希望
「こないだの件、仮説を立ててみました」
座面よりも高く上げたルエの右足から包帯を取りながら、カーナが低い声を落とす。
「こないだの件って?」
「最初にここに来たとき、どうして『鬼肌』を恐れる必要があるのかと言ったでしょう」
「略奪の歴史のせいだとおしえてくれたわ」
「北の民を忌み嫌う理由なら、それだけで充分ですが。たしかに、南の民はわれわれに触れられることを恐れているふしがある。鬼になど見えない──そのことばが真実なら、鬼にこじつけ、信徒がもっとも恐れる地獄行きまで突きつけて、接触を避けなければならない理由があるのでは、とおもったのです」
「理由って、どんな?」
カーナは、ルエの問いにすぐには答えず、手の中で包帯を折りたたんだ。
「ノルシア北部の村がいくつも滅んだ歴史から推察するに──南の民にとって致命的な、なんらかの病原体への、直接接触感染……」
首をひねったルエだけでなく、べつに興味もなかったローサでさえ、ビョウゲンタイって何ずら、と訊ねずにはいられなかった。
「顕微鏡により、疾病の原因となる微生物を特定することが可能になって、およそ百年。にもかかわらず『鬼肌』が古い時代から変わらない伝承で語られるのみなのは、研究する術がないだけでなく、そもそも必要性もないからでしょう。──でも、私はちがう」
カーナは、表情の薄い顔にはじめてそうと分かる微笑を浮かべ、包帯を握りしめる。
「もしも、『鬼肌』への恐れが感染病に起因すると立証できれば、わが同胞を、千年近い差別から開放することができるかもしれない。こんな希望はありません。あなたたちふたりに出会わなければ、きっと考えもしなかった。心より、礼を言います」
ローサはルエと顔を見合わせた。
「おらは、べつになんもしてねーだ」
「君の生まれ育ったキナキナ村は、ゲルーンにたびたび襲われながらも存続する唯一の村。それが、ノルシアでも知られた混血の村だというのは、仮説を導く最大のヒントになったと同時に、立証の鍵となるにちがいない」
ローサにはカーナが何を言っているのかさっぱり分からない。
ただ、『鬼肌』への差別がなくなれば『半鬼』や混血の村だって差別されることはなくなるはずだ、とはおもう。
「あなたが困難をいとわず医師をめざすのは、同族のひとびとを救いたいからなのね」
このときのルエの声は、いつもとどこかが違っていた。
考えようとしたローサの意識は、すぐにカーナの返事にすくい取られる。
「ええ。神のいないゲルーンでは、弱きもの、心やさしきものから死んでいく。彼らを救うことができなければ、北は永久に凍土のまま、希望が育つこともない。私が医学舎に迎えられたことは、ゲルーンが変わる、千年でただ一度きりの機会──このいのちも、人生も、すべてその一事に使うと決めています」
カーナは、窓の外に視線を向けた。
太陽に照らされた風景に、まぶしげに目を細める。




