違った、モンスターだった‼
『――フウー……。落ち着いて。落ち着くのよ、マリアローザ。』
彼女は自分に言い聞かせると、何度か深呼吸をしてみた。
熱くなっては駄目だ。ヤツの思う壺である。(いや、たぶん何も考えてはいない)
そうして少し高ぶった気が静まると、マリアローザはゆっくりと口を開いた。
「……ねえ、ダミアーノ様。よく聞いてくださいまし。貴方は公爵家のご子息様、なのですよね?」
一言一言確かめるようにして、慎重に彼へと尋ねる。
ダミアーノはけろりと返した。
「何を当たり前の事を!それを知って近付いて来たのではないのか⁇」
やはり、公爵令息という自覚はあるらしい。
「ええ、そうです。ではダミアーノ様は、貴族の義務について、どうお考えでいらっしゃるのかしら。」
「貴族の義務ゥ?妙な事を言うんだな、君は!」
「……妙な事、とは?」
わずかに眉間に皺を寄せ、マリアローザは聞き返した。
「義務とは、平民が領主に対して税を払う事を言う!なのになぜ、貴族に義務があると言うんだ⁇あっそうか、領地を持たない貴族もいるからな……。だが、僕は違うぞ!何せ、頂点である公爵家の人間なのだからな!!」
…………あらららららら……。頭が痛い、と彼女は思った。
これは、想像以上に『アレなお方』であった……。
「……。ええと……、ダミアーノ様。もう少しよろしくて??」
「ああ、もちろんだとも。僕は心が広いのでね‼」
「……。では、なぜ平民は領主に税を払わねばならないのでしょう?」
「平民だから、だろう。」
「…………。」
――…そうか、これは“神”がお与えになった精神修行なのだ。そうとしか考えられない。そうでなければ、受け入れられない!
自分に、信仰する神などいないが……。
「ええと、ね。それでは質問を変えましょう。どうして領主は、税を集めているとお思いなのですか?集めた税は、どこへ行くのでしょう??」
「君は貴族らしいのに、そんな事も分からないのか⁇いいかい、貴族というのは、その存在自体が尊いものなのだよ‼下民が尊い存在に敬意を表す事は、至極当然の事ではないか!」
マリアローザの頭の中に、突如として格闘技のリングが現れた。コーナーの一角には、自分自身が。その対角には、ダミアーノがいる。――ゴングが鳴った。
開始早々、彼女の右ストレートが彼の顔面中央にめり込む‼
「集めた税の使い道は?とも聞いていたか。……やれやれ。君という女性は、それすらも知らないのだな。いいだろう。教えてやる。」
よろりとわずかに足元をふらつかせる、脳内ダミアーノ。しかし、スイッチの入ったマリアローザは止まらない。一、二、三、四、五、六、七、八……容赦ない連打が撃ち込まれた。
「尊い我々は、全てにおいて上質でなければならない!食べる物も着る物も、身に着ける装飾品一つとってもそうだ。もちろん、外からは見えない屋敷の中の物についてもね!そういうところにどれだけ拘れるかが、尊さの質に係わって来る。だから疎かには出来ない。そのためにあるのが、税だよ。素晴らしい身なりをした領主を見て、彼らは自信と誇りを得るんだ!!」
右、左、右、左、ボディ‼そして顎下から勢いよく上に向かって突き上げるアッパーカーーット!決まったァ――!!
顔面ボコボコの脳内ダミアーノは、倒れてぴくりとも動かない。
カンカンカンカン……。マリアローザは、勝利の鐘と共に高く拳を突き上げた。
――よし。どうにか、頭の中だけでこの感情を処理する事には、成功したようだ。よくやった、自分。偉い‼
現実の彼女は、無の表情をしていた。
……凄い。凄過ぎる。聞いた事の無い、とんでも理論が飛び出した。
天下の公爵家の子息ともあろう者が、一体どんな教育を施したらこう仕上がるのだろう。後学のため、是非ともご教授願いたいところである。
差し当たっては彼らを呼び出し、小一時間、問い質したい衝動に襲われた。
マリアローザは、「フウ」と一つ溜息を吐く。それから口を開いた。
「――…ダミアーノ様。よろしいですか。わたくしたち貴族というのは、国が……民が困窮しなよう、動かなければなりません。なぜならば、人々の苦しみを放置すれば国が不安定になるからです。そうなれば上流階級といえど、安穏と暮らしてはいられません。それは困るでしょう?――そのための資金が税であり、それを為すために与えられているのが権力です。」
さあ、くどくどとしたお説教の始まりである。
何故自分は格上で年上の令息に対し、こんな初歩的な事を説いているのか……。解せないが、それは「最終確認」のためにはどうしても欠かせない、前提となる知識だった。
「確かに、交渉相手と渡り合うため、時には見栄を張る必要もあるでしょう。足元を見られないようにね。けれどもそれは決して、民に贅沢を見せ付けるためでは無いのですよ!」
目の前に座るダミアーノは難しい顔をして、珍しくただその話を聞いている。なんだ、そんな事も出来たのだなと思いながら、マリアローザは本題へと入った。
「……わたくしたちは、確かに贅沢な暮らしをしています。その代わり、差し出しているのが“自由”。そう、例えば、政略結婚をする事がそれに当たりますわね。そこに個人の意思は必要とされていません。それを対価に、富と権力を維持する事が許されているのです。これが、“貴族の義務”ですわ。――それで……」
彼女は、正面にいる人物を真っ直ぐに見据えた。
「その事について、ダミアーノ様はどうお考えで?」
瞬きもせず、マリアローザは正視する。
賑やかな店内には多くの人がいて、周りはガヤガヤと騒がしいはずなのに……。時計の針が立てるカチカチという音が、この耳に聞こえているような気がしていた。
そんな、長いようで短い時間が過ぎ――。
神妙な(?)面持ちで黙って彼女の話を聞いていたダミアーノが、ついにその口を開く時が来た。
「――…君の話は長いな!しかも小難しくて、何を言っているのか分からない‼」
「……はあ―――〰〰、疲れたわ……」
屋敷に戻って来たマリアローザは、人目が無いのをいい事に、だらしなくソファへと倒れ込んだ。そして、半分溶けている。
今日は本当に疲れた。精神をごっそりと削り取られたような感覚である。
――彼に語った事は、何一つとして響かなかった。話は結局どこまで行っても交わらず、平行線を辿って終わったのだった。
「お疲れ様で~~す。……だーから言ったじゃないですかあ、会いになんて行かない方がいいって。」
執事のリノに諫められた。疲労困憊のせいで、マリアローザは少々ムッとする。
「そうね、それは確かに正しかったけれど、直接会った事で分かった事もありましたのよ。」
「例えば?」
「そうね。例えば、一つ困った事が分かったわ。」
「困った事??」
彼女はガバッと起き上がった。そして、据わった目で続ける。
「……足りない。あの方には、邪悪さが足りないのよ!!」
えっ?と、執事は固まる。……「邪悪さが足りない」、とは如何に……??
「……えっ、と……。それ、足りなくていいやつじゃないですか⁇」
すると、マリアローザはカッと目を見開く。
「何を言うの⁉これは大問題でしょう!!邪悪さが足りないと、思い切り地獄を味わわせる事が出来なくってよ!」
「滅茶苦茶に怖い事おっしゃいますね!?」
「お黙り!!」
そんなところへ、侍女のジーナがやって来た。
「マリアお嬢様。疲れを軽減させる効果のある、ハーブティーをお持ちいたしました。どうぞお召し上がりください。」
「あら、気が利くわね。ありがとう。――そうだわ、コーヒーの豆を買って来たのよ。明日ジョゼフィーヌ様たちがいらしたら、お出しして差し上げて。ルチアナ嬢のお気に入りだそうなの。」
「まあ、コーヒー豆とは珍しいですわね。かしこまりました。」
コーヒー豆を受け取ったジーナは、一度この部屋を下がって行った。
一方のマリアローザは、お茶で一服している。そして、気を静めた。
「――…さっきの話の続きだけれど……。これは、非常に困った事態ですわ。」
実際に会ってみた『ダミアーノ』という人物は、確かにこれ以上ないくらいに厄介な存在であった。
話は通じないし、とんでもない世界観で生きていて、貴族としての更生の余地は無いと見た。が、しかし――…。
「……何というか、とても純粋な方ではあったのよね。真っ直ぐに、とんでもなく明後日な思考回路をお持ちでいらっしゃる……。おかげでわたくし、何度あの顔をぶん殴ってやろうと思ったか知れませんわ。」
「…ぶん殴⁉…マリアローザ様、お言葉が……」
突然、とても貴族令嬢の口から出て来たとは思えない言葉が飛び出して来て、リノは震撼する。しかし、当の本人はそれを無視して話を進めた。
「ただし、その分邪悪さには欠ける。他者を貶め害を為そうという悪意は、感じられなかったのよ。ジョゼフィーヌ様に対する態度も、ルチアナ嬢に対するアプローチも、全てあの方が心のままに行動しただけの事のようでしたわ。」
……そう。だからこそ、どう始末するべきかと悩んでしまう。
例えば以前あった聖女騒動。あれは国民や王族を騙し、自分だけがいい思いをしようという悪意に満ちていた。そのため、心置きなく成敗する事が出来たのだ。
だが、ダミアーノはそこまで悪質ではない。ただ――
「……エエ――…はた迷惑な……。」
「そう!そこなのよ‼」
マリアローザはリノの口元目掛け、指を差した。
――あの男には確かに悪意は無いが、確かに周りへ迷惑を掛け、間違いなく多くの人を悩ませているのだ。
「やっぱり、貴族籍からは抜いて、平民として生きて頂くのがいいのかしら……」
「あはっ。でもそういう方ってー、どこに行っても同じ事してそうですよね~。」
「……そうなのよね……。」
貴族社会から放逐しても、今度は市井で問題行動を起こしそうである。
かと言って、処刑……なんてのはやり過ぎで、国から追放しても同じ事が懸念される。
アレは一体どうしたらいいものか。処遇にも困らされる。
いっそ、極悪非道な人間であれば楽だったのに――…。
「ああ……。どこかに、モンスターを封印する聖域でもないかしら……」
マリアローザは、再びごろりとだらしなくソファに寝転んだ。それからハッとして、再びガバッと起き上がる。
「……ある……。あるじゃないの、聖域が……!!」
彼女は閃いた。そして、一旦下がったジーナを呼び付ける。
「――今度、この屋敷で大々的にパーティーを開きます。そういえば、ここに越して来てからは、まだ一度も正式に人をお招きしていなかったわね……ちょうどいいから、このお屋敷の披露パーティーという事にしましょう。」
主人からの指示を、侍女長は一つ一つしっかりと聞いている。
「大々的にだから、準備や当日の人手に困るかもしれないわね。足りないなら増やすから、言って頂戴。」
するとジーナは、首を横に振った。
「いいえ。マリアお嬢様の選ばれた使用人は、みな優秀ですから。今のままで、完璧に遂行してご覧に入れましょう。」
「さすがね。頼もしいわ。それでは頼むわね。あぁそれと、彼女たちの事業の進捗状況は、どうなっていて?」
「はい、滞りなく進んでいらっしゃるようですわ。近々見本が出来上がるとか。」
「素晴らしい!では、パーティーの支度もすぐに始めて頂戴。」
「かしこまりました。」
軽くお辞儀をすると、彼女は早くも仕事に取り掛かる。
さて。またもや忙しくなりそうだ。
最後の仕上げに向けて、マリアローザは綿密な計画を練り始めた。




