第六十九話 魔導焔姫
「ーー獄炎斬撃!」
渋谷の街が、真紅に染まった。
ルヴィアの振り下ろした軍刀から放たれた焔が、業火の突風となって地上を覆い尽くす。
焔の舌が、砕けたコンクリートや自動車といった一切をチロチロと舐め尽くし、万物を燃やし尽くしていく。
「クク……! 灰も残るまい……!」
ニヤリと笑うルヴィア。
しかし、もうもうと立ち込めていた煙が晴れた時、そこには五体満足のローズとデイジーが立っていた。
「ふっ……アンタの焔も、大したことないね」
「なんだと……!?」
ルヴィアが、憎々しげな視線を向ける。
その視線の先にいたのは、リリィだった。
彼女が凍結魔法で氷の壁を作り、二人を守ったのだ。
一般的に魔力の消費量は、術式の難易度、規模、そして強度で決まる。
今回、リリィが行使した〈氷壁〉は、難易度で言えば非常に単純な術式だ。
しかし、今回の〈氷壁〉は、その規模と強度が段違いだった。
地上の全てを包み込むほど広範囲、かつリリィにできる最大強度で行使された〈氷壁〉は、ギリギリのところでルヴィアの攻撃を防ぐことに成功していた。
ローズやデイジーはもちろん、救命活動や消火活動に命を懸けている人々も無事だ。
しかし、ルヴィアの一撃で、地上を覆わんばかりに展開した〈氷壁〉は、既に跡形もなく消滅してしまっている。
それだけ、ルヴィアの獄炎斬撃の威力が高かったのだ。
「う……」
一瞬で魔力を大量に消費したリリィは、苦しげに胸を押さえた。
マラソンを走り切った時のような、途方もない負担が彼女にかかっているのである。
「貴様ァ! 叩き切ってくれるわ!」
ルヴィアは怒りのままに翼をバサリと動かすと、猛スピードでリリィに迫った。
そして、そのまま右手の軍刀を、力任せに振り抜く。
ーーガキィィン!
耳障りな金属音が鳴り響き、その軍刀による一撃は、黄色の手甲によってブロックされた。
デイジーだ。彼女が飛び上がって、ルヴィアとリリィの間に割り込んだのだ。
「……へっ! パワーの方も大したことねぇな!」
「ーーほざけ! 獄炎爆破!」
直後、ルヴィアの軍刀が炸裂した。
刀の中に、高密度の焔が詰まっていたのだろう。
その凝縮された爆発の直撃を受けてしまったデイジーは、白煙を上げながら吹き飛ばされ、近くのビルに頭から突っ込んだ。ガラスの割れる甲高い音が響く。
「ーーデイジー! この……っ!」
悲痛な声で叫んだリリィが、怒りのままにルヴィアに殴りかかる。
冷静な彼女にしては感情的で、そして無謀な一撃だった。
「ふん、たわけが! 獄炎打撃!」
先ほどとは違い、軍刀ではなく、燃え盛る拳による一撃。
普段のリリィなら喰らわなかっただろうが、平静を失っている今のリリィは、その直撃を受けた。
爆裂する火炎の拳を受けて殴り飛ばされたリリィは、別のビルに叩きつけられる。
「リリィ! デイジー!」
悲鳴をあげるローズは、慌てて飛び上がって、二人の元へ向かおうとする。
しかし、それはルヴィアを前にして、あまりに気の抜けた行動だった。
「喰らえッ! 獄炎斬撃!」
「ーーッ!?」
ルヴィアによる、燃える軍刀の一振り。
それは、リリィが全力で作った〈氷壁〉でようやく防ぐことのできた一撃だ。
剣撃は何とか手甲で防いだローズだったが、その途方もない焔の威力を殺しきれず……。
全身を火炎に焼かれながら、地面に叩きつけられた。
「ぐうう……あああ……!」
ローズは右腕を押さえて呻いている。
先ほどの一撃で、右手の装甲が砕け散り、その下の骨が折れてしまったのだ。
ルヴィアは、そのコウモリのような翼をはためかせて、墜落したローズを追って地面に降り立つ。
そして、愉悦を含んだ笑みで、ローズを見下ろした。
「あの時とは逆だな……? ええ、マギア・ローズよ」
ゴバッ! という音を立てて、ルヴィアがローズを蹴り上げた。
「ぐうっ!?」
ゴロゴロとローズが地面を転がる。
もう、ローズに抵抗する術はなかった。
ルヴィアは、ローズの首を掴み上げると、ぶらりと宙吊りにした。
そして、邪悪な顔で笑いながら、その軍刀に焔を集めていく。
焔を宿した軍刀が、怪しげに輝いた。
「クク……! 一思いに、焼き尽くして……」
「ーー待って!」
灼熱の渋谷に、凛とした声が響く。
その声は、ルヴィアの左側から掛けられていた。
ルヴィアが、眼球だけグルリと回して、そちらに視線を向ける。
視線の十数m先。そこには、一人の少女が立っていた。
低い鼻に、そばかすの散った頬、朴訥そうな顔立ち。
そして何よりも特徴的なのは、エメラルドのような、翡翠の瞳。
そこに立っていたのは、オリヴィアだった。
「……ふん! 今さら現れるとはな。……そこで、天導衞姫どもが燃え尽きるのを見ていると良い」
「貴女の目的は、私の身柄のはず。……もう、彼女たちと戦う理由はなくなった」
「チィ! 小賢しいヤツめ!
……だが、天導衞姫の始末は、我らリ・ヴァースの悲願。
ここで始末しても、褒められこそすれ、お叱りを受けることはあるまい」
「私を逃してもいいの?」
「……何ぃ?」
「私は、転移魔法でいつでも逃げられる。そうなれば、貴女は任務をしくじったことになる」
「貴様ァ……! 要求はなんだ?」
「魔法少女……天導衞姫を、見逃して。そうしたら、私は貴女に大人しく着いていく」
「ふん! やはり、天導衞姫と通じておったか! やはり貴様は裏切り者よ」
「それで? どうするの?」
「……よかろう。オリヴィア、貴様の要求を飲んでやる。こっちに来い」
「分かった」
オリヴィアはコクリと頷くと、てくてくとルヴィアの元まで歩いて行った。
ルヴィアもまた、翼をはためかせ、オリヴィアの元まで飛んでいく。
ただし、その手にはローズの首を掴んだままだ。
どうやら、オリヴィアが取引を反故にして逃げ出すことを警戒しているらしい。
「だ……だめだよ、オリヴィアさん! 折角、ルーナと会えたのに……!」
ルヴィアに吊り下げられたままのローズが、苦しそうな声でオリヴィアに呼びかける。
しかし、当のオリヴィアは平然と答えを返した。
「ルーナが無事なら、それでいい。彼女の呪いも解けたし、もう思い残すことはない」
「そんな……」
ローズがその瞳に絶望を宿した、その時だった。
「だめ!」
悲鳴のような声と共に、崩れかかった建物から、小さな影が飛び出してきた。
ルーナだった。
彼女はコンクリートの上を駆けながら、オリヴィアの元へと向かっていく。
「ーーッ!? なんで来たの、ルーナ!」
オリヴィアが、焦りを隠しきれない様子で叫ぶ。
彼女は、ルーナと一緒に渋谷まで来ていた。
オリヴィアが、まだ転移魔法が使えるほど回復していないと言うので、ルーナの飛行魔法で飛んできていたのだ。
ルーナには「私がなんとかする」と伝えてあったので、ルーナは隠れていたのだが……。
オリヴィアが自分を犠牲にする様子を見せたので、慌てて飛び出してきたのである。
ルーナは叫んだ。
「だって……それじゃ、貴女が救われないじゃない!」
「私のことはどうでもいい。何よりも大切なのは、ルーナと魔法少女でしょ」
「違うわ!」
オリヴィアの独りよがりな言葉を、ルーナが遮った。
必死に頭を振りながら、涙声で叫ぶ。
「貴女だって……貴女だって大切よ、リブ! お願い! 一緒に生きて!」
「……無理。私は、魔導十姫として非道なことをしてきた。
……時には、人も殺した。今更、そっち側には戻れない」
「リブ!」
「もうよい! 茶番は、そこまでだ」
ここでようやく口を挟んだルヴィアが、心底どうでもいいと言わんばかりの口調で吐き捨てた。
「貴様らの友情ごっこなど、私にとってはどうでもよいことだ。
……オリヴィア、貴様が大人しく着いてくれば、天導衞姫どもに手は出さん。
しかし、私は気が短い。とっとと決めろ。さもなくば……」
「うぐ……っ!」
そう言うが早いが、ルヴィアが指に力を込める。
彼女の手で首を掴まれているローズが、苦しげに呻いた。
「やめて。 ……ルーナ、私はルヴィアと一緒に行く。
この状況を打開するには、これしかない。邪魔しないで」
「そんな……折角、一緒になれたのに……!」
ポロポロと涙を流すルーナ。
そんなルーナのことを、オリヴィアは優しげに見つめた。
「いいの。私の犯してきた罪は、死でしか償えない。
……最期に貴女と会えて、私は幸せだった」
「そんな……」
いつかのルーナのようなことを言いながら、オリヴィアは微笑んだ。
「ありがとう、ルーナ。
貴女は、これまでも、そしてこれからも……。
……私の、一番の友だち。 ……大好きだよ」
「リブ……!」
「ふん! 裏切り者どもの友情か……反吐が出るわ! ……来い、オリヴィア!」
「分かってる。先にローズを離して」
「……ふん」
ルヴィアはゴミでも捨てるかのように、ローズの身体をぽいと放り投げた。
ぐったりと力の抜けた彼女の身体は、人形のようにコンクリートの上を転がっていく。
「……ローズ!」
慌てて、ルーナがローズに駆け寄った。
ローズは、ルヴィアに投げ飛ばされた拍子に気を失っていた。
ルーナの見立てでは、ローズはひどい重症だ。
右腕が折られ、身体中にひどい熱傷がある。
だが……まだ、死んではいない。
しかし、このままではかなり危険だろう。
応急処置をしなければ、このまま死んでしまうかもしれない。
それに、吹き飛ばされたままのリリィとデイジーの方も心配だ。
ルーナがローズを診ている様子を見守っていたオリヴィア。
彼女は、ローズが解放されたのを見て、ルヴィアの元へと歩み寄った。
「手間を掛けさせおって……この裏切り者めが」
「うぐっ!」
ルヴィアは、乱暴な手つきでオリヴィアの首を掴み上げた。
オリヴィアの口から、苦痛に耐えるような声が上がる。
「リブ! ……彼女に、乱暴しないで!」
ローズの元に駆け寄っていたルーナが、悲鳴のような声を上げた。
それをルヴィアは鼻で笑う。
「はっ! 何を腑抜けたことを言っておるのだ。ルーナ、今は見逃してやる。とっとと失せろ」
それっきり、ルヴィアは興味ないとばかりに、ルーナから視線を外した。
そして、オリヴィアの首を掴んだまま、彼女に命令する。
「そら、とっととリ・ヴァースへ転移しろ。
私の転移指輪には使用回数があるのでな」
「……私は転移しない。指輪を使えばいい」
「何だと?」
ルヴィアが苛立ったような声を出す。
しかし、オリヴィアは頑なに転移魔法を使おうとはしなかった。
そこでルヴィアは、何かに気づいたかように眉を顰め、オリヴィアに顔を近づけた。
「……うん? 貴様、もしや……」
「……なに」
オリヴィアは、無表情でルヴィアを見返した。
しかし、そのポーカーフェイスには、微かな焦りの色がある。
ルヴィアは、怒りを滲ませながら言った。
「貴様……魔力を失っておるな?」




