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もみの蝶  作者: カノウラン
2:異教徒
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信念

「神がいるこの国は、裏通りまでも明るく、隣人を見殺しにはしない。赤の他人とも信頼関係が成り立つことの奇跡を、あなたがたは知らないでしょう。南にあって北にないもの……それは信じる心に他ならない。ゲルーンには神がいないんじゃない、いると信じる心がなかった、それだけのことです」


ルエが、音もなく椅子から立ち上がった。


「神など、ほんとうは存在しない──まるでそう言っているように聞こえるわ」


一歩踏み出し、ルエはカーナの水色の衣の胸元を両手でつかんだ。

否定も肯定もせずに、彼はルエの揺れる黒瞳を見つめた。


「医術とは、神がいない前提での人の業──そう考える師によって、私は医学舎へと迎えられました。神が成すことをただ信じて祈る師であったなら、私はここにはいません。ですから、信念をもって行動すれば、人の手で、いつもなにかが生じるのだ、と師が言うなら、私は神ではなくそのことばを信じます」


一本ずつ指をひらいていくルエを待って、カーナは足元にしゃがみ込んだ。

それでも、ルエの腰よりも高い位置に金色の頭がくる。

ルエの指先は、そっと、その髪をすくった。


「痛みはどうですか」


顔が上向いたとたん、短い髪は逃げていく。


「どう、って?」

「体重をかけて平気であれば、動かしてみて、足首にひどい痛みや違和感がないかを、確かめてみてください」


言われたルエは、右足を上げ、左足一本で立った。

カーナはルエの顔と右足を見比べる。


「それは、あなたのその手で確かめてみて」


ルエが促すと、腫れも引き、細さがもどった足首に、厚みのある白い手がかるく触れた。

右手につづいて、左手も。

関節の可動域ぎりぎりを時間をかけて見極めるようなカーナの手の動きを、ルエはもの言わず見つめている。

その光景を直視することはためらわれて、ローサはぱらぱらと机の医学書をめくった。

やがて、カーナはうなずいて、それまでのように包帯を巻くこともなく、そっとルエの右足を床に下ろす。


「ここまで回復すれば、舞うことも問題ないでしょう。足を使ったら、かならず二十分は小川で冷やすようにしてください」

「もう、治ったの?」


もう、と言ったことがローサは意外だった。


「ええ。もう、ここに来る必要はありません。今後は充分、怪我に気をつけて。……君も、木登りは今後、慎むように」


彼が窓から手を貸してくれなければ、どう考えてもルエ以上の重傷を負っていただろうローサは、ハイ、とうなだれて返すしかない。

そのため、このときのルエの表情がどんなものだったか、ローサには知る由もなかった。



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