12.嘘から始まる不幸
“伯爵令嬢アリーチェは、前伯爵夫人である実母を殺されたのではないか”――。
そう考えると、彼女に降り掛かった不幸の辻褄が合う。
「…………うーわー…。て事は十中八九、やったのは例の継母ですよねー……。」
「でしょうね。」
「そうまでして伯爵夫人になりたいんですかねえ?ちょっと理解に苦しむなぁ…」
心底軽蔑したような顔をして、リノは最後、吐き捨てるように呟いた。
「なりたかったのでしょうね。――ところで貴方。今回はやけにあっさりと、答えに辿り着いたではないの。“ご令嬢がそこまで恨まれていたなんてー!”…とでも言い出すのではないかと思ったのだけれど?」
「…ぇえっ??」
マリアローザが横目で見ながら尋ねると、彼は一瞬目を泳がせる。それから何事も無かったかのようにして笑った。
「そんなのー、もしそうならごく自然な答えじゃないですかあ!前夫人が亡くなって一番得をしたのは、その継母なんですから~。子供にだって分かりますよー?」
「……まあ、そうね。」
彼は、気付いているのだろうか?「その答え」は、「アリーチェの不幸」とは直接関係が無い事を――…。
つまりである。
これはアリーチェを不幸にしようと企んだ事ではなく、大人の汚い欲望に巻き込まれ、結果的に彼女が被害を受ける形になったという話だ。
……そこまでを考えた上で出した答えなのか、単に「前伯爵夫人を殺したのは誰か?」で出した答えなのか――。そこには大きな違いがあるという事に、リノは気が付いているのだろうか。
「マリアローザ様ー。じゃあ、これから告発でもなさるんです??」
しかし。とりあえず今、その事は置いておこう。
「それは向こうの出方次第ね。そもそも、現夫人の仕業だというのもわたくしたちの推測に過ぎないのだから。伯爵様がどこまで関与していたのかも分からないし。まずは確信を得てからのお話よ。」
「あ~、ですね!」
「……というわけでリノ。」
マリアローザはにっこりと微笑んだ。その笑顔に、彼の嫌な予感が働く……。
「貴方には、明日から現伯爵夫人の事を調べて貰います。」
「ええっ…」
「費用については問わないわ。あらゆる手を使って、彼女の事を徹底的に調べ上げて頂戴。いいわね?」
「えええーーーーッ!?」
リノは悲鳴を上げた。……何という、大雑把で無茶な要求。
「ちょ、ちょ、ちょ、待ってくださいよ‼私はー…あっ!ジーナさんから、マリアローザ様のお世話を申し付かっているんですよ⁇なのにお側を離れるだなんて、そんな…」
「まあ白々しい。貴方のする世話なんて、高が知れているでしょう。その程度、わたくし自ら出来ましてよ。それに。ジーナの命令より、わたくしの命の方が遥かに上であると理解しているはずよね??」
「…くっ……」
彼女に口先で勝てるわけもなく。完敗のリノは、受け入れざるを得なかった。
「……でも、告発しないかもしれないなら、調べても意味ありますぅ⁇」
「大ありよ。伯爵家が、アリーチェ様をそう簡単に諦めるとは思えない。その時に使えるカードは、多ければ多いほどいいのだもの。ふふふ……」
そう言ってマリアローザの浮かべる笑みは、黒い。……それはおよそ、“人を助けよう”としている者の顔とは言い難った……。どちらかと言えば、悪役のするそれである。
怖い。これは逆らってはいけないアレだ、とリノは悟った。
――事実、マリアローザは正義を為そうとしているわけではない。
ただ単に、苦しめられている友人が救われれば、それでいいと考えている。そのためには……母親が殺されたという真相さえ、わざわざ伝える必要は無いとも思っていた。
知れば、深い怒りと悲しみ、復讐心でのみ生きる事になってしまうかもしれないから――…。それは決して、アリーチェの『幸せ』ではない。彼女の人生にとって、そんなものは必ずしも必要ではないのだ。
アリーチェが望まない限り、真実を知る事が全てとは限らない――
「――…本当に、私一人で調べて来いと……?」
翌朝、屋敷の玄関先。出掛ける支度を整えたリノが、往生際悪く未だに粘っている。追い立てるた…もとい、見送りのために出て来たマリアローザは両腕を組み、仁王立ちで上から目線で見下ろす。
「ええ、そうよ!わたくしがあちこち出掛けたら、目立って仕様が無いではないの。貴方はわたくしの手足。やれと言われたら、黙っておやり。」
「うぅ……。でもマリアローザ様がいらした方が、色々と融通が利くのでは⁇一緒に来てくださいよォ!」
「嫌よ。わたくし今日は一日、ダラダラと寝転がるので忙しいのだから!」
「…このっ、横暴主ィ――!!」
リノは、泣きながら出掛けて行った。やれやれ、やっとか。
自分の手足が無事に仕事へ向かったのを見届けると、マリアローザはこの足でリビングへと向かう。そして宣言した通りに、ソファの上でひっくり返った。
『――…さて……』
すぐに動けるよう、今の内にこうして一人静かに考えをまとめておかなければ。
……アリーチェをマルカート伯爵家から解放する方法――…
まずは、伯爵家の弱みを徹底的に掴む事。……これは一先ず、リノに任せている。何だかんだと文句を言いつつも、恐らくやってくれるに違いない。色々と屁理屈を並べ立てながらも、彼は一度も「出来ない、無理だ」とは言わなかった。
それから――
一番重要な、アリーチェの今後の事。
昨夜言い付けた通り、彼女は今朝から淑女レッスンに励んでいる。リノを送り出す直前、教育係にしたジーナから基本のウォーキングをおさらいさせられている姿を見た。指導されるような事も無く、それは見事なものだった。
『……ふむ。やはりここは一つ、“宝石商”のところへでも行くとするかしらね。』
“宝石商”――。それは、マリアローザが以前から贔屓にしている城下の店だ。そこにはこれまでも色々と世話になって来た。それで今回もその力を借りようと、思い立ったのである。
行くには外へ出なければならないから、とりあえずは執事の帰還を待つとしよう。
――…そんな件の執事、リノだが――
それから丸三日間。彼がこの屋敷へ戻って来る事は、無かった。
「……あのう、マリアローザ様…?」
リノが屋敷を空けて四日目の朝食時、アリーチェが恐る恐る尋ねて来た。
「何かしら?」
「その、……ここ数日、執事の方の姿が見えないようなのですが……。」
その顔には、もしかしたら聞いてはいけない事かもしれない、と書いてある。
屋敷は広い。家主の執事程度、客人が数日顔を合わせなくともそう不思議な事ではないはずだが。……彼が泣きながら出掛けて行く様でも、見られてしまったのだろうか?とマリアローザは思った。
「ああ。それならば、少しばかりお使いに出していますのよ。お気になさらないで。」
「そうなのですか……」
にこりと笑って返すと、アリーチェは少しホッとしたような表情を浮かべた。
そんなところへ、一時的に彼女の教育係を任せているジーナが口を挟む。
「僭越ながら、今朝で四日目……。連絡も無く、お使いにしてはいささか遅うございませんか?」
「あら、貴女も心配しているの?少々込み入ったお使いだもの。きっと手間取っているのでしょう。この程度なら、問題無いわ。」
「ですが、マリアお嬢様のお世話が疎かになっては…」
「それも大丈夫だから。わたくしの事より、アリーチェ様の事をお願いね。」
「かしこまりました。」
リノへの命じた件については彼女も聞かされているのだが……さすがに長い、とご立腹のようだ。アリーチェの世話を命じられたために、本来の主人の世話が出来ない……。その事に、相当焦燥を感じているのだろう。そんな必要など無いのに。
朝食を済ませると、マリアローザはいつものようにリビングヘ行く。そしてソファへ座り、ローテーブルに置いてあった新聞へ手を伸ばす。
『ふむ……』
開いて中を確認しているところへ、スッとお茶が差し出された。
「ありがとう。」
それを持って来た侍女は、軽く頭を下げる。
ほら、こうしてジーナとリノ以外にも、世話を焼いてくれる使用人ならば他にもいるのだ。二人は、与えられた仕事に精を出せばいい――
「!!」
マリアローザはある記事に注目した。
「……やっぱり。そろそろだと思ったわ……」
――“マルカート伯爵家の長女、アリーチェ嬢失踪”
“誘拐か?身代金の要求は、今のところ無し”
“伯爵夫妻、涙の訴え「アリーチェの無事を信じている」”――
「あらまあ。これに、一体おいくら払われたのかしら?」
失踪はいいとして、誘拐ではない事は、彼らが一番よく分かっているだろうに。
これまでの事を棚に上げ、世間の同情を誘って「涙の訴え」とは……片腹痛い。それとも、嫁がせようとした相手の怒りでも買った事に対する「涙の訴え」??
マリアローザは、意地の悪い笑みを浮かべる。
どうせ、こうして大々的に記事を書かせ、アリーチェが出て来ざるを得ない状況を作り出そうという算段なのだろう。浅はかな。
『――今すぐ保護していると名乗り出てもいいのだけれど……。先方に対する攻撃材料が、まだ揃っていない。喧嘩を売るなら、それ相応の準備をしなくてはね。』
こうなったら、そのためにも早く帰って来い――そう思っていた矢先。
長いお使いへ行っていたリノが、この日の午後になってひょっこりと屋敷へ戻って来た。
相変わらずソファでだらしなく寛ぐマリアローザの前に、満面の笑みで。
「たっだ今戻りましたーあ!!」
「遅い!」
労いの代わりに出て来たその言葉に、上機嫌だった彼も反射的に「ヒドイ‼」と返す。
「仕方ないじゃないですかー。現夫人の実家の領地まで行って来たんですから!」
「あら、それでこんなに長く掛かったのね。それはご苦労様。――で、首尾は?」
一転して、リノは意味ありげな顔をして笑う。
「フフフフ……それはもう、面白い話が…。ところでマリアローザ様は、現伯爵夫人の事はどこまでご存知なんです⁇」
「わたくし?……そうねえ――」
マルカート伯爵家に後妻として入った、アリーチェの継母。彼女は、とある田舎の男爵家の四女である。上には二人男の兄弟もいるそうで、正確には六番目の子。正直言って、貴族の序列では下の下の存在だ。
「せめて長女であれば良い嫁ぎ先を用意されたのでしょうけれど、四女ともなればそうもいかない。――そこで、人を蹴落としてでも伯爵家へ潜り込もうと考えた、というところではないかしら。」
「さっすが、いいところにお気付きでっ‼」
「……。」
軽さに磨きがかかったような気がするが、今は不問としよう、とマリアローザは思った。
「今の夫妻が出会ったのは、伯爵様が前夫人とご婚約中の事だったそうですよ~。王都での夜会だったとか……。」
「……どこかで聞いたようなお話ね。まあ、いいわ。続けて頂戴。」
「結果的にー、伯爵様は前夫人と結婚するじゃないですか。でも現夫人とも続いていて、その内アリーチェ嬢の方が先に生まれる、と。」
「ふむ……」
アリーチェの実母は、伯爵家の出身だった。あれが政略結婚であった以上、現実問題として男爵家などでは太刀打ち出来なかったはず……。
虎視眈々と伯爵夫人の座を狙っていた現夫人は、一連の流れに心中穏やかではなかっただろう。
「でー、その数か月後に、現夫人も子を産むんですよね~。」
「アリーチェ様の異母妹の事ね。その辺りの事情は知っていてよ。他に何か、新しい情報は無いの⁇」
「ちょっと待ってくださいってば。アリーチェ嬢の数か月後って、すっごい執念だと思いません?」
それはまあ、確かに……。
「けれど、何もおかしな話ではないわ。殿方に愛人がいれば、そういう事も十分にあり得るでしょうね。」
「でも現夫人は、その頃ほとんど領地にいたんですよ?」
「伯爵様が通ったのでしょう。月に一度でも会っていれば、可能よ。」
「まあ、そぉですけどー……」
そう言うとリノはスススと近付いて来て、他に聞き耳を立てている者などいないのに、わざわざ声を潜めて報告をする。
「……実はここだけの話。現夫人はその頃、密かにとっかえひっかえ自分の部屋に男を連れ込んでいたそうですよー。屋敷の使用人から街の若いのから、それはもう色々と……」
それを聞いてハッとした。
「――‼それって…」
……もしかして……アリーチェの異母妹は、異母妹ではないかもしれない、という事では――??
「ただ、その証拠っていうのは掴めませんでしたけど……。実際どうなのかまでは、分からなかったんですよね~。」
「……その話は、どうやって知ったの?」
「屋敷を辞めた元使用人からでーす。探したんで。」
マリアローザはニヤリと笑う。
「よくやったわ。」
「えっ、まだ確証も無いのに⁇」
「ええ。言ったでしょう?必ずしも告発をするわけではないと。わたくしの目指す結果のためには、今の話だけでも十分よ。……後は、前夫人の死亡原因……。これも宝石商のところで相談ね…」
ブツブツと独り言を呟くと、彼女はソファから立ち上がる。
「出掛けますわよ、リノ。馬車を用意なさい!」
――ようやく、材料が手に入った。さてこれをどう料理するか……。
やらなければならない事も、山積みだ。
アリーチェ解放のため、マリアローザはついに自ら動き出した。




