34 夢のあと
「あうあうあうあうあう…………」
あれほどまでに重厚で、近寄りがたく、圧倒的な威厳をまとっていた『国王パルデスブレイディオ・センチュリオン』であったが、どうやらこの男にも明確な弱点があったようだ。
テーブルにゴロリと顔をうずめ、だらしなくよだれを垂らし、白目をむいた半開きの瞼。その姿は、もはや国王どころの騒ぎではなかった。
「えっと……」
「これは……」
さくらときなこが、この光景を見て驚かないはずもない。
「まったく……こうなるから、私は連れてきたくなかったのだ」
娘であるフリーゼも、ほとほと困り果てた様子である。
「いやはや……こうなってしまうと、国王としての威厳もへったくれもあったものではないのう」
父である前王、ライテスイーボーン・センチュリオンも、この姿を国民に見せてよいものか、真剣に悩んでいるようだった。
「マジカルちゃん…………んふぅ…………どうしていつも帰ってきてくれないのぅ…………」
『マジカルちゃん』——正式本名『フリーゼマジカルスウォーデン・センチュリオン』である。
「父上、その呼び方はやめてくださいと、何度も申し上げています」
娘のフリーゼは、その呼び名で呼ばれることに、まったく納得がいっていない様子だった。なぜ、そこをあえて呼び名として使うのか。
「なんで!! いいじゃない!! …………りゃうりゃうりゃうりゃう…………」
パルデスは激昂して起き上がった、かと思えば、次の瞬間にはまたグデっとテーブルに横顔を伏せた。
さくらときなこは、もはや驚きを通り越し、いつ笑い転げてもおかしくないほど我慢の限界を迎えていた。二人とも、密かに自分のふとももをつねって耐えている。
「これだから母上は金輪際、父上と酒を一緒に飲まないのだ」
よほど過去に酷い目に遭ったのだろう。フリーゼの言葉と、その表情に滲む憂鬱さが、それを雄弁に物語っていた。
「酒は飲んでも飲まれるな!」
「父上。それは、こちらのセリフであります」
「いい加減もう帰るとするかの。さくらさん、酷い最後じゃがすまんかったの」
「いえいえ。楽しんでいただけたなら、なによりです」
ここまで泥酔するのは、芯から心が緩み、安心しきっていた証なのだろう。さくらときなこは、そう感じていた。
「エリック、頼む」
フリーゼがエリックに、パルデスを担ぐよう命じる。
エリックは「かしこまりました」と静かに応じ、その場にいた者たちへ、
「このことは、どうかご内密に」
とだけ言い残し、パルデスを背負って『とんかつさくら』をあとにした。
同じ頃、リゼロッテと共にフリージア家の者たち、そして大工連中も、それぞれ帰路につく。
さまざまな出来事が一斉に押し寄せ、情報量の多さに少し疲れてしまったさくらときなこは、宴会の片付けもそこそこに、ゆっくりと風呂に浸かり、そそくさと眠りについたのだった。
翌朝。
二人は早めに起き、昨夜の片付けを済ませると、いつも通りの時間にはマーケットへ向かうことができた。
普段から取引のある果物商に顔を出し、最近メニューに取り入れたじゃがいもと玉ねぎを、少し多めに買い付ける。
そうして再び、『とんかつさくら』へと戻ってきた。
「昨夜は迷惑をかけた。すまない」
店の前に着くなり、フリーゼが深く頭を下げてきた。どうやら、少しやらかしてしまったという自覚はあるらしい。
「全然。私たちは本当に気にしていませんし、とても楽しくお祝いしてもらえて、すごくうれしかったですよ」
「あのような失態を、目の当たりにさせてしまって……」
「フリーゼ、気にするにゃ。王の意外な一面が見られただけでも、特別だったにゃ」
珍しく肩を落としながら言葉すらフリーゼらしくない様子をみせる姿は、まるで雪をかぶる小木のようで、そのいつもの健やかな身体すら覇気なくしおらせていた。
「普段の王様はお酒をあれほど飲まれないんですか?」
「いや、多少は嗜む程度には。しかし最近は、私があまり父上の前に姿を見せていないからだとは思う」
そういえば、うわごとでそんなことを口にしていたな、と、さくらときなこは思い出す。それぞれの家庭に、それぞれの事情があるのだろう。
そう考え、これ以上踏み込むのは野暮だと判断したさくらは、「いつもの通りお仕事をお願いします」とだけ告げ、ランチタイムへと臨むのだった。
夜の営業にて、リゼロッテは変わらず働いてくれた。
営業後の乾杯が二階の座敷になった以外は、特に変わりのない、穏やかな日常である。
さくらとリゼロッテは、改めてエールを注ぎ、ゆっくりと飲み直す。昨夜は、どうしても酌に回ることを優先しており、落ち着いて飲むことができなかったのだ。
きなこは「ラードの仕込みをする」と言い、一人一階で、明日以降に使う油を作っていた。昨日の宴会で、かなりの量を使ってしまったらしい。
「気にしないで、ゆっくり飲むといいにゃ」
その言葉に甘え、さくらとリゼロッテは二階の座敷で、二人きり、杯を傾けながら語り合っていた。
「へえ。チェスをねえ」
「はいなのです。この間行われた『チェスグランドマスター選手権予選大会』で、予選落ちしてしまいましたのです」
「そっか。それは残念だったね」
「また来年、頑張りますのです」
「そうだね。また修行しよう」
「はいなのです。お師匠様の期待にも、お応えしたいのです」
「お師匠様がいるんだ」
「そうなのです。とてもお強いお方なのです。さくらちゃんは、チェスはできますか?」
「うん、できるよ。でも、人に教えられるほど強くはないかな」
「いつか対戦しましょうなのです」
「私なんかで相手になるかわからないけど……いいよ。やりましょう。それでね、今度のお休みにライテス様と——」
「わあ、わたくしも学校がなければ、一緒に行きたかったのです。ところで、わたくしには古くからの幼馴染の方が——」
会話は途切れることなく、女子会特有の、話題が数珠繋ぎになっていく雑談へと変わっていった。
ほどなくして、ラード作りを終えたきなこが、二階へ上がってくる。
「お疲れ様、きなこ。ありがとう」
「お疲れ様なのです」
「にゃ。ボクも一杯飲むにゃ」
そう言って、きなこは頭巾を外し、腰を下ろす。
さくらは店から持ってきたロックグラスに、ウイスキーを注いでやった。
「すっかり板についてきたねえ」
さくらが、しみじみと呟く。
「うん、そうだにゃ」
「お二人とも、とても素敵なのです」
「リロちゃん、いつもありがとうね」
三人は、それぞれを称え合い、穏やかな時間を共有する。
こうして、『とんかつ さくら』の夜は今日もまた、静かに更けていくのだった。




