96 交錯
初めてミーシャが『とんかつ さくら』にアルバイトとして入店し、忙しい年末進行の一日を乗り切った翌日の朝、さくらときなこはいつもよりも早い時間の午前七時にはグランデ・マルシェへと辿り着いていた。この日の朝も乾いた気候が肌に刺さり、ミンチェスティに暮らす人々はますます厳しい寒さを感じていた。
「おはようさん!まだバイトの欠勤が続くんだって?」
「おはようございます。そうなんです。でもしっかり治して元気に出てきてもらいたいですね」
白い息を吐きながらも半袖姿の元気な青果店の店主といつも通りの元気な挨拶を交わす中で、とんかつさくらの状況を語り合う二人。昨夜ミーシャから聞いたのだろうか、店主はさくらに理解を示すのだった。
「まあミーシャも慣れねえだろうが、うまく使ってやってくれよ」
「いえいえ。昨日は本当に助かりました。これからもお願いしますね」
その後、グランデ・マルシェ内を見て回り、一通り買い物を済ませたさくらときなこは、青果店の店先で品出しの手伝いをしていたミーシャに声をかけた。
「ミーシャちゃんおはよう」
「おはようございます。もうちょっと待ってもらっていいですか?」
ミーシャはやり残している品を急いで並べようとしていた。
「おうミーシャ、もういいぞ。あんがとな」
特に急かすわけでもなかったが、店主はさくらたちに気遣ったのか、懸命に仕事を終わらせようとしていたミーシャを労ってそう言った。
「お待たせしました、さくらさん」
「お疲れ様。それじゃいこっか」
買い物を終えたさくらときなこはミーシャを連れ立ち、大きな荷物を抱えながら『とんかつ さくら』へと戻っていくのだった。
「おあようごじゃいますなのでしゅ…………」
「ど、どうしたの!?リロちゃん、顔面が死んでるよ!?」
「えへへ……どうですか……?ちゃんと起きられたのですよ…………」
昨夜あれほどの啖呵を切ったリゼロッテ。さすがに期待を裏切れないし、「やっぱりか」と思われるのも癪だったようで、どうにか自力で起き上がり、いつもよりもだいぶ早い時間の出勤を果たしたというのだ。
「偉いね」
「やればできるこなのです……わたくし……」
「朝起きることはあたりまえにゃんだけどにゃ……」
こうして無事にメンバーが揃ったさくらの店は、慌ただしい準備を始めるのだった。
「やることはあまり変わらないね」
口に手拭いを巻き、おおきなはたきで上から埃を落としていたさくらがつぶやいた。
「そうですね。普段から綺麗になさっているので、あまり手をかけるところはないですね」
働いて二日目のミーシャですらわかるくらい店内の掃除は行き届いているようだ。いつもの掃除をこまめにしているほど、年末の大掃除は当たり前だが楽になるのだ。
「換気扇の脂もそれほどこびりついてないにゃ」
きなこのテリトリーである『揚げ場』も、油煙によるこびりつくような油汚れはそれほど大したことはないようだ。
「グリストラップも見てきましたのです。ずいぶん綺麗なのです」
リゼロッテは外にある施設を確認してきた。ここも週に一度はこまめに掃除している場所である。問題ないようだ。
「よし!じゃあ今度はみんなで二階をひっくり返すよ!」
そうさくらがみんなに号令をかけると、四人全員で二階へとあがり、畳をすべてめくって天日干ししようと試みた。
「…………さくら…………」
「うん……無理だね…………」
女手とはいえ4人の人数をもってしても、畳はびくともしなかったのだった。まず畳の剥がしかたすらわからず、二月に一度は表替えを頼んでいたが、次回の予定は来年早々であった。
「わたくし、エリックさんに連絡してきますのです」
リゼロッテがそう言うと階下へとおりていき、魔導ベルで警視庁へと連絡をした。
「こんなことを頼むのは申し訳ないなぁ」
都合のいい時だけ頼るのは悪いと思うさくらだった。
「おはようございます、さくらさ」
「おう、なんでおれっちたちを呼ばねえんだよ、みずくせえなぁ!」
連絡してわずか三分で到着したエリックであったが、それとともに現れたのはジェイムズ・アームストロング通称ジェイ・アーミーとその大工仲間たち数名であった。
「わぁ……ジェイムズさんたちまで。ありがとうございます。畳が持ち上がらなくて」
「わかったぜ。任せとけって!」
言うが早いか、ジェイムズたちは千枚通しを畳の隙間にぶすっと刺して一枚をひっぺ返し、二階の窓から畳を出したと思ったら、下で弟子たちがそれを受け止め、そして日干しをするように太陽へ向けて立てかけていった。
「すごいのです」
「さすがだにゃ」
「屈強な方達って素敵ですね……」
手のひらを胸の前で組み、頬を赤らめるミーシャであった。いつもは女子校で過ごし、たまに行くベイ・ピース帝立高等学校の『魔法科学クラブ』の面々はインドアな研究者たちばかりなので、こういった力系の男たちに触れることはまずない。ミーシャの中にひとつ、憧れのようなものが生まれた瞬間であった。
「お父さんとそう違わないよね?」
さくらが疑問を問う。
「はい?どこがですか?」
ミーシャはまるでさくらが狂ったんじゃないかと思うほどの目を向けるのだった。
その間にさくらたち女子3人は他のところを掃除して、そろそろ終わりそうという頃には、きなこが一階で大量の揚げ物を揚げ終わっていた。
「できたにゃ、さくら」
「うん、ありがとう。みなさん、少し早いですけどお昼ご飯を食べてください」
「うひょう!ありがてえ!」
ジェイムズたちも少しは期待していたが、思いがけないご褒美に思わず歓声を上げた。
「ところで大掃除にしちゃ早くねえか?」
エビフライを三本食べながら、ジェイムズはさくらにそう言った。どうやらジェイムズたちは今日の夜のことは知らないようだった。
「えっと、大丈夫かな?エリックさん」
「ええ、特に問題ありません。どちらかというとジェイムズさんには仰った方がいいかと思います」
さくらはエリックの承諾を得て、あらためてジェイムズたちに事の経緯を説明した。今夜少し早い時間にウルカリア王国からの来賓客があること、そしてその者たちがさくらたちの料理を期待しているということを事細かに説明したのだった。
「なるほどね。そんな大事な客人がいる場所におれっちたちが居ていいのか?」
「ええ、ジェイムズさんたちが一階で食事してもらっていた方が防犯になりますし」
エリックはそう言ってジェイムズに一階の防犯を頼むのだった。
「任せとけよ!変な客がいたらとっちめてやっからさ」
ジェイムズはそう言って胸をどんと叩いた。ガハハと笑うその姿はとても頼もしく、そして誇らしく思うミーシャであった。
その後、干し終わった畳を二階の座敷に納め、普段通りにランチタイムの営業を行った。ミーシャも慣れ始めたのか、客への声がけも自然になりはじめた。さくらも安心して配膳を任せられたのか、ここ最近できていなかった惣菜の作り置きをするのだった。
そしてやってきた夕方の王都ミンチェスティ。突き抜けるような空が広がる冬晴れで、ここ最近は肌を刺すようだった冷たい風も、この時間になって穏やかな空気と変わっていた。
「こんばんは、さくらさんや」
「いらっしゃいませ、ライテス様。そして皆様」
ライテスが『とんかつ さくら』の引き戸を開け、その時を待ち構えていたかのようにさくらときなこ、リゼロッテとミーシャは並んでその者たちを出迎えた。総勢で約十名ほどの団体は、王宮からの警備もそれほど厳重な感じではなく、「少し散策をしたい」という些細な希望を願ったその来賓は、意外なほど質素な身なりと、身のこなしであった。
「初めまして、御前にお目見えいたします。ウルカリア王国・王都聖女派遣団のカノン・バーガンディにございます。此度は不躾なお願いにもかかわらず、このようにご機会を賜り、心より御礼申し上げます」
その者、白き衣を纏い、さくらと似た黒髪はまるで漆黒の夜空のように美しく艶やかであった。カノンと自己紹介したその来客はペコリと淑やかに、隣にいる夫とともに頭を下げた。
「は、はい!わたくし静川咲良と申します!こちらは家族のきなこです!この度は遠いところわざわざお越しいただき感謝しております!」
カックーンと腰を曲げてお辞儀をしながら敬礼の所作を行うさくらときなこ、そしてリゼロッテとミーシャであった。
「うふふ、さくら様、どうかあまり畏まらずお気軽に振舞っていただけるとわたくしも夫も嬉しいです。今日は本当に楽しみにしていたんですよ」
カノンはそう言うとニコリと屈託のない笑顔を振り撒いてさくらに近づいた。
「あ……そ、そうですか?では普段通りでがんばります!」
「そうじゃそうじゃさくらさん。いつも通りの美味しいアゲモノを期待しているぞい」
ライテスがそう言うとさくらの肩は下がり、胸の奥からすうっとモヤが消えた。ようやく安堵のため息をつくと、さっそくさくらはカノンたちを二階へと誘導しようとした。
「きなこちゃん」
「にゃ?」
急に後方から呼び止められ、はっとして振り向くきなこ。そこには月魄色の美しい毛並みの小さな犬がいた。
「ボクのこと わかる?」
その小さな犬はきなこになにやら不穏な間をあけながら質問のような圧をかける。声のトーンは明るく、そして幼い。しかし、その目は笑っていない。
「ぬし……我のことが『わかる』のか……」
きなこの身体からオーラが漏れ出した。白、青、黄色、赤、そして紫へとその色の姿は変わっていった。きなこは斜めに構えつつも、一切の隙を感じさせない佇まいであった。
「ーふふー」
犬の声色が変わった。そしてあたりの空気も変わった。まるで久遠の刻を感じさせる波のような一陣の風が犬の毛をそよいでいった。
「まさか……フェンリルか……」
きなこはわずかに爪を出す。ギラリと光るその爪先はミンチェスティの石畳すら貫くほどの鋭さであった。
「ーそういうおまえはきゃっとしーだなー」
フェンリルと呼ばれたその者の声は地響きがするほどに低く轟いた。
「………………」
「………………」
二人の間には雷鳴が鳴り響いた。まるで亜空間に引き込まれたかのような暗黒の闇が訪れたように。周囲の景色は真紅に染まり、暴風が吹き荒れた。
「……………………」
「……………………」
やがて二人はどちらからともなく互いに近寄り始めた。その進む距離は永遠かのような時間であった。
「…………………………」
「…………………………」
そして零距離となった二人の鼻先がカチンと当たったその瞬間──
「うわぁまじゅうだ~~こんなところであえるなんて~~」
「神獣フェンリルに会えるにゃんて嬉しいにゃ!達者でやってかにゃ?」
さっきまでの息をのむような緊迫感が嘘のように、二人は『いままでそんな顔みせたことあったっけ』というくらいにニコニコの笑顔でじゃれあい、悠久の時を経たかのような『再会』に歓喜した。
「ボク、リルルっていうんだ!ひろってもらったんだよ~~かのんに~~」
「ボクもさくらに連れてもらってここへ来たんにゃ。一緒だにゃ」
二人はそんなことを言いながら、いつまでもグルグルとじゃれつきあうのだった。
「きなこ~、早く揚げ物~」
さくらの呼び声にきなこはすぐに反応し、そのままリルルとともに店の中へと入っていった。




