41 有能で不器用な男
エリック・ヤング。 十八歳で警察学校を飛び級かつ首席で卒業し、現在二十一歳にして警視庁警部補の座に就いた男である。
よほどのことがない限りは外面に感情をみせず、あまりに冷血な表情のエリックは、周囲からは「薄気味悪い」「人間の血が通っていない」と辛辣な評価を受けているが、事件解決能力は人一倍秀でていた。時には上司をやりこめてしまうほどの察知能力と推察能力を兼ね備え、冷静沈着な判断に基づく洞察眼は他の追随を許さない。 この男を相手に議論を戦わせ、少しでも虚飾や誤魔化しを混ぜようものなら、即座にその綻びを指摘され、瞬時に論理を崩壊させられてしまう。現場主義を掲げながらも、デスクワークにおいてもその才覚を遺憾なく発揮する実力者であった。
彼は上司である『シド・トゥルーガー』の影響を色濃く受けており、その熱血かつ冷静な佇まいを常に模倣している。さらにその源流を辿れば、シドの元上司である退職済みの「元警部」に行き着く。その元警部自体は温厚な人物であるが、エリックは彼が掲げる精神論や倫理観を強く継承していた。
しかし、エリック本来の気質は、端的に言えば実直、悪く言えば融通の利かない堅物であった。その真っ直ぐすぎる性格は時に要領の悪さを招き、交渉事などで本領を発揮するには至らない。それでもなお、それらの短所を補って余りあるほど、彼の長所は突出して優れていた。
華奢な体躯ながらも長身。切れ長の瞳に彫りの深い眉、薄い唇に通った鼻筋。色白の肌に、常に伏せられた睫毛が影を落とす。髪型は艶やかな薄紫のCカールを描く癖毛をサイドバックに流している。馴染みの理髪店へ月に一度は必ず通い、顔剃りも怠らない。 紺色の縦縞が入ったダブルのスリーピーススーツを纏い、足元には磨き上げられたプレーントゥの革靴。時折ボルサリーノを被り、僅かに斜めに構える。これが彼なりの矜持であり、アイデンティティであった。 身体能力は標準的であり、直接的な戦闘には不向きといえる。
そんな彼が、入庁して二年目を迎えた四月のこと。 春の陽気が穏やかに漂うある日、エリックは上司のシドに呼び出され、第二会議室へと足を運んだ。
第二会議室は通常、重大事件の捜査本部が設置される場所であり、常に殺気立った空気が漂う部屋である。しかし当時は平穏な日々が続いていたため、室内は空き部屋同然となり、雑多な相談や定例会議に利用されていた。 わざわざそのような場所へ呼び出すからには、相応の理由があるはずだ。エリックはある程度の覚悟を持ってその扉の前に立った。
「入ってくれ、エリックくん」
ノックをする直前、室内からシド・トゥルーガーの声が響く。声を張り上げることのない、いつもの淡々とした口調。その機微を理解しているエリックは、扉越しに僅かに意識を集中させていた。
「失礼いたします」
入室の許可を得ると、エリックは静かにドアを開け、後ろ手で音を立てぬよう慎重にノブを回し、まるで気配を消して忍び込むような所作で室内へ入る。 そこにはシドの他にも数名の男たちが控えていた。いや、その中には異質な気配を纏う者が数名混じっている。 (……SSSの者たちか) エリックは即座にそう察知した。
「君をここへ呼んだのは他でもない」
シドが切り出す。この口調を用いる際、要件は決まって「緊急」あるいは「喫緊」のものだ。 エリックは会釈で応じ、短く返事をしてシドを凝視した。
「君には特殊任務を課すことにした」
予感は的中した。二年目の若輩者に何を命じようというのか。 上層部の思惑に対し、微かな苛立ちが胸を掠めたが、エリックはそれを表に出すことなく、あくまで冷静に装い続けた。
「ある人物について、王家との仲介役を務めてもらいたい」
凶悪事件ではないらしい。だが「王家」という言葉、そして「仲介」という任務内容に、エリックの思考は僅かに巡った。続いて紡がれたシドの言葉が、さらに疑問を深めさせる。
「対象人物には既に接触済みだ。接触者は『コードネームCL』。対象者に関する『ー特記事項ー』は今のところない。ただしバディが存在し、その能力の全容は未知数。変化擬態の報告も上がっている」
得体の知れない話だ。対象者の情報は乏しく、一方で協力者側が異能を有しているという。エリックは、この任務の真意を測りかねていた。
「今回の最終目標は、その者と王家が友好的な関係を築くことにある。また、その者には報酬が用意されている。これを見たまえ」
シドが壁の地図を指し示す。そこには王都ミンチェスティ大聖堂の周辺地域、メインストリート一番街に位置する一軒の空き家が記されていた。
「ここを店舗として改装し、対象者に経営させる。これは王家の一部が切望している事柄であり、今回の任務の本筋に直接の関連はない。しかし、対象者をその場所に『繋ぎ止める』目的も兼ねている。拒絶されることのないよう、慎重に事を進めてくれ」
それほど難解な任務ではない、とエリックは判断した。王家の人間と対象者を引き合わせ、空き家へと誘導し、店を切り盛りさせる。それだけのことだ。 彼は密かに安堵の吐息を漏らした。いかなる任務も遂行する覚悟はあったが、鮮血が飛び交うこともなく、戦闘の必要もない。過度な知略を巡らせる必要すらなさそうだ。
より詳細な資料や期限を確認し、手続きを終えたエリックは、ようやく第二会議室から解放された。 廊下を歩みながら、彼は思考を整理する。 どのような人物が相手であろうと毅然と対峙し、たとえ難のある性格をしていようとも冷徹に対処するのみだ。そして速やかに対象者との縁を切り、本来の刑事の職務へと復帰する。 このような任務、早々に完遂してしまおう。エリックはそう心に決めていた。
「「けけけけけけけいさつぅう!?」」
(……しまった。名刺を提示するタイミングを誤ったか。それとも、同行した保健所職員たちの威圧感が過ぎたのか。昨日バーバーで髪型を整え、顔面を剃り、隙を見せぬよう眼光を僅かに鋭くした以外、自分に落ち度はないはずなのだが)
(……単に「あなたに拒否権はございません」と告げたまでだ。なぜ、これほどまでに面を蒼白にさせるのか。保健所職員がなぜか私をフォローしている。解せない。私は事実を述べたに過ぎないというのに)
(……今日は問題ない。空き家へ案内するだけだ。だが、彼女はこの建物に対して随分と懸念を抱いているようだ。ただの空き家ではないか。もっとも、三階建ての住居には私自身も住んだ経験がない。清掃には骨が折れそうだ)
(……ようやく完成した店舗を見て、彼女たちは歓喜している。実のところ、これほどまでに朗らかな笑顔を向けられると、決して悪い気はしない。この相方についても、特筆すべき異常は見当たらない。ああ、やはりお嬢様は……全く……)
(……随分と頼られるようになったものだ。こうして名指しで頼りにされるのは、存外、悪い気分ではない。ただ、彼女と接している時の、周囲の私を見る目が変わってきた気がするのだが)
(…………この娘の笑顔には…………なぜか、安らぎを覚えるような心地よさがある…………)




