80 ひとつの世界が終わる時
「きなこ!」
「ははは、先ほどまでの威勢はどうしたのですか」
さくらの悲痛な叫びは、きなこには届かなかった。きなこは思いのほか力を出しきれず、フリーゼとの攻防に遅れをとっていた。巨大化したきなこの身体は、想像以上に負担が大きいもののようだった。
「キナコサマ……」
フリーゼがきなこの名を呟いた次の瞬間には、吹雪を纏った妖刀がきなこの厚い毛皮を切り裂いた。複数の裂傷からは、おびただしい鮮血が飛沫を上げる。
「ぬう……!」
すんでのところでその刃を避けたきなこだったが、致命傷には至らずともかなりの深手を負った。さくらとエリックを守りながらの戦いゆえ、フリーゼの猛攻をかわしきることはできなかったのだ。きなこは崩れるようにミンチェスティの石畳へ横たわってしまう。しかし、それでもなお、きなこはフリーゼの動向を目で追い続けていた。
「ははは、しぶといですねぇ。さっさと殺しておしまいなさい」
ローゲンスの非情な命令に従い、フリーゼの身体はゆらりと緩慢な動きで苦無に手をかける。
その刹那、フリーゼの武器が鈍い音を立てて地面に落下した。
エリックの構える魔導ハンドガンの銃口から、魔力が焼き付いた匂いが漂う。エリックが放ったのだ。フリーゼは瞼を半開きのまま、死神のような目つきでエリックを睨みつけている。
「エリックさん……!なんてことを」
「さくらさん、もう始まってしまったんですよ」
エリックはさくらを横目に、ハンドガンの次弾を装填した。
「やるじゃあないですか、新米警部補エリック・ヤングくん。そんな腕前があったのですねぇ」
不敵な笑みを浮かべ、嫌味まじりにエリックをなじる。
「ええ、人に向けて撃ったのは初めてですがね」
そう言い放ったエリックに対し、フリーゼは隼の如く苦無を投げつけた。
「ぐっ!」
「エリックさん!」
放たれた苦無は、エリックの足の甲に深々と刺さった。苦悶の表情を浮かべるエリックは、撃たれた痛みでその場でのたうち回りそうになりながらも、さくらに気遣わせぬよう気丈な顔を向ける。
「おとなしくしていてください、エリックくん。私が用事があるのはそちらの異邦人だけなのですから」
「なら私だけを連れ去ればいい話です」
「そちらの猫がいちいち反抗してくるものでねぇ」
「かわいそうだけど、きなこは私の分身ですから」
「ははは、面白いことばかり言いますねぇ。ええ、でも悪いようにはしませんよ。単にその『能力』をほんの少しお貸しいただけるだけで結構なんです。しかし」
ローゲンスは手のひらに魔力を溜め込みながらきなこの方へ向き、天を穿つかのように高く掲げた。
「鬱陶しいので、貴方には死んでもらいましょう」
ローゲンスの手がゆっくりと振り下ろされ、魔力の塊がきなこへ放たれようとした。
「……これで……終いか……さくら……」
きなこがそう最期の言葉を遺そうとした刹那、
「くたばるのはまだ早いぞ、きなこ」
「……父猫さん!母猫ちゃん!」
そこに現れた白い巨体二頭が、ローゲンスときなこの間に立ちはだかった。
「遅くなってすまなかったな、さくら」
絶望の淵にいたさくらの悲壮な表情に、父猫は安堵を促すような眼差しを向ける。その後ろで、母猫がきなこの治療を始めていた。
「なんですか、この巨大な猫どもは。もしかして大いなる戦神・キャットシーの親玉でしょうか。邪魔をしないでいただけますか」
ローゲンスはほとほと嫌気が差しているような表情で父猫に告げる。そして再び、手のひらに魔力を溜め込んでいく。
「こんな些末な争いに介入するほど我は暇ではないのだがな。愛する我が娘とその魂の片割れの危機となれば話は別だ」
「知っていますよ。あなたに姫を戦いに挑ませて返り討ちにあったんですよね。しかし私には目的がありましてね。そこをどいていただけますか」
「我を倒してから好きにしたらいい」
「ははは、そりゃ無理筋というものですよ。しかしあなただって、ただ助けに来たわけではないのでしょう?」
「よくわかっているではないか。さくらを巻き込むなら、それなりの理由があるはずだ。まずはそれを聞かせろ」
父猫は牙を剥き出しにし、爪を地面に食い込ませながらローゲンスに凄む。
「なるほどね。邪魔されるのはおもしろくありませんが、致し方ありません」
ローゲンスは掲げた腕をゆっくりと下ろし、魔力を抑えた。
「これがただの復讐、あるいは国家間戦争だと思われますか?」
ローゲンスは少し俯き、低い声で語り出した。
「私たちローゲンス家は、北方の大国である帝政ロシェリアの国民でした。いや、もともとこの地『ダルテニア大陸』は遥か古では同じ民族でした。我々ロシェリア人にとってみれば今でも同胞という意識を持っていましたが、かつての帝王『ヴォルガード王』は違っていたのです。ロシェリア人は汚らわしい血族だと、その主張を曲げません。そこで前王ライテスはあえてロシェリアの貴族の娘を娶りました。ライテスの海よりも深い大局観は、その時代の国民から大いに歓迎されました。しかしヴォルガードは、それを全く心よく思わなかった。その結果ライテスはグランパレスの辺境へと追いやられ、ヴォルガードのやり方に難色を示していた自身の娘であるアリシアやいとこのメテオ、そして私も同様に追放の身となりました」
かつて酒樽を運びにグラン・パレスの屋敷へ赴く際、ライテスは相手先の素性をさくらたちに明かさなかった。ヴォルガード王政権当時、今のヴァンデンバーグ邸が体制転覆の本拠地であり、クーデター計画を練るための詰所であったのだ。アリシアは獅子身中の虫、アドリアーノは長剣を操るガーディアン。あの時ライテスが言っていた「重要な防衛拠点」とは、このことだった。
「人種間にある問題は複雑なものです。ただでさえ相容れないというのに、つい先日ロシェリアは帝王を失い、ベルガード王国の一大貴族である『アレクセル家』の長女・エカチェリアを筆頭とした軍が中枢を奪い、『神聖ロシェリア帝国』の名乗りを上げました。これは由々しき問題で、もう一筋縄ではいかない事態となっています。神を枢軸とした偶像崇拝をもとに人心を掌握し、民衆を扇動しようとしている。このままではロシェリア人はアレクセル家の思いのままであり、好戦的だったロシェリア軍がさらに力をつけようとしています。この『原動力』となった原因、何であるかお分かりですか?」
さくらをチラリと横目で見やりながら、そう問いかけておきながら「もうお分かりですね」と言わんばかりの目配せを向けていた。
「アオくんとカナタくんが開発しているものですか」
「ええ、そうです。あなたが発明した『自転車』というものから発展したものらしいですねぇ。彼らはそれを『魔導機関』、通称『イーヴィルエンジン』と呼んでいるそうです。その魔導機関の重要な開発資料が先ごろ何者かに盗まれていた。おそらく開発陣の中に『潜入者』がいたと思われます」
ベイ・ピース帝立高校魔導科学クラブにて進められていた『魔導機関』の開発は、合同サークルで形成されており、いくつもの学園から生徒が参加していた。その中にスパイはいた、とローゲンスは語る。
「その潜入者は狡猾に忍び込んでいたそうです。無邪気な好奇心からか入部当初から警戒されず、それどころか魔法に関する能力を勢いよく開花させていき、周りを圧倒していた。その彼が忽然とクラブから消えた。同じ時期に資料が丸ごとなくなっていたらしいのです」
「まさか……」
さくらはアオとカナタから以前聞いた、あの人物を思い出していた。ベルガード王国の家庭に養子に入った『とある客』のことを。
「その魔導機関がどれほどの災厄をもたらすのかは私にはわかりませんがね。しかしロシェリア側の人間がわざわざ密偵活動をしてまで欲しがるものですから、あちら側が圧倒的に有利になることは間違いありません。いままで燻っていた南北間の協議は決裂し、真っ向から全面戦争を仕掛けてくることになるのかもしれません。ロシェリアが抱えていたセンチュリオンに対する憎悪を剥き出しにして、ね」
「…………」
「またあの永きにわたったダルテニア南北戦争が始まってしまいます。しかも以前よりも兵器や武力は向上している。終わりなき暗黒の時代の幕開けです。まあ、しかしですね、そんなことは私には関係ありません。とにかく私の姉を殺害したロシェリア人を抹殺できればそれでいいのです」
父猫は大きく息を吸い込み、目を閉じた。つまらない争いと忌まわしき時代の再来を想い、ローゲンスの言葉を遮るように別のなにかに思考を泳がせた。
「ではなぜ、あなたは私の能力を利用しようとするのですか?私のなにに価値を見出してそう言っているんでしょうか」
さくらは少しだけローゲンスを試すような問い方をした。鎌をかけるわけでもなく、芯からの疑問であった。
「ははは、隠しても無駄ですよ。ロベルト先生から聞きましたからね。あなたは凄まじき異能を発揮できるそうじゃないですか。それも今は失われた魔導の力すらも。私はそれが欲しいのですよ。全てを根絶やしに、草一本残さないほどの力を生み出してもらいたいのです、そう」
さくらはもはや感情を失いつつあった。口を真一文字に結び、どこか遠くを見つめる。父猫の後ろで身構えていた姿勢を解き、諦め切ったような表情でローゲンスを向いた。
そしてローゲンスは高らかに宣言する。
「超古代兵器を復活させるのです」
ローゲンスは陶酔しきったように腕を広げ、天を見上げるようにして醜悪な笑いをミンチェスティ広場に響かせた。
その時
一筋の閃光がさくらの脳裏に迸った。
『ああ、まただ』
さくらは達観した。
『ここまでか』
『この世界での私はここらへんで潮時か』
『ここからまた私は沢山の命を奪うのか』
『ああ、とても楽しかったな』
さくらは治療を終えたきなこを見た。かすかに視線をさくらへ送り、なにかを伝えようとしているようにも見えた。しかしその力もとうとう尽き、静かにその震える瞼を閉じる。




