14.道草にはご用心
『……このわたくしに、“お願い”……??』
マリアローザは目の前のソファに腰掛ける隣国の伯爵、フィオレンツォを警戒の眼差しで見据えた。
――彼の母国・テラキアーロ王国の社交界との仲介役を頼んだところ、代わりに自分の頼みも聞いて欲しいと言う……。
見返りを渡す事については、何ら異存は無い。だが、少々高額な金品であった方がよほど納得出来る話だ。
何せマリアローザは傷物で隠居の身。しかも、年若い元令嬢である。
そんな相手に、一体何を望むと言うのだろうか?きっとろくな事ではない。
……例えば……
“元王太子の婚約者”という立場に目を付け、情報を引き出したり、この国へ影響を及ぼそうとでも考えている、とか――…
「はは。嫌だな、そんな顔をなさらないでくださいよ。」
軽く口元を隠すようにして、フィオレンツォが笑った。
不味い、心の内を読まれた。そこまであからさまに訝しそうな顔をしてしまっていたのだろうか。
マリアローザは一旦仕切り直しをするため、小さく咳払いをした。
「失礼。ただ――…、こんなわたくしが、伯爵様のお役に立てる事などあるのかしらと考えてしまいましたの。」
そう言って、彼女は彼を見る。探るような視線で……。
しかし向こうは全く動じる様子が無く、余裕の笑みを浮かべたままだ。
「そう警戒する必要はありません。大した頼みではありませんから。」
「まあ。そんな事で、見返りの条件になりますの?」
「私がそう思うのであれば、なるのでは?」
……やはり、なかなか掴みどころのない人物である。
「本当に、そんな大層な話ではないのですよ。少なくとも貴女が心配していらっしゃるような事では、ね。ああ、勿体ぶるので不信感を抱かせてしまいましたか。ならばさっさとお伝えしましょう。」
今さっきまで駆け引きのような応酬をしていたのに、フィオレンツォは急にペラペラと喋り出した。こちらがあまりにも警戒心を示すものだから、面白がって揶揄っていただけなのだろうか。
それはさておき、彼はあっさりと話を進める。
「人を、捜していましてね。」
「人??」
“人捜し”……。なぜそんな事を自分に頼むのだろうか?とマリアローザは首を傾げた。
「情報を欲しておられるのなら、こちらのオーナーを頼られた方が話が早いですわよ。わたくしもよくそうしますもの。申し訳ないのですけれど、お力にはなれそうにありませんわ。」
その“人”というのが何者かは明かされていないが……彼女がいくらこのアルベロヴェッタ王国の社交界において顔が利くと言っても、限りはある。情報屋を頼った方がよほど有益な事は、火を見るよりも明らかだ。
「うーん……。情報が欲しい、というわけではないんですよねえ…。」
フィオレンツォは、困ったような苦笑いを浮かべる。
「?それでは、もしかしてわたくしと同じように、どなたかを紹介して欲しいという事でしょうか?」
「いいえ。そういう事でもありません。」
「??では、一体何がお望みですの⁇」
すると彼はさっきまでとは打って変わり、真面目な顔付きになった。
「――私がこちらで人を捜す時の助力を、お願いしたい。」
マリアローザは目をぱちぱちと瞬かせる。
「……人を捜す時の、助力……?わたくしにはもう、大した権限などありませんけれど。」
「特別行使して頂く必要など無いのです。ただ、私がこの国で人捜しをする事を、黙認してくださればそれで結構。」
やはりきな臭い。彼女はわずかに顔をしかめた。
「おかしな事などは考えていませんよ。心配する事は無いと、言ったでしょう?こちらの国には、あまり関係の無い事ですから。私が無害であるという事を、貴女に保証して頂きたいだけなんです。」
「申し訳ありませんが、そこまでの信頼が貴方様にはございません。」
溜息と共にピシャリと言い放つ。残念だがこの交渉は決裂だ。マリアローザはそう判断したのだ。
……オーナーにはまた、新たな相手を紹介して貰わなければ……。そう思いながら席を立ちかけると、フィオレンツォが引き留めるように声を掛ける。
「ですから、信頼を得るために、貴女の望みを先に叶えて差し上げますよ。完璧にね。」
彼の目は本気だ。決裂と思われた交渉は、どうやら先方の方が成立させたがっているらしい。
しかし――…。
厄介な事に巻き込まれる匂いが、プンプンに漂っているではないか。
「…………わたくしの事をご存知であれば、当然ご承知だと思うのですが……。我が国の国王陛下の不興を買うような事には、極力関わりたくありませんの。」
そうなのだ。これ以上面倒な事に首を突っ込めば、悠々自適な生活が破壊されてしまう。それは己にとっての本意ではない。マリアローザの方こそ、自国の王に『無害である』と信用して貰わなければならない立場である。危険の芽は摘むより回避。人の世話など焼いている場合ではないのだ。
オーナーの紹介だからと油断していたが、こんな怪しい人物が来るとは予想もしていなかった。
「もちろん存じていますよ。だからこそ貴女に、こうしてお願いしているのです。そんな貴女のお墨付きがあれば、私の安全性は保証されますからね。」
「…ですから、そこまでの信頼が無いと申し上げましたわ。」
「ですから先に貴女の望みを叶えて証明すると言っているんです。」
堂々巡りである。どちらが先に折れるかの、根競べになりそうだ。マリアローザは深い溜息を吐き、眉間に深く皺を刻んだ。
……他人に対し、ここまで感情を露わにしてしまうとは……。一線を退いた事で、少々勘が鈍ってしまったのだろうか?情けない。冷静にならなければ。
「――ならば、貴方がお持ちの情報をもっと開示して頂きたいわ。お捜しになっている相手とは一体、どんな方なのか……。それも知らずに、伯爵様の安全性を担保する事など出来ませんもの。」
「あぁ、それは確かに。う~ん、困ったなあ…」
もはやどこまでが本心なのか分からないが、彼は弱ったような顔をしてみせる。だが、それが簡単に開示出来ないような相手であれば、やはり不審でしかない。さてどうする?
するとフィオレンツォは、ニコッと笑った。
「どういう方か、はお答え出来ません。」
「はい⁇」
一瞬呆気に取られた後、マリアローザは沸々と怒りが湧いて来た。……さっきの話、聞いていなかったのか諦めたのか、どちらなのだ⁉と――。
「罪人か貴人かも、お答えする事は出来ません。――…が、身体的な特徴であればお教えいたしましょう。」
この状況で悠然と微笑んでいられる事が、余計に腹が立つ。
「……それは、情報の開示と言えるのかしら⁇」
「こちらとしては、かなりの譲歩ですよ?」
ムムムム、とマリアローザは歯噛みする。今までこれほど翻弄してくれた人間は、そうはいない。
伯爵だからと、相手を少々侮り過ぎていた。とんだ食わせ物ではないか。どうしてこういうものを引き当ててしまったのか――…
だがしかし。
『……こういう方と上手く付き合って行けたなら、後々役に立つ事があるかもしれないわね……』
このまま交渉を断ち切ってしまうのも、逃げたようで悔しい。ならば、利用してやるくらいのつもりでいればいい。食うか食われるか、だ。
そういう勝負も嫌いではない。
「分かりました。その条件で参りましょう。」
「それは良かった。」
交渉成立である。フィオレンツォは満足そうに、にこりと微笑んだ。
「では早速。私の捜している人物についてですが、若い男性です。そうですね…」
そこまで言うと、彼はマリアローザの後ろに目をやった。
「…そちらは、従者の方ですか?」
マリアローザは一瞬「え?」という顔をする。フィオレンツォの視線の先には……ああ、黙して控えるリノがいた。
「彼は、これでも一応執事ですのよ。まだ至らない点も多く……何かお気に障るようでしたら、退出させますけれど。」
「いえ、そういうわけではありません。その人物というのが、ちょうど彼と同じくらいの年格好なのですよ。」
「あら、そうでしたのね。」
……リノと同じくらいの年齢の男――…。つまり、20代前半の男性という事か。
偏見なのは重々承知しているが……血気盛んで、何かと問題を起こしやすい手合いではないか、と彼女は思った。相手は罪人である可能性が濃厚か?
「――ただ、彼とは違い、金髪に碧眼でして。」
「まあ……それは目立ちそうな外見ですわね。ふむ……」
そう返しながら、マリアローザは後ろにいるリノをじっと見る。茶髪に紫色の瞳の執事は、少し慌てたような顔をした。
「ちょ…何ですか⁇」
「イメージを膨らまそうと思ったのだけれど……少し難しそうね。」
彼女は前を向き直した。フィオレンツォが再び口を開く。
「まあ、そうですね。目立ちそうではありますが、それだけにその辺りをフラフラと歩いてはいないだろうと思うんです。」
「でしょうね。けれど……金髪に碧眼は、決して珍しくもありませんわよね?そういった方は、たまに見かけましてよ。捜すお手伝いも出来るかもしれません。他には何か、特徴は?」
「う~ん……大きなものが一つ、あるにはあるのですが……」
彼は、今度は本当に困ったような顔をした。
「……体に、印が入っているのですよ。」
「印……?」
「ええ。」
“印”とは、捕らえられた罪人が付けられる目印のようなもの、だろうか⁇
「その印というのは、どこにありますの?」
「それが――…」
かなり困ったような渋い顔をして、フィオレンツォは言い淀んだ。
「…ちょっと、他人様にはあまり言えないような所に……ですね。」
そう言って彼は、苦笑いをする。……うん、大体察した。力にはなれそうに無い。
「分かりましたわ。もう結構。それでは次は、こちらからの依頼をお話しします。伯爵様に繋いで頂きたいのは―――、―――、―――」
一度だけ、少し頭痛のする額を押さえたマリアローザは、気を取り直して本題に入ったのだった。
「――ハアッ。疲れた……」
屋敷へ帰る馬車の中、マリアローザは思い切り溜息を吐いた。
……元々、今日はここまで話が進むとは思っていなかった。それ自体は嬉しい誤算なのだが――…
『まさか、ああいう方が出て来るとは思わなかったわ。』
だが、最近少し気が緩み過ぎていた事は否めない。それを教えられたと思えば、有難い話ではないか。
何しろ、これから一つ大きな仕事が待っているのだ。
今日は少々道草を食う事になった上にお土産まで貰ってしまったが、本道へ戻らなければ。
材料は、段々と揃って来た。
「そろそろ――アリーチェ様のご実家、マルカート伯爵家へ喧嘩を売りに伺う頃合いね……」
すっかり日も暮れた外を窓から眺め、マリアローザはふっと笑った。




