36 郊外授業
とある日、「とんかつ さくら」の休日の朝。王都ミンチェスティ大聖堂前の広場にて、リゼロッテがどこか申し訳なさそうな表情と態度で、さくらと向かい合っていた。
「校外授業?」
「そうなのです。わたくしがこの日にどうしても行ってみたいことがあり、課外活動として認めてもらえませんかと先生に相談してみましたら、『それなら校外授業として、興味のある生徒も同行しましょう』ということになりましたのです。ダメですか? なのです」
リゼロッテの背後には、目を輝かせた女子生徒たちがずらりと並んでいる。ざっと数えただけでも、四十名ほどはいそうだった。
「えっと……ライテス様、急にこんなことになっちゃいましたけど、どうしましょう?」
さくらは、この状況を自分ひとりで捌き切れるとは到底思えず、思わずライテスに助け舟を求めた。
「ええわい、ええわい。こんなにも漁業に興味を持ってくれる娘が多いなら、アヤツも喜ぶじゃろうて」
ライテスの言う『アヤツ』とは、漁場で漁師として働く、彼の釣り仲間のことだ。これほど大勢の女性が訪れるとなれば、喜ばないおじさんはいない——そんな顔をして、ライテスはにやりと笑っていた。
「やった!」
リゼロッテをはじめ、数十名の女子生徒たちは一斉に踵を浮かせて喜びを表現する。
「リロちゃん、先に言っておいてほしかったな」
さくらは一応、リゼロッテに苦言を呈しておく。
「ごめんなさいなのです。今朝の始業前のホームルームでこのことを先生に相談したら、『私も行きたい私も行きたい』となってしまいまして、結局クラス生徒全員になってしまったのです」
「急に決まってしまったことで、大変ご迷惑をおかけします。ライテス様、それにさくらさん。わたしが引率し、この子たちの行動には責任を持ちますので」
さくらとライテスは、リゼロッテの担任教師に頭を下げられ、懇願される形となった。
そう、今日は以前の約束どおり、ライテスとともに漁場へ行き、「とんかつ さくら」のメニューを増やすべく、いわゆる『海の幸』を物色しに行く予定だったのだ。その話の流れで、「釣りをしてみよう」と口にしたことが、リゼロッテの琴線に触れてしまった。その瞬間から彼女の目の色は変わり、担任に相談という名の、ほぼ強行突破をお願いする流れになったのである。
「まあ、いいんじゃないかにゃ? 前王もこう言っていることだし、みんなで楽しめばいいのにゃ」
きなこは、ほんの少し誇らしげに胸を張り、心の広さをアピールするようなことを言った。
「うん、そうだね。では皆さん、漁場の方ではくれぐれもご迷惑にならないよう、淑女としての振る舞いを心がけてくださいね」
「はい!」
元気な返事とともに、数名の女子生徒がきなこへと近づいてきた。
「この子が、リロの言っていたきなこちゃんね」
「うぇ?」
きなこは、突然の女子たちの接近に思わずたじろぐ。
「まあ、可愛い。本当に二足歩行ですのね」
「なんて麗しいお姿……ネコチャンとは思えないほどの大腿四頭筋ですわ」
「声も可愛い。本当に人語をお話しになるのね……」
「な……なんにゃ、お前たち。我は猫ではない。神聖なるまじゅオヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨ」
そう言いかけたところで、数名に撫でられ、さらにはお尻のあたりをぽんぽんとノックされ、きなこは思わず恍惚とした表情で、とろんと力を抜いてしまった。
「うふふ、みんなに愛されてよかったね。では、ライテス様。出発しましょう!」
「うむ。では皆の者、行くぞい!」
こうして一行は大きな馬車に乗り込み、さくらたちの大きな荷物は荷馬車へと積み、『ドア・フィールド』の漁場へと向かった。
「こりゃこりゃ、ライテス爺や。よく来たねえ」
長い時間をかけてたどり着いた漁場『ドア・フィールド』の海辺で待ち構えていたのは、漁業という過酷な仕事など、とてもできそうにない翁だった。見ようによっては、ライテスよりもさらに年老いているようにも見える。
真っ白な眉毛と長い髭。禿げ上がった頭に垂れた瞼。腰は曲がり、杖をつく姿は、まるで絵に描いたような老人である。
その翁は、春の日差しのように穏やかな笑顔と声を、ライテスへと向けてきた。
「よう、メテオ。連れてきたぞい」
ライテスもまた、満面の笑みで応じる。二人の間に、長年の親交があることは一目で分かった。
「こりゃまた、ずいぶん大勢連れてきたねえ。こちらの娘っ子さんたちは、全員ライテスの孫かの?」
「そうじゃよ」
「ワッハッハッハ!」
笑い合う二人。さっそく、この二人だけの世界が出来上がっているかのようだった。
「ライテス様」
さくらとリゼロッテが、そろそろ紹介を——と思ったところで、ライテスはこれまでの経緯を、『メテオクロス』に紹介を交えながら話し始めた。
「楽しみにしてきました。本日はどうぞ、よろしくお願いしますね」
さくらはにこやかに微笑み、ぺこりと頭を下げる。
「あらあら、さくらさんとやら。その若さでお店を持っているのかい。偉いねえ」
「いえいえ、そんな……まだ駆け出しです。ご指導いただければ幸いです」
「なんとまあ、若いのにしっかりしてるわね。ええええ、ワシでよければ何でも言っておくれ」
メテオとさくらは握手を交ワシ、これから始まるビジネスとしての、確かな縁を結んだ。
一行はさっそく漁場を案内してもらい、水産業の仕事を一通り見学した。女子生徒たちは興味深そうにその様子を眺める。これで社会科見学としての名目も、きちんと果たされた形だ。
その後、二手に分かれることになった。先生に引率された女子生徒たちは釣りへ向かい、リゼロッテの指導のもと、メテオの部下たちが釣りの手解きをする。
一方、さくらときなこ、ライテスは、メテオと他の部下とともに、「とんかつ さくら」で提供するための素材を見つくろい、安定した取引が可能かどうかの交渉へと入った。
「海産物は、季節によってだいぶ変わるのよ」
メテオは、水揚げされる魚介類について説明する。さくらも基礎的な知識は持っていたが、この世界ならではの種類に驚きつつ、真剣な眼差しで見入っていた。
「一年を通して獲れる、同じ種類のお魚はいますか?」
「それなら、これやあれや……あと、いつも網に引っかかる、この虫みたいな厄介者——『ハサミ』だわね」
メテオはアジやタラに似た魚を指差し、続いて、もう一種の甲殻類へと視線を移す。
「(エビだ……しかも大きい)」
さくらは、胸の内でそう呟いた。メテオの言いぶりからして、どうやら完全に厄介者扱いされているらしい。
「この『ハサミ』は見た目が気味悪くてね。ゴツゴツしておるし、しかもハサミで挟まれると痛いの。処理のしようもなくて、いつも捨ててるわ」
「えっ、捨ててしまうんですか?」
さくらは心底驚いた。これほど立派な素材を、調理しようと考えた者がいなかったことに、思わず言葉を失う。
「もしこいつが食えるなら、安くするよ」
メテオの部下が、そういってのけた。さくらは、これは絶好の機会だと思った。
「本当ですか? では一度、味見させてもらってもいいですか?」
「まさか、その気味の悪いハサミを食べるのかい? 美味しくはないと思うんじゃが」
メテオは、心底さくらを変わり者扱いするような目を向ける。それでも彼は、籠に入った大量のエビを掴み上げ、さくらへと差し出した。
「じゃあ、きなこ。やってみよっか」
「にゃ!」
こうして二人は、荷馬車に積んでいた大きな荷物を取り出し、持参した卓上魔道コンロと調理道具を広げ、エビに似た生物の調理に取りかかった。まず、さくらがエビを締め、ぱかりと胴と尾に切り分ける。その間に、きなこは揚げ油の準備を進める。
「おお……」
「うわ……」
老爺二人組は、明らかに引いていた。この娘たちは、なんという胆力を持っているのか——そんな思いとともに、相変わらず変人扱いをしているのだった。
殻を剥き、中身を露わにする。さくらの予想は的中していた。これは、間違いなくエビである。
「なんとまあ……さくらさんは、度胸のある娘っ子じゃのう……」
ライテスはそう言いながらも、さくらの手捌きに見とれていた。無駄のない動き、的確な処理。まるで最初から知り尽くしていたかのような手際に、微塵の疑念も抱かなかった。
さくらは背腸を取り除き、軽く塩を振ってから粉をまぶしていく。
「じゃあ、これをいつも通りに揚げてね」
「まかせるにゃ!」
きなこは次々とエビを油へ投入していく。じゅわじゅわと音を立てて揚がるエビを見つめながら、老爺二人組の口元には、自然と涎が垂れていた。
「なんじゃ、この匂いは……」
「たまらん香りがしてきたわ……」
「できたにゃ!」
きなこの声と同時に、エビフライが皿へと盛り付けられていく。さくらは持参したソースを、丁寧にかけた。
「まずは、私が毒味しますね」
「えぇ……」
メテオは完全に引き切った表情をしていた。あのグロテスクな生物を調理するだけでなく、口にするさくらに、もはや理解が追いつかない様子だ。
さくらときなこは、同時にエビフライを口へ運ぶ。
「うん!」
「こ、これは……!」
サクッと歯を立てた瞬間、二人の目が大きく見開かれた。間違いない。これはエビフライだ——さくらは確信する。
「なんという美味しさなのにゃ……とんかつとはまた違った魅力があるのにゃ……」
「でしょう? よかったぁ。思った通りのおいしさだったよ」
きなこの幸せそうな表情を見て、さくらは胸を撫で下ろす。そのとき、背後から気配が忍び寄った。
「お……おい……ワシにも食わせろ……」
「そうよ……二人だけでずるいわ……ワシにも頂戴……」
まるでゾンビのように迫ってくる二人。
「え……あ、は、はい。ど、どうぞ!」
さくらが皿を差し出した瞬間、メテオとライテスはエビフライにがっついた。
「うっ!!」
「あぅっ!!」
言葉を失い、白目を剥く二人。あまりの美味しさに、その場に倒れそうになるのを、さくらときなこが慌てて支える。
「なぜなの……なぜ、あんなに気味の悪い生物が、こんなにも美味しくなるの……?」
メテオは震える声で、さくらに問いかけた。
「この……今は『エビ』と呼びましょうか。なんとなく、この部分だけ、すごく美味しそうだなって思ったんです」
さくらは、少し誤魔化すように答える。
料理とは、知識だけでなく直感も重要だ。人類は、試行錯誤と失敗を重ね、素材を食文化へと昇華させてきた。そのことを、さくらは二人の老人へ丁寧に説明した。
「なるほどのう……さくらさんは、勇気だけでなく、いろんな知識も持っておるんじゃな」
ライテスは、感心したように頷く。
「えへへ……それほどでもありませんよ。ただの向こうみずな無鉄砲です」
「いやいや、大したものね。ではこの『エビちゃん』、取引させてもらおうかしら」
こうしてメテオは、正式に商談へと入った。さくらとメテオの部下は条件を詰め、流通経路についても取り決めを交わす。
こうして、エビ、アジ、タラ——三種類の仕入れ契約が、無事に締結されたのだった。
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